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アル酎ハイマーはいかい士

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~キューポラを訪ねて~
荒川の風に吹かれて「川口」に来ました。

キューポラ・川越 024

キューポラ・川越 026

川口と言えば”鋳物の街”鋳物の街と言えば”キューポラのある街”
キューポラのある街と言えば”吉永小百合”ですよネ。
”吉永小百合”いい響きですよネ。団塊の世代の方々にとっては”聖なる響き”ですネ。
”綺麗”でしたよネ。もちろん今でも綺麗ですけど。
”かわいい”でしたよネ。もちろん今でもかわいいですけど。
”清楚”と言う言葉は”小百合さん”の為にある言葉ではないでしょうか、
”清らかに咲いた可憐な花”そのまんまですネ。
当時の男性はみんな”サユリスト”でした。

DSCN9121吉永小百合


 ”巨人・大鵬・卵焼き”の大鵬こと納屋幸喜さんも戴きました。”巨人のミスター”こと長嶋茂雄さんも戴きました。”国民栄誉賞”次はも~う決まってますよネ。”阿部ちゃん” 頼むよ!”晋ちゃん”
 話を本題に戻します。今日は”キューポラ”を探します。で、探してみましたが、予想通りと言うか、予想以上に見当たりません。ほとんどが「マンション」になっちゃてます。
 時代の流れと言えば流れなんででしょうが、何かもの悲しいですネ。
”キューポラのある街”が”ベットがある街・ベットタウン”になっちゃいました。シャレにもなりませんネ。
でも、、、諦めずもう少し探してみます。

キューポラ・川越 025

キューポラ・川越 027

 ここでおさらいですが”キューポラ”とは、鋳物を作る時に鉄を溶かす「溶鉱炉」のことを言うのだそうです。その「溶鉱炉」には必ず「煙突」が付いており「溶鉱炉」の象徴として「煙突」を”キューポラ”とも言うそうです。昔はその「煙突」があちこちの工場の屋根から出ていたのでしょうネ。
 でも、今はその風景はありません。

キューポラ・川越 036

キューポラ・川越 037

キューポラ・川越 021

キューポラ・川越 035


 でも何とか、いました”頑固者”が。ボロボロになりながら頑なに”鋳物工場”を営んでいる”頑固者が。
なんか外からでも「がんばれ」と声をかけたくなりますネ。まるでゴール寸前で、倒れそうに「よろよろ」ふらついているマラソンランナーのように。(そんなマラソンランナーが川口市の職員にいましたネ。彼もキューポラの血を引く頑固者か)
 昔、鋳物工場を探すときは「煙突」を探せばよかったのでしょうが、今は古ぼけて、壊れそうなトタンかスレートの工場を目指せば、それは、「鋳物工場」です。さみしいですね。しかし、わずかな光がありました。”キューポラ”そのものを造る工場があったんです。まだ”キューポラ”の需要があるということですよネ。少しほっとしてます。

21kawaguchi1(運動公園)


 DSC_0082.jpg


 川口の西に、野球場や陸上競技場を備えた「青木町公園運動場」がある。休日ともなるとスポーツを楽しむ人々でにぎわいます。その運動場の片隅に、人目を避けるかのように「逆三角錐」の形をした2メートルほどの高さの「鋳物」が置かれています。
 これは、1964年に開催された”東京オリンピックの聖火台”です。もちろん実物大の複製です。本物は代々木の国立競技場に大切に置かれています。ですが、あの時の”聖火台”が川口の鋳物工場で作られたと言うことは、川口にとって、大変な「誇り」なのでしょうネ。

1964_Cauldron.jpg


しかしこの”聖火台”を造るにあたっては、少し「いわく」があるようです。
この”聖火台”は「東京オリンピック」より前の「第3回アジア大会」の為に造られた”聖火台”だそうです。当時この”聖火台”の発注にあたっては、制作日数がなさすぎる上に、制作費用もかなり不足していた為、誰も「請け手」がいませんでした。それを聞いた川口の”鋳物師(いもじ)”の親子が、「日本の為」「川口の名誉の為」と採算を度外視して請け負ったそうです。
 作業は昼夜を問わず行われ、作業を開始して2か月後、やっとの思いで”キューポラ”から鋳型に鉄を流す「湯流し」に、こぎつけたそうです。「湯流し」とは建築で言うところの「棟上げ式」にあたる節目の行事でもあるそうです。ところがこの「湯流し」の作業を終えた直後、鋳型が爆発を起こし赤く焼けた鉄が工場内に飛び散ってしまったそうです。幸いけが人は出なかったそうですが、この光景を目の当たりにした父親でもある「親方」は、ショックのあまり倒れてしまいその後、起き上がることもなく、8日後に亡くなられたそうです。

DSC_0083.jpg

息子さんの方は事故後、早速制作を再開したそうですが、約束の納期までは、1か月足らずです。それこそ「寝食」を忘れて、父親の抜けたハンデとも戦いながら、制作に没頭したそうです。最初の時の意気込みとは裏腹に、間に合わなければ「日本の恥」「川口の恥」と念仏のように言い続けて歯を食いしばったそうです。そのため、
父親の亡くなったことも「葬儀」の日まで知らされなかったそうです。葬儀の当日知らされた息子は作業着のまま「自転車」で駆け付けたそうですが、葬儀場に着いた時には、「霊柩車」は無情にも出た後だったそうです。
 そんな苦労の甲斐もあってか、不眠不休の末、何とか納期に間に合ったそうです。
 そしてそんな「いわく」のある”聖火台”が日本の技術の象徴として、晴れて東京オリンピックの”聖火台”として再び採用されることになったそうです。
 日本中が「東洋の魔女」の偉業や「円谷幸吉」の快走に酔いしれている裏にはこんなエピソードが隠されていたのですネ。感動です。
 息子さんはもう亡くなられたそうですが、亡くなるまで毎年「東京オリンピック」の開催された10月10日には、「代々木の国立競技場」へ出向き”聖火台”磨いていたそうです。お父さんに会いに行ったんでしょうネ。
お父さんと昔話をしながら”聖火台”を磨いていたんでしょうネ。
 以来この”聖火台”のモニュメントは川口の”鋳物師(いもじ)の誇り”として今でも語り注がれているそうです。”深いい話”ですネ。
  やるね  ”川口”
  アッパレ ”川口”
  もの造り ”川口”
  やっぱりもの造りは”人造り””ハート造り”ですよネ。
 
そうだ。もし”吉永小百合”が”国民栄誉賞”をもらったら、川口駅前に”銅像”を建てよう。
いやいや、失礼しました。”鋳物”で建てよう。



  待ってろよ”川口の鋳物師達!!” 


と言うわけで、今日は”キューポラのあった街”川口 の散歩でした。






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旅・はいかい | 19:22:28 | トラックバック(0) | コメント(0)
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