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~ 神田明神 ~
3年ほど前の初詣で「大凶」を引き当てて以来、あまりこちらには足が向かなかったのですが

「将門怨念伝説」を語る最後の〆は将門を主祭神とする『神田明神』は外せないでしょう。





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神田明神(神田神社)は何度か紹介しているので、神社の細かい紹介は省略します。




         s-神田明神DSC_2927




〖祭 神〗


一之宮    大己貴命(オオナムチノミコト、だいこく様)

二之宮    少彦名命(スクナヒコナノミコト、えびす様)

三之宮    平将門命(タイラノマサカドノミコト、まさかど様)





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s-神田明神DSC_2918_01      s-神田明神DSC_2919_01












〖由緒・遍歴・平将門〗


社伝によれば、天平2年(730年)、武蔵国豊島郡芝崎村に入植した出雲系の氏族が、

大己貴命を祖神として祀ったのに始まる。神田はもと伊勢神宮の御田(おみた=神田)が

あった土地で、神田の鎮めのために創建され、神田ノ宮と称した。

承平5年(935年)に平将門の乱を起こして敗死した平将門の首が京から持ち去られて

当社の近くに葬られ、将門の首塚は東国(関東地方)の平氏武将の崇敬を受けた。

嘉元年間(14世紀初頭)に疫病が流行し、これが将門の祟りであるとして供養が行われ、

延慶2年(1309年)に当社の相殿神とされた。平将門神に祈願すると勝負に勝つといわれた。


明治に入って神社が国家の管理下に入るとと、明治元年(1868年)に准勅祭社に指定された。

その後、府社に列せられ、明治4年(1872年)に正式の社号が「神田神社」に改められた。

1874年(明治7年)、明治天皇が行幸するにあたって、「天皇が参拝する神社に逆臣である

平将門が祀られているのはあるまじきこと」とされて、平将門が祭神から外され、

代わりに少彦名命が茨城県の大洗磯前神社から勧請された。

平将門神霊は境内摂社に遷されたが、1984年(昭和59年)になって本社祭神に復帰した

古代の朝敵から中世の崇敬対象、そして明治時代の逆賊視から戦後の英雄化と、

時代と共に評価が変わってきた将門の怨念の足跡を見るようです。

又境内摂社(左遷)から本社(栄転)に復帰と言う現代のサラリーマンの出世街道にも通じる

怨念の思いも多くの人の共感を呼んでいるようです。








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〖将門に関わる伝説〗


神田明神を崇敬する者は成田山新勝寺(千葉県成田市)を参拝してはいけないというタブーが

今日まで伝えられている。これは朝廷に対して叛乱を起した平将門を討伐するため、僧・寛朝を

神護寺護摩堂の空海作といわれる不動明王像と共に現在の成田山新勝寺へ遣わせ、

乱の鎮圧のため動護摩の儀式を行わせたことによるもので、即ち新勝寺参拝は将門を

苦しめる行為とされるためです。

なお、同じく将門を祭神とする築土神社にも同様の言い伝えがあり、成田山へ参詣するならば、

道中に必ず災いが起こるとされた。

将門に対する信仰心は、祟りや厄災を鎮めることと密接に関わって現代まで言い伝われている。













         s-神田明神DSC_2923_01










以上、まだまだ将門の怨念が生きる、そして「大凶」のおみくじもある『神田明神』 でした。








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神社 | 18:39:19 | トラックバック(0) | コメント(0)
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