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~ 築土神社(つくどじんじゃ) ~
「平将門の怨念」を、神田明神が祭神とする遥か前から祭神として祀っていた神社があります。

「築土神社」です。

今は九段下のビル街で怨念とは程遠いようなハイカラなコンクリートの姿の

神社になっていますが、まだまだ怨念の血は燃え尽きていないようです。





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社  号          築土神社

鎮座地           東京都千代田区九段北1-14-21

主祭神           天津彦火邇々杵尊(あまつひこほのににぎのみこと)

相  殿           平将門公 菅原道真公

社格等           村社

創  建            940年(天慶3年)









〖由緒・沿革〗


首級の飛来の話は怨念を強調した話のように思われますが、史実としては将門所縁の者が

首桶に首級を納め、密かに持ち帰り、現在の千代田区大手町周辺の観音堂に祀ったのが

始まりと云われています。

この観音堂が“津久戸明神”と称され、徳川幕府にも篤く扱われ親密な関係が続いた。

当社内には、震災で社殿が消滅するまで平将門の首(頭蓋骨や髪の毛)そのものが

安置されていたと言われ、数ある将門ゆかりの社寺の中では、将門信仰の象徴的神社と

なっていました。

明治に入ると教部省の指示により朝廷に反旗を翻した将門は相殿に格下げされ、

「天津彦火邇々杵尊」が主祭神となって社号も『築土神社』し現在に至っている。

つまり、未だに『築土神社』 の本来の姿には戻っていないと言うことになる。

これでは、将門の怨念は消えるどころか益々燃え上がるのではないでしょうか。









〖社号標〗




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〖鳥居狛犬〗





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〖社殿狛犬〗



社殿の前にも荘厳そうな狛犬が置かれていました。

築土神社の歴史を示す狛犬です。

頭に角があるのが「狛犬」宝珠を載せているのが「獅子」と区別していたころの狛犬です。




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〖手水舎〗




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〖本殿〗




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   ≪扁額≫




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〖境内社・世継稲荷〗





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〖御朱印〗





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以上、将門の怨念が渦巻くパワースポット『築土神社』 でした。









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神社 | 13:30:58 | トラックバック(0) | コメント(0)
~ 将門の首塚 ~
それは皇居のお濠にほど近い、大手町のビル群に囲まれながら、篤く祀られていた。




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〖将門伝説〗



奈良時代、全国津々浦々の治安の悪化に乗じて一族の内乱を皮切りに武器力と豊富な

馬を利用した騎馬隊を駆使して、あっという間に関東八か国を自分の手に治めてしまった

時代の寵児がいました。

それが”平将門の乱”の張本人「平将門」 です。

将門は、関東八か国だけに収まらず、ますます勢力を伸ばしていた。

しかしながら彼は自らを”新皇”と名乗り面と向かって朝廷と

対立を露わにした。

朝廷は、早速、諸社諸寺に怨敵(将門)退治の祈祷を命じ、藤原忠文を征東大将軍に任命して

将門の乱の鎮圧に向かわせた。その結果、この討伐軍が到着する前に将門は、地元の

武士である藤原秀郷等に討たれてしまいました。





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戦いに敗れた将門の身体は、現在の茨城県坂東市の延命院に埋葬されましたが、

