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アル酎ハイマーはいかい士

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~ 蕨市民公園 ~
「新型コロナウイルス拡散防止対策」で、外出や集会などの自粛が叫ばれている状況なので

当然例年のような「花見」などできるはずもないので、今年は近所の公園の「桜」を見て

おとなしくしておこうと思い、こちらを覗きに来てみました。

日本で一番面積が狭く、人口密度が一番高いと言われている埼玉県蕨市の『蕨市民公園』です。

自宅からは、散歩がてらゆっくり歩いて10分程でこれます。




s-蕨公園桜DSC_2003_01








子供たちも沢山いますネ、やはり学校へ行けないストレス、運動ができないストレスが

たまっているようです。ここぞとばかりに大声を出して、元気には走りまわっています。




s-蕨公園桜DSC_1994_01






広場の南端に小さな流水池がありますが、ここも子供達の恰好の遊び場になっています。

ここは、もう少し日にちが経つと、桜の花ビラが散り敷き詰められて”ミニ花筏”

出来上がります。ちょっと綺麗ですよ。






s-蕨公園桜DSC_1995_01








この公園は、昭和60年に開園された公園で、広さは3.3hと蕨市の中では一番広い公園です。

本来であれば、この公園は事前申し込みでバーベキューができる公園として人気がある

のですが、今年は残念ながらコロナウイルスにより現在は中止になっています。




s-蕨公園桜DSC_1996_01





s-蕨公園桜DSC_2000_01








例年であれば、公園のあちこちでBBQの煙と香ばしい香りが立ち込めて、お花見気分を

大いに盛り上げるのですが、今年は違いますネ。お酒を飲んでいる方もいないようです。

飲酒も禁止になったのでしょうか。

やはり、通達とウイルスの怖さのせいでしょうか、人出は通達を無視したような渋谷界隈とは

違い例年の4分の一程度でしょうか。人だまりに隙間が出来ています。





s-蕨公園桜DSC_2008_01










写真を見てお気づきになった方もいると思いますが、この公園の桜は

芝生の広場を囲むように植えられていて、枝だけでなく幹までもが芝生の広場に向かって

庇のように被さって伸びています。

その大きな桜の庇の下でお花見や宴会ができるんですネ。

素晴らしいセツエイションですね。

返す返すも、今年は残念ですが。

まあ、通りすがりに見る程度にしておきましょうか!




s-蕨公園桜DSC_2013_01





s-蕨公園桜DSC_2015_01






桜並木に沿って広場の周りをぐるっと一回りしてみました。

桜は綺麗に咲き誇っているのですがネ!! 残念!!




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以上、ちょっと寂しい、でも子供は元気な『蕨市民公園』 でした。









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旅・はいかい | 10:00:15 | トラックバック(0) | コメント(0)
~ 権現堂桜堤(ごんげんどうさくらつつみ) ~
関東地方でも有数の桜の名所として知られる埼玉県幸手市の『権現堂堤』 に

