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アル酎ハイマーはいかい士

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~ 権現堂桜堤(ごんげんどうさくらつつみ) ~
関東地方でも有数の桜の名所として知られる埼玉県幸手市の『権現堂堤』 に

お邪魔しています。

本来なら今の時期は例年50万人以上の観光客が訪れる「幸手さくらまつり」の真っ最中の

はずですが、今年は「コロナウイルスの拡散防止」のため中止を余儀なくされています。

それでも、桜見たさのDNAを持った人達が我慢しきれず、少し恐る恐る集まって来ています。

もちろん私もその一人です。

そんな人間の思惑などお構いなく、は綺麗に咲き誇っています。

中川の堤防上約1kmにわたって、約1000本の桜並木が続いています。

そしてその足元には、桜に負けじとばかりに「黄色い菜の花」が咲き乱れて

見る人の目を惹きつけています。




s-権現堂桜DSC_1960_01





s-権現堂桜DSC_1961_01










「権現堂」と言うあまり聞きなれない地名ですが、その名の由来は

江戸時代後期に幕府が編さんした地誌「新編武蔵風土記稿」(しんぺんむさしふうどきこう)に

記されており、 ..村の中に「三つの権現」があったことから、「権現堂村」と名前が付けられたと

考えられています。




s-権現堂桜DSC_1975_01





s-権現堂桜DSC_1965_01











「権現堂堤」は江戸時代天正年間に利根川の支流(現在は分流)である権現堂川の堤防として

築かれたのが』始まりです。

かつては6 kmにわたり約3000本の桜があり、大正時代から桜の名所として賑わっていました。

その後、利根川や江戸川の流路変更や堤防の決壊、形状が変更等が繰り返され、終戦前後には

燃料不足の為桜が伐採されたりして変貌してきましたが、最終的には1949年(昭和24年)、

旧権現堂川堤防のうち中川の堤防として残った部分へ、改めてソメイヨシノを植樹したものが

現在の『権現堂桜堤』として生まれ変わりました。

なお、その後の1988年(昭和63年)には周辺の休耕田に菜の花(アブラナ)が植えられ

「桜と菜の花の名所」 といられる景色が出来上がりました。




s-権現堂桜DSC_1976_01














ポツポツと2~3組ほどの方がシートを敷いてお花見気分を味わっています。

でもさすがに盛り上がりには少し欠けているようです。




s-権現堂桜DSC_1978_01






何度かお邪魔して、こちらで写真を撮影させていただきましたが

これほど人影の少ない桜満開の写真が撮れたのは初めてですネ。




s-権現堂桜DSC_1990_01










『権現堂堤』は桜だけではなく、5月末から7月初に「幸手あじさいまつり」

9月中旬から10月上旬頃「曼珠沙華祭り」  1月上旬から2月上旬頃まで「水仙まつり」

を開催しています。「コロナウイルス騒動」が沈静化したら別の華もカメラに収めに来てみたい

ものですね。








以上、いつもとは違う賑わいの『権現堂桜堤』 でした。









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旅・はいかい | 21:29:37 | トラックバック(0) | コメント(0)
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