首級(しゅきゅう)は平安京に運ばれ都大路の河原にさらされました。しかし、無念やるかたない

首級は腐りもせず目を見開き、「胴体と首をつないでもう一戦しよう!」 と、

夜な夜な叫んだと云われています。

そして3日目に首級は、切断された胴体を求めて夜空に舞いあがり、故郷の東国に向かって

飛んでいき、数ヶ所に落ちたとされています。その首級の落ちた最も著名な伝承地が、

ここ千代田区大手町にある「将門の首塚」です。

将門の魂は、無念の気持を抱えたままこの地に葬られたのでした。





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〖将門首塚伝説〗


「将門の乱」は一件落着となりましたが、将門のすさまじい怨念は後世まで続きます。

そしてこの大手町の首塚にもその怨念が形となって現れるのです。

最初の不可思議な現象は、関東大震災で全焼した大蔵省庁舎の再建の時です。

首塚を壊してこの地に仮庁舎を建設して営業していた僅か2年の間に、大蔵大臣を始め

関係者が14名も亡くなり、それ以外にも多くの怪我人・病人が続出した。

これは「将門の祟り」ではないかとのことから仮庁舎は程なく取り壊されて他の地に移設されました。

次は戦後になり米軍が首塚を取り壊し始めたところ、重機が横転し運転手が亡くなったことから

米軍は伝説を考慮し、急遽工事を中止してしまいました。

更に昭和の高度成長時代、首塚の土地の一部が売却され、その地に建った日本長期信用銀行の

首塚に面した席の行員が次々に病気になると言う怪奇な事態が発生しました。

「長銀」はお祓いをして厄払いを祈願し事を納めたと言います。

これ以外にも将門の祟りは枚挙に暇がなく、現在でも隣接するビルは首塚に尻を向けないように

フロアがレイアウトされていたり、首塚を見下ろすようなことのないように窓は設けないなどの

配慮がされていると云ったことが実しやかに囁かれており、1000年以上経過した現代でも、

その怨念が続いていることを物語っています。




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〖カエルの置物伝説〗



「将門首塚」の周りには大小の”カエルの置物”が置かれています。


なんの呪いなのか

将門の怨念に関わるのか




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「将門の首塚」のあるここ大手町には日本の経済を左右するようなリーディングカンパニーが

軒を連ねています。その企業の中には、海外や関連企業に左遷された「企業戦士」も数多く

います。その方々が、首を切られた将門の首が京都から飛んで帰ってきた伝説に我が身を

重ね、いつか「無事に帰ってくる」ことを願って蛙の置物を供えて左遷の地へ旅立つのです。

サラリーマンんの「哀愁」「夢」とが「将門伝説の中」に溶け込んでいます。


何せ、サラリーマンにとって、 ”首切り””島流し(左遷)” は明日は我が身ですから

首を切られた者同士だからこそ解り得る怨念の世界があるのかも知れません。




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以上、千年たっても消えないどころか現在の怨念も重ねて渦まく『将門の首塚』 でした。









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歴史探訪 | 17:23:50 | トラックバック(0) | コメント(0)
~ 越谷 香取神社(大沢香取神社) ~
埼玉県には、先に参詣した「久伊豆神社」が元荒川流域を中心に分布しているのに対し

西側の荒川流域には「氷川神社」が、東側の中川流域には「鷺宮神社」が、そして

利根川・江戸川流域には「香取神社」が多数分布している。

なんとなく、人や町が川の流れに沿って発展進歩してきたのが判るような気がします。


今日は、”大落古利根川”流域で、東武スカイツリーライン”北越谷駅”の目の前に鎮座する

『越谷 香取神社(大沢香取神社)』にお邪魔しています。




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この時期ならではの神楽殿の「春もみじ」です。




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社  号          越谷 香取神社(大沢香取神社)

鎮座地           埼玉県越谷市大沢3-13-38

主祭神           経津主大神(ふつぬしのおおかみ)

社格等           村社

創  建          不詳

例  祭          10月9日











【由緒・沿革】



香取神社は、約六百年前室町時代後期の応永年間(1394-1427)に下総国一の宮(千葉県

佐原市)香取神宮の御祭神・経津主大神を御分霊し、香取大明神として大沢村鷺後(さぎしろ)に

一村の鎮守として勧請連立された。奥州街埴(後の日光街道)の整備により武州大沢宿が

できたのに伴い、寛永のころ(1624-1644)鷺後から現在の大沢の地に移した。

現在の本殿は明治元年に再建されたものであり本殿周囲の彫刻は見事です。

また本殿の屋根は昭和六十年に修復された。











【社号標】




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【一之鳥居】




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    ≪鳥居扁額≫



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【狛犬】



一之鳥居を潜ると、古い狛犬が二対参道に置かれていました

いかにも歴史を感じさせる姿ですネ。




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こちらがさらに古く宝暦元年(1751)奉納の狛犬だそうです。




