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アル酎ハイマーはいかい士

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~ 世界遺産 旧富岡製糸場 ~
嬬恋からの帰り道、念願だった『世界遺産 富岡製糸場 』にお邪魔しました。 

世界遺産に認定された直後は、かなりの見学者で混雑していると聞いているので

見学に来るのを見送っていたまま今日に至ってしまった。


広々とした工場敷地内には、沢山の施設が立ち並び、現在修復中の施設や

まだ手付かずの施設も少なくなかった。




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富岡製糸場は1872年にフランスの技術を導入して設立された官営模範工場であり、

器械製糸工場としては、当時世界最大級の規模を持っていた。

そこに導入された日本の気候にも配慮した器械は後続の製糸工場にも取り入れられ、

働いていた工女たちは各地で技術を伝えることに貢献した。

第二次世界大戦時のアメリカ軍空襲の被害を受けずに済んだ上、操業停止後も

片倉工業が保存に尽力したことなどもあって、繰糸所を始めとする開業当初の

木骨レンガ造の建造物群が良好な状態で現代まで残っている。2005年に敷地全体が

国の史跡に、2006年に初期の主要建造物(建築物7棟、貯水槽1基、排水溝1所)が

重要文化財の指定を受け、2007年には他の蚕業文化財とともに

「富岡製糸場と絹産業遺産群」として世界遺産の暫定リストに記載された。

2014年6月に世界遺産登録の可否が審議され、6月21日に日本の近代化遺産で初の

世界遺産リスト登録物件となった。





          DSC_富4360











〖繰糸所〗       国 宝



富岡製糸場の中で中心的な建物である。敷地中央南寄りに位置する、東西棟の細長い建物で、

木骨レンガ造、平屋建、桟瓦葺き。平面規模は桁行140.4 m、梁間12.3 mである。

繰糸は手許を明るくする必要性があったことから、フランスから輸入した大きなガラス窓に

よって採光がなされている。この巨大な作業場に300釜のフランス式繰糸器が設置された。

富岡製糸場に導入された器械製糸は、それ以前の揚げ返しを含まない西洋器械を

そのまま導入していた事例と異なっており、1873年から1879年の間に全国26の製糸工場に

導入された。





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〖東置繭所〗      国 宝



繰糸所の北側に建つ、南北棟の細長い建物であり、東置繭所、繰糸所、西置繭所の3棟が

「コ」の字をなすように配置されている。東西置繭所ともに1872年の竣工で、桁行104.4 m、

梁間12.3 m、木骨レンガ造2階建てで、屋根は切妻造、桟瓦葺きとする。

東置繭所は正門と向き合う位置に建物内を貫通する通路を設けている。





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〖首長館〗      重要文化財


別名ブリューナー館と言われた。繰糸所の東南に位置する、木骨レンガ造、平屋建、寄棟造、

桟瓦葺き。平面はL字形を呈し、東西33 m、南北32.5 mである。別名が示すように

ブリューナ一家が滞在するために建設された建物である。

この建物は面積916.8 m2と広く、一家(夫婦と子ども2人)とメイドだけでなく、

フランス人教婦たちも女工館ではなく、こちらで暮らしたのではないかという推測もある。

その広さゆえに、1879年にブリューナが帰国すると、工女向けの教育施設などに転用され、

戦後には片倉富岡学園の校舎としても使われた。従来工女教育のために竣工当初の姿が

改変されたことは肯定的に捉えられてこなかったが、むしろ富岡製糸場の女子教育の歴史を

伝える産業遺産として、その意義を積極的に捉えようとする見解も多い。






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〖検査人館〗      重要文化財


木骨レンガ造、2階建、南北棟の寄棟造で、桟瓦葺きとする。規模は東西10.9 m、南北18.8 mです。

もともとはブリューナがフランスから連れてきた男性技術指導者たちの宿舎として

建てられたものであったが、検査人ジュスタン・ベランとポール・エドガール・プラーは、

無許可で横浜に出かけ、怠業したという理由で1873年10月30日に解雇されていた。

また、ブリューナが教婦や検査人を連れて来たのとは別の時期(詳細日程未詳)に来日し、

1872年に雇い入れられた銅工のジュール・シャトロンも、1873年に富岡を離れていた。

このため、かわりに外国人医師の宿舎になっていた。






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まだ幾つかの施設があるが、内部が整備されているのは「操糸所」と「東置繭所」だけで

あった。もう少し整備が進んでいる状態を期待していったので、少し物足りなさを感じた。

今度は、もう少し整備が進んだ状態出来た時再来したいと思います。






以上、まだまだ修復途上の 『世界遺産 旧富岡製糸場』 でした。
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歴史探訪 | 04:26:25 | トラックバック(0) | コメント(0)
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