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アル酎ハイマーはいかい士

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~ 広瀬神社 ~
「岡城跡」の麓に、珍しい神社があります。

『広瀬神社』です。


この神社には、神様ではなく実在の人物、しかも軍人を祀っています。

「旅順口閉塞作戦」で活躍した『広瀬武夫中佐』です。


岡城祉と広瀬神社とキリシタン 017



岡城祉と広瀬神社 015





岡城祉と広瀬神社 とキリシタン016





明治元年に竹田市に生まれた「広瀬氏」は、小学校の教師をしていたが退職し、

海軍兵学校に入学する。

明治30年ロシアに留学し、その2年後ロシア駐在員となる。

ロシアの貴族社会で交際を広げ、多数の人脈を築き上げた。

「日本のサムライ精神」を持った「広瀬氏」は、多くのロシア人から慕われ、ロシア人の恋人も出来た。

そんな中、日本は明治37年、ロシアに戦線布告し、日露戦争が勃発した。

「広瀬氏」は意に反し、「旅順口閉塞作戦」に参加し、ロシア軍と対峙することになる。

そして、2回目の作戦中に「旅順」にて戦死する。



hida09(旅順口)








将来を嘱望され、優秀な軍人でもあった「広瀬氏」は日本初の『軍神』となった。

そして、生まれ故郷の豊後竹田の地に『広瀬神社』が造られることとなった。



岡城祉と広瀬神社とキリシタン 018




岡城祉と広瀬神社とキリシタン 019




岡城祉と広瀬神社 とキリシタン020




岡城祉と広瀬神社とキリシタン 021







父親の仕事の関係で、少年期を過ごした飛騨高山の「飛騨護国神社」内に、広瀬氏の銅像が建てられた。



hida06.jpg








いずれにしても、当時の軍国主義の政府の思惑、政策が垣間見えるような感じがします。

もちろん「広瀬氏」の残した功績には何の陰りがあるわけではありません。

当時の日本人にはめずらしい「世界観」を持った、素晴らしい人物だと思います。

別な、伝え方をしたらまた別の価値が見いだせたのかもせれません。



岡城址と広瀬神社とキリシタン 032









以上『広瀬神社』の広瀬武夫中佐でした。














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神社 | 10:26:34 | トラックバック(0) | コメント(0)
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