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【二之鳥居】




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    ≪鳥居扁額≫


天満宮と書かれているのは明治以降後当社に合祀された神社の鳥居が移設された

ものと思われる。



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【三之鳥居】




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【狛犬灯篭】


三之鳥居を潜ったところに灯篭と言うのか狛犬と言うのか珍しいものが置かれていました。

初めて見ました。

灯篭が狛犬の上に載っています。

対ではなく単体でした。

重そうですネ。

今なら「動物虐待」でしょうか。




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【手水舎】




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【狛犬】



拝殿前の狛犬です。

神様にお尻を向けないようにお行儀よく横向きに座っています。



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【拝殿】


戦後再建されました。鉄筋コンクリート造です。

朱色が綺麗ですね。




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    ≪拝殿扁額≫




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【奥殿・本殿】


本殿は明治元年(1868)に再建されたものが現存しています。

奥殿は慶應2年(1866)に再建されたものです。

四方がすべて浮かし彫りになっています。




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彫物師 浅草山野町 長谷川竹次良によるもので、高砂の翁・龍など縁起物の彫刻が

色々と施されています。





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北面には川面で布を洗ったり、竹竿にかけて干すという「紺屋」の労働作業を表現した彫刻が

されている。江戸時代の大沢町は、紺屋の盛んな地域で、当地の産業を彫刻したものと見られる。




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【御朱印】




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イヤーッ!色んなところに、いろんなものがあるんですね。

現地を見るまで全く知りませんでしたネ。

今日は何か得をしたような気分です。

感謝!   







以上 小粒だがきらりと光る『越谷 香取神社 』 でした。   








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神社 | 23:45:42 | トラックバック(0) | コメント(0)
~ 越谷アリタキ植物園 ~
面積は7,200m2で、越ヶ谷久伊豆神社隣接してあります。

園内にはメタセコイアやナンキンハゼ、菩提樹などの巨木や、ハーバード大学から贈られた

マロニエなど約3,500種類の樹木や花などがある。

いずれも国内外の植物研究機関と交換したりして集めたもので、北米原産の巨木

ラクウショウと高さ20メートル近いタブノキは市の天然記念物にも指定され、

学生や教師、研究者らが多く訪れています。

元々は、植物学者の有瀧龍雄が私有地に自身の研究を兼ねて、アリタキアーボレータム

として開園していた。

有瀧の没後、「植物園あるいはそれに類する施設として存続すること」を条件にした遺言により

遺族から越谷市にアーボレータムが遺贈された。

越谷市はボランティアによる植生調査などを経て植物園を整備し、「越谷アリタキ植物園」と

名称を変えて、越谷市の植物園として新たに開園した。




植物園の前に紅白の「ハナミズキ」が綺麗に咲いていました。




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『ハナミズキ』の花言葉は「永続性」「返礼」「私の想いを受けてください」です。









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ハナミズキが日本へやってきたのは1915年。当時の東京市長、尾崎行雄が米国ワシントンD.C.へ

サクラを寄贈した際、そのお返しとして「ハナミズキ」が日本に贈られました。

そして「返礼」の花言葉がつけられていました。

桜とはまた違う美しさがありますネ。




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名前はわかりませんが園内に可憐に群生していました。




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「アメリカハナズオウ」




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色々な種類の樹木があったのですが、ちょっと写真にはしづらかったので

