■プロフィール

アル酎ハイマーはいかい士

Author:アル酎ハイマーはいかい士
FC2ブログへようこそ!

■最新記事
■最新コメント
■最新トラックバック
■月別アーカイブ
■カテゴリ
■カウンター

■検索フォーム

■RSSリンクの表示
■リンク
■ブロとも申請フォーム
■QRコード

QR

~ 懐古園 ~
「小諸なる 古城の畔 雲白く 遊子(いうし)悲しむ・・・・・」

島崎藤村の「千曲川旅情のうた」でおなじみの

長野県、千曲川の畔にある小諸城祉 『懐古園』 にお邪魔しています。




懐古園・水の手展望台より千曲川を望む。

名前のとおり、千曲川は曲がりくねっていますネ。


DSC_懐古4231







天文23年(1554年)、甲斐の武田信玄の侵攻で小諸城の前身、鍋蓋城以下は

武田氏の手中に落ち、以後約30年間、武田氏の城代によって支配される。

信玄は、この地の重要性にかんがみ、重臣の山本勘助と馬場信房に命じて

鍋蓋・乙女城を取り込んだ新たな縄張りをさせ城郭を整備した。

これが小諸城の原型である。武田氏の滅亡後は、織田、徳川と支配が移ることとなる

天正18年(1590年)、豊臣秀吉が天下統一を果たすと、小田原攻めの軍功により

再起を果たした仙石秀久が5万石で小諸に封ぜられる。

秀久は城の大改修と城下町の整備に取り掛かり、今日遺構の残る堅固な城とした。

徳川による天下泰平の時代となり、仙石氏は秀久の子忠政のとき上田城に移り、

小諸城は徳川家光の弟の忠長の領有するところとなり、城代が置かれた。

その後もめまぐるしく城主が変わり、石高も5万石から近世中期までに2万石へと減らされたが、

重要な領地であることから、歴代藩主には徳川譜代等が配された。

明治4年(1872年)の廃藩置県で小諸城は役割を終え、明治13年(1880年)に城郭は

小諸藩旧士族へ払い下げられ、旧士族により本丸跡に懐古神社が祀られ、

「懐古園」と名付けられた。







〖三の門〗       重要文化財



小諸城は慶長元和年間に渡って城主仙石秀久によって築造されました。

この「三の門」もその時創建されたものです。

しかし、寛保2年(1742年)小諸城下を襲った大洪水により「三の門」は流失した。

その約20年後の明和年代に再建されて現在に至っている。





         DSC_懐古4204





DSC_懐古4203




1階は、桁行3間

     北脇に潜り戸を構え、隅金具・八双金具等が施されている。

2階は、桁行5間で、両脇に袖塀が設けられている。

     矢狭間(やざま)、鉄砲狭間が城郭の面影を残しているが

     梁間2間の住宅風の部屋になっているのが、特徴です。
     










〖大手門(四之門〗      重要文化財



小諸城は日本で唯一、城が城下町より低い位置にある「穴城」です。

大手門はその入り口の城門で、ここから本丸へ向かっては、迷路のような道と4つの門で

敵の侵入を妨いでいます。

大手門は小諸城の正門に当たり、慶長17年(1612年)藩主仙石秀久により

構築されました。この門を建てる際には、大工は江戸から呼び、瓦は三河から運んだとされ

当時はまだ瓦葺の屋根が珍しかったため「瓦門」と呼ばれました。

この実践的で、華美な装飾を省いた質実剛健な建築は、青森県の弘前城とともに

大手門の双璧と言われています。

明治維新後は民有となり、小諸義塾の仮教室や、一時料亭として利用されてきましたが

平成20年江戸時代の姿に復元されました。




         DSC_懐古4224





DSC_懐古4223





DSC_懐古4226




入母屋造 本瓦葺 楼門 で石垣と門が一体化されていない。

一階は、桁行五間、梁間二間で正面中央間の鏡柱等は太い柱が用いられている。

二階は、桁行七間、梁間三間、垂木には反り増しがあり、東西二室で畳敷きとし、

      座敷のようになっている。











  “懐古神社”


明治維新後、旧士族により、創建された神社で小諸城本丸跡に鎮座しています。

懐古園が”懐古神社”の境内にあることから懐古園の地主に当たります。




DSC_懐古4208










【社号標】




         DSC_懐古4209










【鳥居】




DSC_懐古4210




    ≪鳥居扁額≫




         DSC_懐古4211











【手水舎】




DSC_懐古4212












【本 殿】




DSC_懐古4217





    ≪本殿 扁額≫




         DSC_懐古4218










【神池】


大きな錦鯉が元気に泳いでいました。




DSC_懐古4214










以上、 小諸なる古城の畔 『懐古園』 でした。
スポンサーサイト


旅・はいかい | 05:44:16 | トラックバック(0) | コメント(0)
コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

FC2Ad