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アル酎ハイマーはいかい士

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~ お万の方 ~
 「安房勝浦」に来たもう一つの目的はこの『八幡岬』を訪れることでした。



茂原 お万の方 003






茂原 お万の方 001






ここ『八幡岬』は勝浦城(猿ヶ城)があったところです。

徳川家康に北条氏が滅ぼされた際、その支配下にあった勝浦城も徳川軍により責められ落城した。

その折、勝浦城主 正木頼忠とその子『お万の方(幼名 養珠)』は離れ離れとなった。

14歳の『お万の方』は母親と一緒に、母方の実家のある「伊豆」に身を隠した。

その後、母は伊豆河津城の城主 蔭山氏広と再婚し、『お万の方』はその養女となった。



yjimage.jpg





そして、運命の神様はなんといたずら好きなのか。

身を隠していたはずの『お万の方』の美しさと聡明さが評判になり、徳川家康の耳に入ることとなった。

家康の側室となった『お万の方』は二人の男子を生む。

聡明な母には聡明な子が授かるのか、一人目の頼宣は紀伊55万石、

二人目の頼房は水戸25万石をそれぞれ幼くして継ぎ当主となり、後の「御三家」の基礎を構築する。

頼房の子が、ご存じ「天下の副将軍 水戸光圀公」です。

したがって、『お万の方』は水戸光圀の祖母にあたります。



その『お万の方』の像が立っている。

姿は、後年の『養珠院』です。




茂原 お万の方 005



茂原 お万の方 004


凛々しいですネ。

知性あふれた!(^^)!をしています。

お会いしたかったです。









『お万の布さらしの崖』


徳川軍に追われた『お万の方』は40mもある断崖に布を垂らしそれを伝い、母と共に海へと逃れ

舟にて「伊豆」へ向かう。

その後『お万の方』は2度と勝浦の地を訪れることはなかったそうです。




お万の布さらし







『お万の方』は本当に正木頼忠の子なのか、本当に幼少時代をこの勝浦で過ごしたのか、

「出生」「幼少時代」には幾つかの諸説があるようですが、まだ真相は解明されていません。

しかし、頼忠の子として家康の側室となり、その兄や生き延びた頼忠がその恩恵にあずかり

家康の庇護を受けたのは事実です。

そして、この勝浦に『養珠院於萬の方』の像があるのも事実です。

いずれにしても、お隣の『南総里見八犬伝』のように戯曲ではなく

「史実」に基づいた話であることは間違いない。

歴史を知るって本当にわくわくしますよネ。

なおこの『お万の方』の記述は、『宿主 お万の方(養珠院)についての一考察』

を参考にさせてもらいました。





茂原 お万の方 006






「八幡岬」の横にこんなものもありました。

『官軍塚』です。

早咲の桜も咲いていました。



茂原 お万の方 012




茂原 お万の方 013



茂原 お万の方 014






戊辰戦争の末期、熊本藩主 細川よし邦が函館五稜郭で榎本武揚鎮圧に苦しむ実弟の

津軽藩主津軽承昭(つねあき)を救援する為、横浜で米国汽船を雇い、

熊本藩兵を350人乗せて函館へ向かった。

その船が川津沖で座礁難破し、地元民の必死の救助にも関わらず、130人が死亡した。

その遭難者を供養したのがこの『官軍塚』だそうです。

「五稜郭の闘い」に熊本藩も関係していたんですね。

いろんなところに「歴史」がありますネ。

本当に勉強になります。



『安房勝浦八幡岬』でした。
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歴史探訪 | 12:49:23 | トラックバック(0) | コメント(0)
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