この辺にしておきます。

以上 『越谷アリタキ植物園』 でした。」

旅・はいかい | 20:21:27 | トラックバック(0) | コメント(0)
~ 久伊豆神社 ー境内社他ー ~
境内社とその他目についた物、報告します。


【旧官幣大社南洋神社鎮座跡地 遥拝殿(きゅうかんぺいたいしゃなんようじんじゃちんざあと

ちょうはいでん】




南洋神社は、南洋群島の中心地パラオ(現パラオ共和国のコロール島)に昭和15年2月11日、

皇紀2600年に際して、昭和天皇の格別の思し召しにより創立された神社です。

その御祭神を「皇祖天照大神」一座とする官幣大社であり、伊勢の神宮の「南洋における分社」

ともいうべき神社でした。その後、昭和20年8月の終戦によって、御社殿は御焚き上げとなり、

神社の祭祀は終結、社殿跡地が残るのみとなりました。しかし、創立以来、南洋の地で開拓・

入植に励んだ方々が、また戦時下、遥か遠く故郷を離れて南方の戦地へと赴いた部隊・兵士

たちが篤い祈りと誓いを捧げられた神社でもあります。

伊勢の神宮と旧南洋神社との御神縁・御神慮を拝し、神宮当局の御指導・御協力を賜って

平成16年4月11日久伊豆神社境内に「旧官幣大社南洋神社鎮座跡地遥拝殿」が建立

されました。




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【祖霊社】



「久伊豆神社」に関わる祖先が祀られています。




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    ≪石灯籠≫


上野東照宮や名古屋の熱田神宮のお化け灯篭に匹敵するような

大きな灯篭がありました。




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【埼玉稲荷神社】




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【その他 境内社】



そのほか沢山の境内社が鎮座していました。




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【御神池】




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池のふちに綺麗な「春もみじ」が真っ赤に紅葉していました。

ツツジとのコラボレーションです。




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【参道】



参道の途中にありました。


   ≪狛犬付き灯篭≫



遊び心でしょうか。

灯篭を守る狛犬はおかしいでしょ。




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    ≪巨木≫


参道からはみ出て真横に伸びていました。

木を下から見上げている写真ではありません、まっすぐ前から見ています。

残念ながら木の名前が判りません。




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  ≪藤棚≫



池のほとりに藤棚があります。

残念ながら今はまだ咲いておりません。

GWの中ごろには咲いてくるのではないでしょうか。

満開になるとこのようになります。




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                                     【久伊豆神社公式HP】



お時間のある方は是非お出かけしてみてはいかかでしょうか。









【御朱印】




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以上霊験あらたかな『 武蔵国 越谷郷 久伊豆神社 』 でした。






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神社 | 23:22:33 | トラックバック(0) | コメント(0)
~ 久伊豆神社 ~
埼玉県の元荒川流域沿いに、加須市に鎮座する玉敷神社を総本社として57社もの

”久伊豆神社”が点在しています。

今日は、その中の一つ越谷の総鎮守『久伊豆神社』にお邪魔しています。

「くいず神社」ではありません「ひさいず神社」です。

もっとも、そのごろ合わせから「クイズ関係者」の参詣も多くみられるようですが。



石畳の長い参道が特徴です。




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社  号          武蔵国 越谷郷 久伊豆神社

鎮座地           埼玉県越谷市越ヶ谷1700

主祭神           大国主命(おおくにぬしのみこと)

               言代主命(ことしろぬしのみこと)

社格等           旧郷社

創  建          不詳

例  祭          9月28日











【由緒・沿革】



創建の年代は不詳ですが、平安時代中期以降には武士団武蔵七党の一である私市党(騎西党)