お邪魔しています。

本来なら今の時期は例年50万人以上の観光客が訪れる「幸手さくらまつり」の真っ最中の

はずですが、今年は「コロナウイルスの拡散防止」のため中止を余儀なくされています。

それでも、桜見たさのDNAを持った人達が我慢しきれず、少し恐る恐る集まって来ています。

もちろん私もその一人です。

そんな人間の思惑などお構いなく、は綺麗に咲き誇っています。

中川の堤防上約1kmにわたって、約1000本の桜並木が続いています。

そしてその足元には、桜に負けじとばかりに「黄色い菜の花」が咲き乱れて

見る人の目を惹きつけています。




s-権現堂桜DSC_1960_01





s-権現堂桜DSC_1961_01










「権現堂」と言うあまり聞きなれない地名ですが、その名の由来は

江戸時代後期に幕府が編さんした地誌「新編武蔵風土記稿」(しんぺんむさしふうどきこう)に

記されており、 ..村の中に「三つの権現」があったことから、「権現堂村」と名前が付けられたと

考えられています。




s-権現堂桜DSC_1975_01





s-権現堂桜DSC_1965_01











「権現堂堤」は江戸時代天正年間に利根川の支流(現在は分流)である権現堂川の堤防として

築かれたのが』始まりです。

かつては6 kmにわたり約3000本の桜があり、大正時代から桜の名所として賑わっていました。

その後、利根川や江戸川の流路変更や堤防の決壊、形状が変更等が繰り返され、終戦前後には

燃料不足の為桜が伐採されたりして変貌してきましたが、最終的には1949年(昭和24年)、

旧権現堂川堤防のうち中川の堤防として残った部分へ、改めてソメイヨシノを植樹したものが

現在の『権現堂桜堤』として生まれ変わりました。

なお、その後の1988年(昭和63年)には周辺の休耕田に菜の花(アブラナ)が植えられ

「桜と菜の花の名所」 といられる景色が出来上がりました。




s-権現堂桜DSC_1976_01














ポツポツと2~3組ほどの方がシートを敷いてお花見気分を味わっています。

でもさすがに盛り上がりには少し欠けているようです。




s-権現堂桜DSC_1978_01






何度かお邪魔して、こちらで写真を撮影させていただきましたが

これほど人影の少ない桜満開の写真が撮れたのは初めてですネ。




s-権現堂桜DSC_1990_01










『権現堂堤』は桜だけではなく、5月末から7月初に「幸手あじさいまつり」

9月中旬から10月上旬頃「曼珠沙華祭り」  1月上旬から2月上旬頃まで「水仙まつり」

を開催しています。「コロナウイルス騒動」が沈静化したら別の華もカメラに収めに来てみたい

ものですね。








以上、いつもとは違う賑わいの『権現堂桜堤』 でした。









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旅・はいかい | 21:29:37 | トラックバック(0) | コメント(0)
~ 鷲宮神社 ~
昨今のウイルス事情により、人の沢山集まる催しや集会などの自粛で外出すら疎まれている

状態なので、ブログもなかなかはかどりません。

そんな中、周囲の人から1メーター以上の間隔を保ちながら行ってまいりました。

人気アニメ「らき☆すた」のモデルにもなった、埼玉県久喜市に鎮座する『鷲宮神社』 です。




s-鷲宮神社DSC_1926_01









社  号          鷲宮神社


鎮座地           埼玉県久喜市鷲宮1丁目6番1号

主祭神           天穂日命(アメノホヒノミコト)

               武夷鳥命(タケヒナトリノミコト)

               大己貴命(オホナムヂノミコト)

社各等           准勅祭社

               県社
          
               別表神社

創  建          (伝)神代(別宮・神崎神社)

               (伝)景行天皇の時代(鷲宮神社)

例  祭          3月28日











【由緒・沿革】



社伝によれば、出雲族の草創に係わる関東最古の大社とされ、かつては「鷲宮大明神」、

「浮島大明神」、「大酉元祖」とも称された。

神代の昔、天穂日命と御子神の武夷鳥命が東国を経営するため、お供の昌彦・昌武の父子と

出雲族27人の部族と共に当地に到着し、地元の部族と共に当地の鎮守として大己貴命を

祀ったのに始まると伝える。これが、現在の別宮である神崎神社であった。その後、

日本武尊が東国平定の際に当地を訪れて戦勝祈願を行い、別宮を建てて天穂日命と

武夷鳥命を祀ったという。この別宮が現在の本殿である鷲宮神社とされる。

ただし、これらのことは『延喜式神名帳』や『国史』に記載がない。











【社号標】




          s-鷲宮神社DSC_1927_01












【大鳥居】




         320px-Washimiyajinja_torii.jpg






ただし、この大鳥居は現存してはいない。(一枚目の掲載写真参照)

2018年、3月11日に老朽により倒壊してしまいました。


”ショック、声も出ない…らき☆すた聖地・鷲宮神社の大鳥居

が倒壊 100年前に建立 鳥居の根元にハチの巣”
  




01.jpg



                                         ≪埼玉新聞記事より≫     










【狛犬】



勇猛そうな狛犬です。

この姿で後ろ足が宙に浮いていれば「逆さ狛犬」になるのですけどネー!




s-鷲宮神社DSC_1929_01      s-鷲宮神社DSC_1928_01










【手水舎】



残念ですネ! コロナウイルス対策の為使用禁止となっていました。

う~ん、ここまでするかー!




s-鷲宮神社DSC_1934_01



うーん?

と言うことは、手や唇を清めなくても神様の前に出て、お参りしても構わないと言うことか!

その上、清め水ではウイルスを清められないと言うことか!

では、どこまで何を清められるのか?

神様に聞いてみましょうか!











