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アル酎ハイマーはいかい士

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~ 丸岡城 ~
JR芦原温泉駅からバスで20分

福井県坂井市丸岡にある、現存する天守閣の中で最古の歴史を持つ天守閣

国重要文化財に指定されている 『丸岡城』 です。




         DSC_丸岡1853






『丸岡城』 は天正4年(1576年)織田信長の命により柴田勝家の甥

勝豊によって築かれた。

城が襲われる度に、大蛇が現れ霞をかけて城を守ったと言う逸話から

”霞ケ城”と呼ばれている。現在はさすがに霞はかかりませんが

城を囲んだソメイヨシノが、開花の時期になると薄いピンクの霞をかけ

幻想的な景色を作り出し、まさしく”霞ケ城”の姿を現すそうです。

しかし残念ながら今はまだ桜は咲いていません。




         DSC_丸岡1826





「野面積み(のずらつみ)」と言う古い技法で積まれた石垣の上にそびえる『丸岡城』は

外観は2階建てですが、内部は3階建て(二層三階建)となっている。

その城内に入るにはまず急な石段を登らなければならない。




         DSC_丸岡1835











城内には、「石落とし」や弓を射る為の「狭間」などが造られていて

江戸時代に入ってから造られたような、威厳を示すための豪華で大きな城ではなく

実践的な備えを持った造りになっている。

上階に行くには、急な階段を「登り綱」の助けを借りて登ります。




        DSC_丸岡1836





DSC_丸岡1844









最上階からは丸岡の町が一望できます。




DSC_丸岡1842





DSC_丸岡1841








丸岡城主は、初代柴田勝豊から始まり、その後明治維新まで17代続きました。

江戸時代に入り、福井藩から丸岡藩が分離されると「本多成重」が初代丸岡藩主となり

以後本多家が4代83年間、有馬家が8代174年間藩主を務めた。














〖お静の涙雨〗



丸岡城築城の際、天守閣の石垣が何度も崩れるので「人柱」を入れることとなり

子をかかえて苦しい生活をしていた「お静」は子を侍に取り立ててもらうことを条件に

「人柱」となることを承諾した。

「お静」が「人柱」となった後、丸岡城は無事完成したが、柴田勝豊は近江長浜へ移ることとなり

結局「お静」の子を侍に取り立てることにはならなかった。

それからというもの、田植えの時期になると必ず大雨が降り、

堀から水が溢れ出て洪水となり田植えの妨げとなった。

人々はこれを”お静の涙雨”と呼び、

今日まで言い伝えられてきた。




        DSC_丸岡1829











〖一筆啓上〗



徳川家康の忠臣「本多作左衛門重次」が、長篠の合戦(1575年)の折

陣中から妻にあてて送った手紙が、短い文章の中に大事なことが簡潔明瞭に

言い尽くされていると言うことで、今日まで名文として言い伝えられている。

”一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ”  

この「お仙」とは後の初代丸岡藩主となる「本多成重(幼名:仙千代)」のこと。




         DSC_丸岡1827



今風に言い換えれば

”一筆啓上 詐欺用心 亭主泣かすな 親肥やせ”

でしょうか。




坂井市は、日本一短い手紙を題材に全国から手紙を募り、平成5年から「一筆啓上賞」

を設け、町づくり事業に取り組んでいる。

これまでに応募された手紙は、100万通を超えているそうです。











〖霞ケ城公園〗



丸岡城周辺は日本庭園式公園として整備され「日本の歴史公園百選」に選ばれている。




DSC_丸岡1825





         DSC_丸岡1831









以上、桜の咲くのを待ちかねる『丸岡城』 でした。
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旅・はいかい | 16:55:55 | トラックバック(0) | コメント(0)
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