の崇敬も篤く、除災招福の神として武士や庶民の信仰を集めてきました。

応仁年間には伊豆国宇佐美の領主である宇佐美三八郎重之が埼玉郡騎西の地を領する

ところとなり当神社に古刀を奉献し、篤く尊崇したといいます。近世に入ると、徳川将軍家も篤く

崇敬し、二代将軍秀忠、三代将軍家光も鷹狩りに際して参拝、休憩したと伝えられています。

明治の維新の後は当地の総鎮守として明治六年四月に郷社に列格されております。











【一之鳥居】



元荒川の土手に面してありました。

長い参道の為、ここからは社殿を見ることはできません。




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    ≪鳥居扁額≫



砂岩の彫刻で額縁が昇り竜、下り竜に彫られています。

さりげないところが憎いですネ。




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【二之鳥居】



小さな石橋を渡ると二之鳥居です。

ここからもまだ社殿は見えません。




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    ≪石橋の碑≫




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【社号標】



「西参道」との交差点に立てられていました。




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【三之鳥居】



ここからやっと社殿を望むことが出来ます。

三之鳥居は木製ですが、これは第61回遷宮撤去材を伊勢神宮より拝領し

皇大神宮板垣御門の鳥居を再建したものです。




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【手水舎】




屋根には、立派な唐破風が造られれています。

梁には水を司る竜の彫刻が施されています。




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【狛犬】




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わずかに口を開けている「阿形」が子供を連れていました。

乳を飲む子供のようですが、しっかり獰猛さも備えています。




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【拝殿】


綺麗でシャープな感じのする拝殿です。

例祭の渡御の際、雨が降ることが多いので、雨を防ぐため「車寄せ」のように軒を出した

造りにしたそうです。




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【足止めの狛犬】



拝殿の廊下に鎮座していました。

家出や悪所通い、多忙な仕事などで家庭を顧みない家族との絆をしっかり結びなおしたいという

願いを込めて、狛犬の足に麻を結びます。古くから「足止めの麻」といわれています。




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【神前】




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【本殿・幣殿】




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【神楽殿】




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以上、越谷の総鎮守 『久伊豆神社』 社殿他でした。

境内社等が続きます。







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神社 | 22:02:11 | トラックバック(0) | コメント(0)
~ 兼六園・金沢城跡の桜 ~
4~5日遅いのは、わかっていました。

しかし、開花が東京より一週間後だったことや、その後寒い日が続いたことで

いくらか、散り遅れしているのではないかとの一縷の望みを抱いて兼六園に来てみました。

しかしながら 残念! いつもならば咲き乱れているはずの「茶屋通り」の桜や

「石川門」方面の桜はほぼ、散っていました。

この辺の桜の咲きっぷりが気持ちいいんですがネ。 

予想していたとはいえやっぱり残念! ですネ。


気を取り直して、園内の咲き残り桜を探します。


「桂坂」付近の桜です。

4~5分散りでしょうか。




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「眺望台」 から金沢市内を望む坂にある桜です。

こちらは、元気で今から散り始めたところです。




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「花見橋」 付近です。




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「瓢池」から「翠滝」を望む

4分散り程度




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「茶屋通り」 の桜


ちょっと元気です。3分散り




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「茶屋通り」から「石川門」を望む


やはり城と桜は似合いますネ。




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兼六園はこのくらいにして、金沢城跡公園に移ります。


「菱櫓」と「内堀」 です。

ここはライトアップされると綺麗ですネ。

こちらの桜は、散り始めたばかりです。




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「内堀」とその淵に咲くさくらです。




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「旧第六旅団司令部舎」が保存されているところのです。

ここの桜は初めて撮影します。

内部から撮影しました。




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「お宮広場」 へ降りる階段の途中で「菱櫓」を望みます。

初めて見る景色です。菱櫓が桜の襟巻をしているようです。




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「黒門」のそばに咲いていました。


ソメイヨシノと八重桜です。




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以上、少し遅かった『兼六園と金沢城跡公園』 の桜 でした。











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旅・はいかい | 21:34:23 | トラックバック(0) | コメント(2)
~ 国営昭和記念公園 FLOWER FESTIVAL ~
ここ『国営 昭和記念公園』 は一年中花が咲いています。

今は”FLOWER FESTIVAL”と銘打って花まつりの真っ盛りです。

この催しに来るのは初めてですが、チューリップを中心に「昭和記念公園」の春を満喫

したいと思います。




渓流広場に「チューリップガーデン」が造られ、我々を出迎えてくれました。

初めて来てみましたが、綺麗ですね。

色とりどりのチューリップが整然と並べられ、まるで草原に渓流を包んで

抽象画が描かれているようです。




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これは「砺波チューリップ公園」と同等以上の迫力かもしれません。