【拝殿】



シンプルな造りです。




s-鷲宮神社DSC_1935_01





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【本殿】



本殿が2つ並んでいます。どちらも立派な本殿です。

手前は鷲宮神社、奥が神崎神社の本殿です。




s-鷲宮神社DSC_1938_01







反対側からのほうがよくわかります。

今度は左が神崎神社、右が鷲宮神社の本殿です。

手前が鷲宮神社のj拝殿になっています。神崎神社には拝殿はありません。

両本殿共外見はほぼ同じように造られていますが、屋根の上に載せてある「鰹木」が

3本と5本で少し差をつけてあります。




s-鷲宮神社DSC_1948_01









【神楽殿】




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【境内社】



   ≪みいけ社≫


光天之池(みひかりのいけ)の奥にあります。



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   ≪諏訪大神≫ 


社殿、祠はありません。  




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   ≪粟島神社≫




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   ≪鹿島神社≫




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   ≪姫宮神社≫




         s-鷲宮神社DSC_1949_01










   ≪八坂神社≫




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2007年から放映されたアニメ『らき☆すた』のオープニング映像の背景画に使われたのが、

今は亡き大鳥居とその隣の「大酉茶屋 わしのみや」です。

久喜市には『らき☆すた』放送後3年間で、参詣者の増大により推定22億円という多大なる

経済効果がもたらされたと言われています。



s-鷲宮神社DSC_1952_01









参道の入り口であることを示す「宮前橋」 です。




s-鷲宮神社DSC_1954_01










「宮前橋」の掛かる「育毛堀川」の護岸には河津桜と菜の花が植えられています。

河津桜はさすがにほとんど散りかけていますが、菜の花はまだ頑張っています

一週間前なら綺麗にコラボしていたと思われます。




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s-鷲宮神社DSC_1957_01









以上、アニメの恩恵で埼玉県で「大宮氷川神社」に次ぐ第2位の参詣者数を誇る

『鷲宮神社』 でした。






【御朱印】




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神社 | 20:38:43 | トラックバック(0) | コメント(0)
~ 日本橋川クルージング Ⅱ ~
神田川、順天堂医院前から再スタートです。

「お茶の水橋」 です。

さすがにこの橋には手を振ってくれるような観光客はいないようです。




s-日本橋クルーズDSC_1844











「JR御茶ノ水駅」 です。

現在駅の増築中ですが、工事量に比べ作業スペースが圧倒的に少ないので

お濠の中に作業ステージを構築してから本工事を行っています。




s-日本橋クルーズDSC_1845











「聖橋」の真下にいます。




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「聖橋」を越えたこの辺は、幾つかの電車路線が交差しているところなので

多種の電車が見れるところから「撮り鉄」の人気スポットになっているようです。


「地下鉄 丸の内線」 がいきなり現れ頭上を走る珍しい光景です。




s-日本橋クルーズDSC_1864_01








「丸の内線」の真下にいます。



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「JR 総武線」 です。

ここで、総武線と中央線が別れます。




s-日本橋クルーズDSC_1867_01











「昌平橋」横の中央線ガード下です。

飲食店が並びます。




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秋葉原の南、万世橋の横に見える赤レンガの高架線路。中央線の電車が行き交うその下に、

JR東日本グループが運営する商業施設「マーチエキュート神田万世橋」があります。

ここにはかつて、現在の鉄道博物館の前身にあたる交通博物館、さらにその昔には国鉄の

万世橋駅がありました。

万世橋駅は、1912(明治45)年に中央本線の始発駅として開業した駅です。

しかし、1943(昭和18)年に不要不急の駅として、営業休止(事実上の廃止)に

追い込まれました。

 しかしながら戦後、「交通博物館」として再スタートを切り、半世紀以上にわたって多くの人々に

親しまれてきました。残念ながら万世橋駅自体が復活することはありませんでしたが、

ホームや階段などの設備は、閉鎖されたままで保存されていました。

 2006(平成18)年5月14日、交通博物館が閉館し、残された旧万世橋駅の遺構を利用して、

2013(平成25)年9月に、近代的商業スペースとして「マーチエキュート神田万世橋」

オープンしし、若者の人気のスポットとなっています。




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昭和通りにある「和泉橋」 です。




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「左衛門橋」周辺は”屋形船”の停船場です。

夜の仕事に向けて只今、休憩・仮眠中でしょうか。




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柳橋を潜るといよいよ隅田川と合流です。船は右に曲がり隅田川を下りますが

