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アル酎ハイマーはいかい士

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~ 水天宮 ~
建て替えの為、浜町の仮宮に移転していた『水天宮』が3年ぶりに新社殿が完成し

遍座されて、元の蠣殻町に戻ってきました。
  



DSC_1603_01.jpg






新社殿が載っている下階の一部が道路と同レベルの入り口へ向かう通路になっている。

この通路も含め、地震時にはゆっくりと水平方向にのみ動き地震の揺れを減衰する

”免震構造”となっている。

緊急時に必要とされる公共施設以外では珍しいし、神社では初めてではないでしょうか。





         DSC_1604_01.jpg




DSC_1607_01.jpg












所在地          東京都中央区日本橋蠣殻町二丁目4番1号

主祭神          天御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ)

                  日本の神々の祖先神で広大無辺なご神徳を表される

                  と言われている


               安徳天皇(あんとくてんのう)  

                  高倉天皇と建礼門院との間の皇子、3歳にして第81代天皇に

                  即位された。

                  寿永4年(1185)、8歳のおり、壇ノ浦の合戦にて

                  源氏に破れ、二位の尼に抱かれて壇ノ浦に入水。


               建礼門院(けんれいもんいん)

                  平清盛の2女として生まれ、18歳で高倉天皇の中宮と

                  なり、後の安徳天皇を出産する。

                  壇ノ浦の合戦後は、平家一門の菩提を弔い余生を過ごした。


               二位の尼(にいのあま)

                  平清盛の正室で名は時子、孫の安徳天皇と西国へ逃れたが

                  壇ノ浦にて、源氏に敗れ安徳天皇を抱いて入水したとされている。









〖由来・歴史〗


平家勢が壇ノ浦の合戦で破れた後、「二位の尼」に”生きてわれら平家一門の霊を慰めよ”

と命を受けた「官女・按察使局伊勢(あぜちのつぼねいせ)」が九州筑後川の辺、

鷺野ヶ原に逃げ延びて安徳天皇を初め平家一門の霊を祀る祠「水天宮」を建てた。

それが、「久留米水天宮」の始まりとされている。



その後、水天宮は当地の久留米藩歴代藩主・有馬家により丁重に崇敬されてきた。

文政元年(1818年)、9代藩主有馬頼徳が久留米藩江戸屋敷に、日々参拝が叶うよう

その分霊を三田の邸内に勧請した。

これがこの『江戸水天宮』の始まりです。

本来は、社が藩邸内にあるため一般参詣は出来ない決まりだったが、

幕府に申請し、「関与しない」との黙認を許可されて、毎月5の日に一般に開放されるようになった。

すると、あっという間に江戸中の人気となり”情け有馬の水天宮”

と語呂合わせの流行言葉まで生まれるほどになった。

今で言うところの「流行語大賞」よりも、もっとロングスパンの

「販促用キャッチコピー」でしょうか。


賽銭や奉納物、お札の売り上げ、などを合わせると年間2000両ほどの収入となり、

財政難であえぐ久留米藩にとって貴重な収入源となった。







有馬家との縁は現在でも続いており、2016年現在の宮司 有馬頼央は

有馬家の当主でもあります。













〖入り口と社号標〗 


神域に邪悪なものが入るのを防ぐ、”御門の神”を祀る為の門 『隋神門』を

イメージして造られていのでしょうか。






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外壁はコンクリートの素地のまま、所謂「打ち放し仕上げ」となっています。

コンクリートの素地の力強さを表現していますが、仕上げをするより

はるかに「手間」と「苦労」と「費用」がかかります。

おまけに、ここはコンクリートに模様がついています。

”杉本実(すぎ、ほんざね)模様”です。   

コンクリートそのものに「板目」の模様が浮き出ています。

しかも、もう一つ言うとその「実(さね)」の部分に僅かな隙間を開け、

その隙間に、均等に コンクリートを流し込んであります。 

これは、すごい! 

その隙間に打ち込まれたコンクリートの突起が”水平リブ”となって、

観る者に建物の水平方向への広がりを誘っています。



昨今、コンクリートの強度と耐久性の確保の為、流動性の少ない堅いコンクリートを使用

するのが主流ですが、その堅いコンクリートでこんな狭い空間にコンクリートを

密に充填差せるのは至難の業です。

施工者の苦労と努力が覗われます。


 ”あっぱれ!!” です。




         DSC_1610_01.jpg











〖随神像〗 



正に”隋神門”を意識しているのが解かります。

しっかり「随身像」が2体置かれていました。




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〖狛犬〗



青銅製

立派な狛犬です。

「仮宮」にはなかったので、どちらかえ預けておいたのでしょうか

創られたのは「名」の知られた方なんでしょうネ。


”荘厳”の言葉そのままです。




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〖手水舎〗


2本の大黒柱を中心に6本の柱でしっかりと造られています。

雨天の事を考えて、軒を長くしているのでしょうか。




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吐水口の竜も力強いです。

特注なんでしょうか。




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〖大鳥居〗


拝殿の屋根と同じ真新しい銅板が貼られています。

この鳥居は、新社殿の為に新しく造られたようです。




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〖拝殿〗




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〖宝生弁財天(ほうしょうべんざいてん)〗



     久留米藩第9代藩主有馬頼徳が加賀藩主第11代藩主前田斉広と

     宝生流能楽の技を競った際、この弁財天に願をかけ見事に勝利した。




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〖安産子育て河童像〗




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〖子宝いぬ〗




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「神社」と「仏閣」とは、色々違いがありますが一番の違いは

「仏閣」は古いものを保存し残しますが、

「神社」は、全てではありませんが"式年遷宮""式年造替"があり

建替えが行われます。

「守る」ことも大切ですが「新しくする」と言うのもワクワクする新鮮な

気が引き締まる大切にしたい伝統です。

長く残さなければならない「伝統」です。







以上、平成30年に江戸鎮座200年を迎える、新生なった『水天宮』でした。





          
         DSC_1634b-crop.jpg










〖追伸〗



水天宮から歩いて直ぐの「人形町」は大好きな町の一つです。

昔からの伝統を引き継いだ老舗が沢山あります。

ぜひ、寄ってみたかったのですが、残念ながら時間の関係で

素通りでした。今度はじっくり伺いたいものです。

特に、 すき焼き・しゃぶしゃぶの”人形町今半”

元祖親子丼・軍鶏鍋の”玉ひで”

お土産に時々利用させていただいている、京粕漬の”魚久”

かぁ~。よだれが出てきますネ。

今度こそ、”いくぜぃー!!”



                         以上、お騒がせしました。





         
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神社 | 22:25:30 | トラックバック(0) | コメント(0)
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