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アル酎ハイマーはいかい士

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~上野東照宮再訪~
toushouguu.jpg


以前来た時は、上野の山の「桜」と東照宮の「ぼたん」の真っ盛りで、黒山の人だかりでした。

仕方なく、鳥居だけを拝観させていただき、帰宅(正確には、花見の探索)しました。

今回はじっくり拝観させてもらおうと思います。


image葵の紋



 東照宮と言うと「日光東照宮」が有名ですが、そのほかにも全国に沢山の東照宮があります。

成立ちや、その所属によって下記のように分類されるそうです。

   ・将軍家の東照宮

   ・大名が祀る東照宮

   ・社寺境内の東照宮

   ・天領の東照宮
 
   ・有力者や庶民が祀る東照宮

   ・その他(棺を日光に移遷する際の道筋の各所

この中の天領の東照宮になんと択捉島も含まれているそうです。

imageCAT9LIU3択捉


択捉島は天領だったのですネ。  ビックリ!!  早く返してよ!!

行って観たいですネ「択捉の東照宮」

imageCAVOZ7MQ択捉


神男(かみお)神女(かみじょ)の皆さん一緒に行きましょう。

でも今はどうなっているのでしょうか。

ロシアはちゃんとi維持・管理してくれているのでしょうか。

プーチン!大丈夫か? 

日本の文化まで奪うなヨ。

シリアの尻拭いしてる場合じゃないゼ。

心配ですネ。



「上野東照宮」は、三代将軍家光によって現在の形に造られました。

そのいきさつは、家康公の「遺言」にあるそうです。

その「遺言とは」


image家康



   ・遺体は駿河国の久能山に葬ること

   ・葬儀は江戸の増上寺で行うこと

   ・位牌は三河国の大樹寺に収めること

   ・一周忌後に下野の日光山に小堂を建てて勧請すること

   ・そして神に祀られることにより「関八州の鎮守になる」


だそうです。

その最後の「神として祀られる」を実行する為に家光が「上野東照宮」が建てられたそうです。


そういう訳で「大鳥居」をくぐります。

上野東照宮 001




材質は石造で「重要文化財」に指定されています。

この鳥居は奉納されてから50年後ある事件により、地中に埋められたのですが、

そのまた50年後に掘り起こされて現在の位置に立て直されたそうです。

たかが「鳥居」と言えども”悲しい歴史”を秘めているのですネ。


上野東照宮 003




鳥居を潜ってすぐに「山門」が見えます。

えぇ~! 神社に「山門」ですか?

いや! やはり違いました。本来は右横にあった「御水舎(おみずのや)」の上屋を移築して、

最近(50年ほど前)「門」として「リユース」したそうです。

その為に「水舎の門(みずのやもん)」と言うそうです。

しかし、このような歴史的建造物を、初期の目的とは違うものに「リユース」して良いものでしょうか???

復元改修でしょう。


上野東照宮 004



「水舎の門」をくぐると、両側にズラリと石灯籠が並びます。

200基以上あるそうです。整然としていて壮観です。


imageCA7SWX8Uお化け燈籠


「水舎の門」の左奥にひっそりと仲間外れのように立っているのが「お化け燈籠」です。

高さは6.06Mもあります。

日本三大燈籠に数えられているそうです。



09_ph11_2dl.jpg


参道を歩き、社殿に近づくと石燈籠が青光りした「青銅燈籠」と替わります。

50基ほどあり、これはこれで重みがあり、荘厳な趣です。

この「青銅燈籠」も「重要文化財」です。



上野東照宮 007


参道の両側に二つの「水舎(みずのや)」あります。

左側の「水舎」には水盤に水が張られてあり「手水処」として現在も使われています。


KICX6740御水舎鈴


右側の「水舎」には水盤に水はなく、上部に大きな鈴が下げられているだけです。

何か意味があるのでしょうか。

「鈴の水舎」です。

「上野東照宮」には、入り口の門になった「水舎」とを合計すると3つの「水舎」が存在した事になる。

珍しいですネ。

身分によって分けたのか、参道が複数あったのか、判りません。



「鈴の水舎」の横奥に記念碑のような物があります。

左右に千羽鶴が掛けられています。

これが「原爆の火」です。

「広島・長崎の火」です。

上野東照宮 008


中央の石版に埋め込まれたガラス窓の奥に小さな灯が燈されています。

原爆の投下により広島が焼野原になった時の「火」です。


広島の惨禍を生き抜いた福岡県の星野村の方が、叔父の家の廃墟に燃え残っていた「原爆の火」を、

故郷の星野村へ持ち帰り「恨みの火」として密かに灯し続けたそうです。

しかしながら長い年月の中で、いつしか「平和を願う火」として灯すようになったそうです。

その後、星野村は、この「広島の火」を「平和の火」として村民あげて今でも灯し続けています。

この星野村の「広島の火」が1990年に「上野東照宮」のモニュメントに点火されて、

今日ここに至っています。

世界唯一原爆を経験した国民の一人としてこの「原爆の火」は大事に残したいですネ。




参道の途中にある「神楽殿」と「寛永寺 五重塔」です。


上野東照宮 006


「神楽殿」は他の神殿造りと違って、場違いな「数寄屋造り」です。

それでも総檜の無節正目材の素地仕上げだそうです。


image.jpg


「寛永寺の五重塔」は、なぜかフェンスの向こう「上野動物園」の中にあります。

「東照宮」に来た人には見せたくないのでしょうか。

「動物園」に来た人だけに見せる意味があるのでしょうか?

それとも、単なる縦割り行政の副産物なのでしょうか。





ともあれ、いよいよ本社殿入り口「唐門」と「透塀」です。


上野東照宮 009


img_1585897_17031530_1唐門


v2透塀





本社殿を囲う「透塀」との間には左甚五郎作の金色に輝く「登り竜・降り竜」があり豪華絢爛です。

「透塀」の上下にも豪華な彫り物が嵌め込まれています。


上野東照宮 010


「金色殿」は金箔をふんだんに使った豪華な造りと聞いています。

「本社殿」「透塀」「唐門」は「重要文化財」にしていされています。

「本社殿」は修復中(2013中には終了予定)で残念ですが拝観することはできませんでした。

次の機会の楽しみと言うことで今回は我慢です。

上野東照宮神社 003




以上~上野東照宮再訪~でした。














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神社 | 14:50:37 | トラックバック(0) | コメント(0)
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