振り返ると「JR総武線」の陸橋の後ろにスカイツリーがそびえます。




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「清洲橋」 です。

当時世界最美の橋と呼ばれたドイツのケルン市にあったヒンデンブルグ橋の大吊り橋を

モデルにして造られました。

2007年(平成19年)6月18日に、都道府県の道路橋として初めて勝鬨橋・永代橋と共に

国の重要文化財(建造物)に指定されました。







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「清洲橋」の手前に、隅田川と旧中川を結ぶ全長5㎞の人工運河「小名木川」があります。

1590年頃、徳川家康は、兵糧としての塩の確保のため、小名木四郎兵衛に命じて、行徳までの

運河(開通後、小名木川)を開削させました。この運河の開削によって、安全に塩を運べるようになり

かつ経路が大幅に短縮されました。

その後、塩以外の品物の運搬や、成田参詣客なども運ぶようになって、行き交う物量が増大し

江戸物流の重要河川となっていきました。



正面に写る橋は小名木川入口の「万年橋」です。




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「小名木川」の途中には、日本では珍しい運河の水位を強制的に変える、ミニパナマ運河と

言われる”扇橋閘門(おおぎばしこうもん)” があります。

珍しいので、これを観るクルージングツアーもあります。

(扇橋閘門の記事はこちらから)










左端の中央あたりに小さく銅像のようなものがありますが、見えますでしょうか。

ここは江戸時代の俳人 松尾芭蕉の芭蕉庵のあったところで、見えているのは

松尾芭蕉の座像です。

有名な”奥の細道”もこの地からスタートしました。



 座像をアップします。




DSC_0047_s.jpg





このブロンズ像は時間によって向いている方向が変わります。

タイマーで朝の10時と夕方5時に自動的に45度回転します。

10時は北側(公園の入口側)、5時には清洲橋側に回転します。

このブロンズの製作は「コンペ」によって決められましたが、回転させることは

当初から入札の条件であったそうです。











「清洲橋」を通り過ぎて振り返ります。

スカイツリーを橋のセンターにして写真が撮れるのは清洲橋のこの位置しかありません。

”撮り橋、撮りスカ、撮り河、撮り隅田”の方々のシャッタースポットです。

船長さんもよくご存じのようで、しばらく船を止めていただきました。




s-日本橋クルーズDSC_1913_01











「永代橋」 です。

改修と改装工事のためしばらく工事用足場に包まれていましたがやっとそれが外されました。




s-日本橋クルーズDSC_1919_01





橋の正面の高層マンション群が「石川島」です。

江戸時代には「人足寄場」と言われ、犯罪者を集めて強制労働をさせたところです。

明治に入ると「富国強兵」政策の一環で「造船所」置かれ、一時は日本を世界一の造船大国に

のし上げた日本を代表する重工業一つがが存在していました。

そえが今は超高層マンションの様変わりしました。

この景色を「日本のマンハッタン」と呼ぶ人もいます。



右端の橋脚の頭が突き出て見えているのが「中央大橋」でその後ろが、徳川家康が大阪から村ごと

人を呼び寄せ、ここに住まわせて漁の特権を与えて漁師をさせた「佃島」です。

「佃煮」の発祥の地です。

(佃島の記事はこちらから)











「永代橋」の手前を右に曲がり、スタートした「日本橋川」に戻ります。

日本橋川を入るとすぐに、お洒落な姿の「湊橋」があります。

江戸時代ここを往来したと思われる”一本マストの帆掛け舟”のレリーフがシンボルになっています。

このような舟を通すために江戸の町中にある橋は皆中央がせり上がった「太鼓橋」になって

いるんですネ。現在の宅配便のように当時はこのような帆掛け舟が流通の主役だったのでしょう。




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「隅田川」から約500mほど上るとまた首都高が現れます。

ここから先は又、空のない川に戻ります。

日本橋川で空が見えるのは隅田川からここまでの500mだけなんです。




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以上、昔は川や運河が流通の主役であった歴史が垣間見れた

『日本橋川クルージング Ⅱ』 でした。







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旅・はいかい | 09:25:48 | トラックバック(0) | コメント(0)
~ 日本橋川クルージング ~
今度は船に乗り、川の中から日本橋界隈を見てみたいと思います。

乗船場は日本橋の南詰「滝の広場」です。





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クルージングをする日本橋川は、神田川から分岐し真南に流れて日本橋の下を流れる川です。