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チューリップの種類も多種にわたっています。

観る者の目を飽きさせませんネ。







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まだ咲き残っているソメイヨシノとのコラボです。

ずいぶん、我慢強く待っていたのですが我慢しきれまませんでした。

桜とチューリップのコラボなので格好の撮影スポットなので撮影者の後が絶ちませんでした。






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桜と菜の花のコラボもありました。

先日の「権現堂」のプチリベンジでしょうか。

こちらは辛抱強く待ちました。





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まだまだ、沢山の花が植えられていましたが、それは次の機会にお届けします。

それにしても今日のチューリップにはちょっと感動しました。





以上春爛漫の『国営 昭和記念公園』 でした。






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旅・はいかい | 04:25:03 | トラックバック(0) | コメント(0)
~ 御衣黄桜(ぎょいこうさくら)が満開です ~
淡い黄緑色の花を咲かせる、大好きな の一つ 『御衣黄』が満開に咲いてました。

以前も紹介したことのある、JR秋葉原中央口から歩いて3分、神田川沿いにある

「柳森神社」の境内です。  (本当はあまり教えたくないのですが)




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ビルや高架橋などを背景に力強く咲いています。




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ソメイヨシノもそうですが、散る間際になると、芯の部分に赤みがさしてきます。

その赤みはソメイヨシノより少しきつめの赤みが差します。




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淡い緑が気品と風格が高貴雰囲気を醸し出していますが、その気品が当時貴族が

着ていた衣装に似ていることから『御衣黄』と名付けられました。

又、『御衣黄桜』を縮めて、別名を『黄桜』とも言いますが、好きが高じてか社名や

商品名にしてしまった伏見の老舗の酒蔵さんもおります。

お酒を飲む方なら、御存じの小島功さんのカッパのイラストでお馴染みの”黄桜酒造”さんです。




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「柳森神社」には、もう一つ名物があります。

徳川3代将軍家光の側室”桂昌院”が大奥の庭に祀って、こよなく崇拝したと言われる

『福寿稲荷』が境内に合祀されています。


本家の「柳森神社」よりこちらの方が世に知られているかもしれません。



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日本の歴史上、最大の出世頭と言ったら、豊臣秀吉こと木下藤吉郎が大方の意見ですが

では女性では誰でしょうか。

私はダントツで、この”桂昌院”だと確信します。

生まれは、京都の貧しい「大根売り」の娘(諸説ありますが、そこまでの地位に

上り詰めた人間の氏素性がいまだにはっきりしてないこと自体がすでに

その程度の素性であったことを物語っているのでは。)だったのが、春日局の目に

留まり、三代将軍家光に見初められ、それだけでも世間を驚かすのに事足りているのに

こともあろうことか、後の五代将軍綱吉を生み将軍の生母にまで上り詰めて行ったのです。

”春日局”がいかに権力をふるったとは言え、所詮将軍家光の乳母にすぎません。

それに比べ桂昌院は実の生母ですから。

事実、朝廷から皇族も含め女子としては最高位の「従一位」の官位と「藤原光子」

という名前を賜っています。

それにより、桂昌院は名実ともに日本女性のトップに君臨したのです。

薄汚れた着物で、庭で獲れた大根を天秤にいれて京都の町裏を売り歩いていた娘からは

想像もできない大出世を成し遂げたのです。これが”女藤吉郎”と言われた所以です。



2~3千人いたとされる大奥の女性たちは、少しでもご利益に授かろうと、こぞって

この、「他を抜いて出世」する」ことから”お狸さん”と呼ばれた「福寿稲荷」詣でを

したと言われています。

その歴史の承認でもある”お狸さん”がこの境内に祀られています。


鳥居の両側には、狛犬ではなくそれぞれ形態の違う個性的な「狛狸」が鎮座しています。




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その頭の上にも『御衣黄』が咲き乱れています。

狸達も、どことなく嬉しそうな顔をしています。




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「桂昌院」は若いころの名を「玉(たま)」 と言いました。

