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~ 新・北斎展 HOKUSAI UPDATED ~
六本木ヒルズの一角 「森アーツセンターギャラリー」で、北斎の研究に生涯をささげ

昨年まだまだ若くして世を去った永田生慈(1951~2018)の研究と作品発掘の集大成として

氏によって企画された『新・北斎展 UPDATED』が始まりました。

早速お邪魔しました。




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森アーツギャラリーの玄関口です。

階段かEVで3階に向かいます。




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3階にあるここのブリッジを渡り、エレベーターで六本木ヒルズ森タワー52階の会場

「森アーツセンターギャラリー」へ向かいます。




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場内には、年代ごとに整理された、北斎の作品がこれでもかと展示されていました。

北斎ワールドに吸い込まれたようです。

「北斎オタク」にとってはたまらない世界ではないでしょうか。

私は、確かに北斎は好きですが、信州の小布施まで作品を見にも行きましたが

「オタク」ではないですネ。

まあ、にわか北斎ファン程度でしょうか。それでも今回の展覧会はわくわくしますネ。

沢山作品がある中で、目についた作品を紹介します。

北斎は、引っ越しの回数もさることながら、画号の数も30ほど改号しました。

作品と画号と合わせて紹介します。









【春朗期】      安永8年~寛永6年(1779~1794)  20~35歳


   勝川春朗と名乗り、20歳で浮世絵界にデビュー。

   役者絵や挿絵本を手掛けた。

   北斎の原点と言える時期だったのではないでしょうか。





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       ≪花くらべ弥生の雛形≫   天明4-5年(1784-85)










【宗理期】      寛政7年~文化2年(1795~1805)36~46歳



    勝川派を離れ、琳派の俵屋宗理を襲名した北斎は、浮世絵派とは一線を画した活動を

    展開するようになりました。優雅な刷物(非売品の特性版画)や狂歌絵本の挿絵

    肉筆画などを多く手がけます。やがて「宗理美人」と呼ばれる楚々とした女性像を

    創造するなど、独自の様式を築きました。

    あまり数が多くない所謂「大首絵」を描いたのもこのころではないでしょうか。

    




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  ≪「風流無くてなゝくせ」  ほおずき≫  享和年間(1801-04) 



洗い髪の女はほおずきをかむ癖、もう一人は手鏡を見る癖ですか。

今で言ったら、ガムをかむ癖とスマホを見る癖ですか。これは昔も今も

変わりないようですネ。










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   ≪円窓の美人図≫     文化2年(1805)    











【為一期】         文政3年~天保5年(1820~1834) 61~74歳   



   文政3年(1820)、61歳となった北斎は、号を「為一(いいつ)」

   改めました。そして70歳すぎると、「富嶽三十六景」をはじめとした北斎を代表する

   錦絵の揃物を次々と生み出していきました。風景画、名所絵はもとより花鳥画や

   古典人物画、武者絵、さらに幽霊などその関心はあらゆる対象に向けられました。

   驚くべきことに、世界を圧巻し世界に葛飾北斎ありと知らしめたこれらの色鮮やかな

   錦絵の出版は、70歳を過ぎたわずか4年ほどの間に集中していました。




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  ≪通称 グレートウエーブ 富嶽三十六景 神奈川沖浪裏≫   天保初期(1830-34)






すごい迫力ですネ。ベネシャンブルーが輝いています。

この迫力が「グレートウェーブ」「時間を止めた男」と言われる所以なんですネ。



この浮世絵には8色の色が使われています。

その色ごとに「版木」が彫師によって彫られます。その8枚の「版木」とその刷り上がり絵が

手順に沿ってわかりやすく掲示されていました。

おかげで錦絵の出来上がりの手順を理解することが出来ました。親切な掲示でしたネ。

それにしても、彫師はどのようにして彫り上げるのでしょうか。

今でしたら、原図を8枚カラーコピーしてそれぞれの版木に張り付け、必要なところだけ

浮かし彫にすれば、比較的容易にできるでしょうが、当時はカラーコピーは

ありませんから、誰かが「トレース」したのでしょうか。

しかも、「版木」ですから裏返して左右逆に彫らなければいけないのですから。

絵師もさることながら、彫師も刷り師も熟練のプロなんでしょうね。












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     ≪富嶽三十六景 凱風快晴≫     天保初期(1830-34)












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     ≪百物語 こはだ小平二≫     天保2-3年(1831-32)










【画狂老人卍期】     天保6年~嘉永2年(1835~1849) 75~90歳



    最晩年の北斎は肉筆画制作に傾注し、描くテーマも古典に取材した作品や花鳥

    静物、宗教的な題材など浮世絵の世界から離れ、独自の画境を追い求めていきます。

    長寿を願い100歳まで生きれば「神妙」の域に達し、さらに描く対象の「一点一格」が

    生き生きとしたものになると信じ、筆を休めることはありませんでした。

    嘉永2年(1849)4月18日朝、北斎は90歳で生涯を終えます。





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        ≪弘法大師修法図≫      弘化年間(1844-47)


疫病を鎮めた弘法大師を病魔である鬼が襲うシーンを描いた、縦150㎝、横240㎝の大作。

鬼と犬がにらみ合うなかで毅然と祈禱を続ける大師の姿は、達観した北斎最晩年の姿を

自ら描いているのでしょうか。




それにしても驚きですね。とても89歳の作とは思えませんね。

この迫力、力強さには感動します。

長野県小布施の上町祭り屋台天井図『怒涛図』や岩松院の『八方睨み鳳凰図』

同じころに描かれた力作です。

人間の思考をはるかに超えた、何か通じるところがありますね。










北斎は、号を変える度に、色々な「画力」を学び習得していったように思われます。

ある時は琳派に学び、ある時は洋画に学び、又宗教に学び景色に学びその都度画力と

絵師としての幅を成長させてきた。

まさに、今回の展覧会のサブテーマ”UPDATE”にふさわしく、現状に満足することなく

いつでも自分をUPDATEし続けたのが北斎ではないでしょうか。



北斎は、息を引き取る間際

    「天我をして五年の命を保たしめば 真正の画工となるを得(う)べし 」

と言って息を引き取ったと言われています。

「天があと5年の間、命保つことを私に許されたなら、必ずやまさに本物といえる画工になり得たであろう」

と言うことですよね。

ものすごい執念ですネ。まだ未熟と思っているんですね。まだまだ成長できると思っているんですね。

この言葉こそが、北斎が死ぬ間際まで自分をUPDATEし続けた証ではないでしょうか。

頭が下がります。  

合掌 !!



イヤー!!感動しましたネ。





北斎に、熱くさせられたので、隣の”毛利庭園”でクールダウンして帰りましょうか。




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以上 『新・北斎展 HOKUSAI UPDATED』 でした。
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芸術 | 23:13:57 | トラックバック(0) | コメント(0)
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