江戸時代に入り、三崎橋から堀留橋までが埋め立てられ堀留となリましたがそれから近年に

至るまで流域は経済・運輸・文化の中心として栄えました。江戸時代には堀の両側には

岸が点在し、全国から江戸にやってくる商品で賑わいました。




201111_feature_05_full(日本橋Ⅱ)







特にこの乗船場の対岸にあたる、北詰にあった”魚河岸”は江戸一番の賑わいを呈し

一日の売り上げがなんと1000両にもなったと言われています。

今の金額に換算すると、一両が20万円として約2億円の金が毎日動いていたことになります。

すごいですネ。 おそらく当時では世界一の規模を誇る魚市場であったと思われます。




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そんな魚市場跡からクルージングがスタートします。

船から見た「三越」です。

三越のマークの周りに彫刻されているのは魚ではなく「イルカ」です。




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河川上空を首都高速5号池袋線の高架が覆っています。 これが日本橋川には空がないと

言われる所以です。




         s-日本橋クルーズDSC_1809_01







日本近代資本主義の父と言われ、約500社の設立に携わり、このたび新一万円札の顔に

なることも決まっている「渋沢栄一」の銅像が、常盤橋公園に立っているのが垣間見れます。




         s-日本橋クルーズDSC_1811_01










相変わらず無機質な天井が続きます。




s-日本橋クルーズDSC_1815











「女性の社会的地位向上のための自活の能力の習得」と「自立した女性として必要な教養の習得」

と言う二つの精神から1886年(明治19年)に設立さえた「共立女子大学」です。

千代田区のど真ん中に、広大なキャンパスを有しています。




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千代田区役所です。




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神田川に合流です。




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神田川を右折するとすぐのところに「東京都清掃局」があります。

集めたごみをホッパーから船に移し、埋め立て地まで運びます。




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東京ドーム付近です。




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水道橋です。通行人が手を振ってくれています。

皆さんフレンドリーですネ。




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通称「お茶の水渓谷」 です。

下部の水路は神田川が溢れそうになった時のバイパス水路です。




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中央線の登りです。




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「順天堂大学医学部付属順天堂医院」


1838年(天保9年)、江戸薬研堀(現在の東京都中央区東日本橋二丁目6番8号)に

蘭方医学塾(和田塾)を開学したのがはじまりの古い歴史を持つ大学附属病院ですが、

診療所等に付けられることの多い「医院」という呼称を開院以来一貫して用いている。

一日平均4500人程の来院者があるそうです。




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今回のクルーズの行程の約半分過ぎました。

ちょっとここで休憩します。

以上、『日本橋川・神田川クルーズ』 でした。







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旅・はいかい | 22:47:29 | トラックバック(0) | コメント(0)
~ 東京 裏街散歩 日本橋 ~
職場が近いこともあって何度も通っているのですが、歴史を紐解きながら改めて今と昔が同居する

「日本橋界隈」を散策してみようと思います。

まずは”今中の今”昨年出来上がったばかりの三井タウンの最終形「コレド室町テラス」

この辺は来るたびに景色が変わっていましたが、これで少し街がおちつくかも。

地下1階から地上3階までは沢山の珍しい飲食店が軒を連ねています。






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その裏にどんと”昔”を構えている、日本経済の心臓とも言うべき「日本銀行本館」です。

一見すると外国の景色のようですネ。




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日本銀行本店は、江戸時代の「金座跡」に建っています。

まさしく、建つべき建物が歴史の上に建っている景色です。

建てられたのは、明治29年、設計は東京駅も設計した「辰野金吾」でしす。

ベルギーの中央銀行を模範にしたと言われています。

1階は石造り、2階3階も外観からは石造りに見えますが、地震対策としてレンガ造りに

表面に石を積んだ「石積みレンガ造り」です。




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通用口です。

アーチ状の入り口の「要石」のところに日本銀行の紋章が掛けられています。




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咆える2頭の雄ライオンが6個の千両箱を踏まえて後ろ足で立ち、