この「柳森神社」には、とても人慣れしたマスコット的存在の猫がいます。

天気の良いお昼には、近くに努めるOL達がお昼を食べながら、その猫と戯れています。

その猫の名が「玉」かどうかは定かではありませんが (私なら迷わず玉と付けますが)

まあ、猫の名が「玉」かどうかは別にして「桂昌院」の出世ストーリーは後世まで

語り継がれ、若い女性が地位の高い人、財産を多く持っている人と結ばれると

今日でも桂昌院の出世ストーリーに合わせて”玉の輿(たまのこし)” と

言われています。




今は、「逆玉」 などとも言われている時代ですので、男性でも女性でも「玉の輿」を

望んでいる方は「柳森神社」に参詣し 「お狸さん」「願掛け」などしてみては

いかがでしょうか。








以上、満開の御衣黄お狸さんがいる 『柳森神社』 でした。






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旅・はいかい | 09:21:54 | トラックバック(0) | コメント(0)
~ 池上本門寺の桜 ~
、東京都大田区池上にある日蓮宗の大本山、『池上本門寺』にお邪魔しています。

桜の名所としても知られているので、以前より桜の時期に一度お邪魔したいと思っていましたが

やっと実現しました。ただし残念ながら満開時をやや過ぎているので散りかけている桜も

ちらちら見かけます。全ての桜の満開時期にタイミングを合わせてお邪魔するのは中々

難しいですネ。





まずは【総門】 を潜ります。

元禄年間(17世紀末〜18世紀初め)の建立。  大田区指定有形文化財




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掲げられている扁額に描かれている文字は、陶芸や茶の湯ばかりではなく書家としても

名を成したマルチアーチストの本阿弥光悦による書を彫刻したものの

レプリカです。

オリジナルは霊宝殿に収蔵され常設展示されています。








総門を潜ると正面に、急勾配の石段が威圧的に迫ってきます。

【此経難持坂】 です。

96段の石段です。

慶長年間に加藤清正が寄進したものと伝えられています。妙法蓮華経(法華経)宝塔品の偈文の

96文字にちなんで石段を96段とし、偈文の文頭の文字をとって坂名としています。




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急階段は苦手なのですが、こちらは処々に踊り場があり、愛宕神社の出世の階段(86段)や

青梅 御嶽神社の300段石段と比べたら比較的楽に登れたのでほっとしています。

桜の花も手を差し伸べるように出迎えてくれました。











【仁王門】の周りにも桜が咲いていました。

仁王門は、大堂正面に建つ二重門です。旧国宝の山門は、1945年(昭和20年)空襲で焼失。

仁王門として1977年(昭和52年)に再建されました。門内には彫刻家圓鍔勝三が、

アントニオ猪木をモデルに制作した仁王像が安置されていましたが、近年修理を機に

本殿内に移設されました。




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【五重塔と桜】


こちらのメインはやはり、弁柄色の重要文化財の五重塔と桜のコラボレーションですネ。




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高さ31.8メートル。空襲による焼失をまぬがれた貴重な古建築の1つで、江戸幕府2代将軍

徳川秀忠の乳母である岡部局(大姥局)(正心院日幸尼)の発願により、1608年(慶長13年)に

建立され、後に現在の位置へ移築された。全面ベンガラ(赤色塗料)塗り、屋根は初層と二重は

本瓦葺き、三重以上は銅板葺きとなっています(当初はすべて本瓦葺きであった)。





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建築様式は初層は和様、二重から上は禅宗様になっている。初層の各面は中央を桟唐戸、

両脇間には格狭間(ごうざま)形の装飾を入れ、蟇股(かえるまた)には十二支の彫刻が

入れてある。




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境内で、桜と春紅葉との珍しいコラボレーションを発見しました。

深紅の紅葉が印象的で、思わずシャッターを切ってしまいました。




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以上、五重塔と桜と春紅葉の『池上本門寺』 でした。

旅・はいかい | 22:11:34 | トラックバック(0) | コメント(2)
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