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アル酎ハイマーはいかい士

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~ 小布施に来ちゃいました ~
長野で一番小さな町『小布施』に来ています。



DSC_街並6929







「神奈川沖」で時間を止めて、世界を驚嘆させた男、”葛飾北斎”「八方睨み」を観に

『小布施』に来ました。




葛飾北斎は、信州の豪商「高井鴻山」の招きで83歳で初めて信州・小布施に訪れて

その後、89歳まで幾度となく訪れて滞在し、晩年の絵の集大成に没頭しました。

”八方睨み鳳凰図”は北斎の肉筆画です。

北斎は40代後半までは、肉筆画を描いていましたが、

「冨嶽三十六景」などの風景画が評判となり、浮世絵版画中心の時期が続きました。

その後、人気絵師としての活動が一段落した北斎は、80歳を過ぎて再び肉筆画に取り組み

中国や日本の故事と古典に基づく作品や自然を主題にした肉筆画の創作に没頭しました。

高井鴻山は屋敷の敷地内に北斎専用のアトリエを建てるなどして、その肉筆画の創作を

全面的にバックアップした。

そのおかげで、ここ小布施には北斎の肉筆画が多く残されています。







”八方睨み鳳凰図”のある 『曹洞宗 梅洞山 岩松院』 です。






〖仁王門〗




運慶の「金剛力士像「」とはいかなかったようです。




DSC_八方6941_01











〖本堂〗



この本堂内の大間の天井に”八方睨み鳳凰図”が書かれています。




         DSC_八方6942_01











〖八方睨み鳳凰図・原図〗




天井絵の元となった原図です。

 縦 40cm・横・ 50cmの 軸物です。

江戸末期の嘉永元年(1848年)北斎89歳の時の作品です。







DSC_八方7016_01




北斎の”神奈川沖浪裏”を所蔵する大英博物館が2017年5月から

開催した北斎特別展「北斎ー大波の彼方へ」への出展を依頼され、

この『八方睨み鳳凰図・原図』を展示することになり、約3か月間展示された。

その結果、この原図の前は、鑑賞者の列が途切れることが無いほどの人気を呼んだそうです。










〖八方睨み鳳凰図・天井図〗



小布施滞在の最後に手がけたのが、鴻山にすすめられて描いた

原図の100倍、21畳もの大きさの岩松院の天井画「八方睨み鳳凰図」です。

一年がかりで描き上げた。

岩絵具は、中国より輸入した辰砂・孔雀石・鶏冠石などの鉱石を用い、

その費用は当時のお金で150両にもなったそうです。

スポンサーがいればこその結果でしょうか、

言い変えれば鴻山との共同作品ともいえます。

又、金箔を4,400枚使用した色彩光沢は、現在でも少しも変化していません。

北斎晩年の最大の作品と言われています。




DSC_八方7015_01











〖八方睨みの拡大図〗



顔の部分を拡大しました。

確かに、八方にらんでいます。

ルーブルの”美しきナーニ”とは違い、どこから見ても鋭い眼球がこちらを睨んでいます。




DSC_八方7017_01











〖鳳眼と鶏冠(とさか)〗



まなじりがが深く、朱を含んだ鳳眼は北斎が鶏冠と共に

思いを込め、一番力を注いで描いた部分です。

すごい、ど迫力ですネ。

どう見ても、90歳近い人間の仕業とは思えませんネ。

まして江戸時代の時の90歳ですから、今なら何歳位に当たるだろうか。

想像するだけで鳥肌が立ちます。




DSC_八方7019_01











ここ「岩松院」には、北斎天井図以外にも見るところがありました。



【福島正則の霊廟】



豊臣秀吉の重臣として、又広島城五十万石の大大名として君臨していた「福島正則」は

徳川幕府の謀略により、この信州の四万五千国の小大名に国替えさせられた。

失意の底にありながら、領主となった正則は領主内の改革に取り組み

新田開発などを行い、領民から明君として親しまれました。




         DSC_八方6943_01











【小林一茶】



本堂の裏庭にある小さな池は、桜の咲くころになると「ヒキガエル」が集まり

求愛をする「カエル合戦の池」として有名です。

一年の内5日間、昼夜を問わず約100匹のカエルの”くくみ声”が聴こえるのは

静かな山寺の春の風物詩となりました。




         DSC_八方6947_01









俳人小林一茶はこの「カエルの鳴き合戦」を見て、代表作と言われる

” やせ蛙 負けるな一茶 これにあり ”

の句を詠みました。


     病弱な長男 千太郎への声援の句ですが、その願いもむなしく

     千太郎は生後 一ヶ月足らずで他界してしまいました。




その句碑が池の奥に建立されています。




         DSC_八方6946_01






小布施には一茶の句碑が30ほど建立されています。

その中で3基だけが一茶の直筆です。

岩松院のこの句はその3基の内の一つです。

句碑には


”痩かへる まけるな一茶 是に有” と書かれています。












以上、大満足の 『岩松院 八方睨み鳳凰図他』 でした。
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芸術 | 22:45:19 | トラックバック(0) | コメント(0)
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