日本銀行のシンボルマーク「めだま」を抱えた青銅製の紋章です。




s-日本銀行DSC_1788_01











金座跡に建つ日本銀行ですが、江戸時代ここで造られた小判は今のお金にするとどれぐらい

の価値になるでしょうか。

正確な答えは何を基準にするかによってかなり差が出てきますが、例えば米を基準にすると

おおよそ5万円、労賃を基準にすると当時は労賃が安いので30万ほどの価値にもなります。

又、今も昔も庶民の共通の食べ物である「蕎麦代」を基準にすると15~16万円になります。

丁度米と労賃の中間に当たるのですが、私はどちらかと言うとやや賃金方に近いような

気がするので約20万円と覚えるようにしています。

次に、千両箱の重さはどれくらいでしょうか。

小判は1枚18グラムありますから1000枚で18キロになります。箱が約2キロほどあるので

合計で20キロになります。盗賊が蔵から千両箱を盗み出したとしても簡単に運べる重さでは

ないですね。だからドラマではよく舟が使われたのでしょうか。











「日本銀行」の道路を挟んで向いに見えている屋上の塔は、デパートの「三越本店」です。




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では続いて、その「三越」です。



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1673(延宝元)年に三井高利が創業した時の屋号は、高利の祖父の時代まで「越後守」を

名乗る武士であったことから「越後屋」とし、その後三井家の姓を取った「三井呉服店」となり、

1904年、「三」と「越」を取って「三越呉服店」となり1928年に現在の屋号「三越」となリました。




         s-クルーズDSC_1806_01







以前、近江商人のことを書いた書物を読んだ中で、記憶によると三越の創業者の時代は

あまり商売は順調ではなく、後に商売を引き継いだ近江商人によって今日の繁栄の

礎が築かれたとありました。 したがって三越も高島屋や西武グループ、伊藤忠商事などと

同様近江商人による成功例の一つだと書かれてありました。

いずれにしても、世界初の「掛け値なしの正札商売」が当たったのは事実ではないでしょうか。










尚、隣の敷地に両替商(現在の三井住友銀行)を併設したのは、「越後屋」を創業した

10年後の1683年です。

写真は、「江戸桜通り」から三井本館を見た写真です。




         s-日本銀行DSC_1790_01












再開発地区の真ん中に忽然と現れました。

古い歴史と由緒を持つ、新しく生まれ変わった神社『福徳神社』 です。

一時は神社としての敷地が無くなり、ビルの屋上へ移ったり、ある時代は居酒屋の中に

押し込められたりした「福徳神社」の再建はこの再開発のコンセプトでもあったようです。

慶長19年(1614年)徳川二代将軍秀忠より直接名付けられた「別称 芽吹神社」への

地域の人々の思いが込められた再建だったようですネ。





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ビルを背にして建つ拝殿です。






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4方をビルに囲まれています。




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「福徳神社」の詳細はこちらの記事をお読みください。











日本道路元標のある「日本橋」です。

慶長8年3月3日(1603年4月14日)徳川家康による全国の道路網(街道)整備計画に際し、

初代の日本橋(木造の太鼓橋)が架けられました。現在ある石橋は20代目の日本橋です。

木造だった以前の橋(明治5年築)に替わり、大都市東京にふさわしい新たな橋として

1908年(明治41年)に着工、1911年(明治44年)に完成した。石造二連アーチ橋で、

橋の長さ49メートル (m)、幅27 m、設計は米本晋一。橋柱の銘板にある「日本橋」の揮毫は

徳川慶喜によるのものです。

現在の日本橋は1999年(平成11年)5月13日国の重要文化財(建造物)に指定されています。






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各柱にはそれぞれに獅子や麒麟の像が彫刻されています。

東京市の紋章を抱えた獅子像です。

ちなみに獅子像は片側16頭,両側で32頭置かれているそうです。




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麒麟像には日本の道路の起点となる日本橋から飛び立つというイメージから、麒麟伝説には無い

翼が付けられています。

上部に首都高を構築する際日本橋の柱の上部を残すために上下線を二つに分けてその

中央に日本橋の柱の頭だけが飛び出るようにしました。




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日本橋上空に首都高が走っているのは都市景観を損ねるとして多くの意見がある中

国土交通省は首都高の地下移設に向け、具体策の検討に入ることを決めた。

事業費は数千億円かかる見込みで、2020年東京オリンピック・パラリンピック後の着工を

目指している。竣工は10〜20年かかる見通しとありますがいまだに、いつ、だれがどのように

検討するのか具体案は発表されていない。







以上、歴史のたっぷり詰まった『東京 裏街散歩 日本橋』 でした。








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旅・はいかい | 19:22:40 | トラックバック(0) | コメント(0)