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アル酎ハイマーはいかい士

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~ 川口神社神幸祭 ~
『川口神社例大祭神幸祭』 にお邪魔しています。

初めてのお邪魔です。

境内では、各御輿の担ぎ手が、出陣を今や遅しと腕撫して待ってます。




DSC_川口祭9043_01





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出陣式が始まりました。

「お祓い」 です。 参加者全員が拝殿へ向かって”二例二拍手” 一例です。





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神主を先頭に出陣です。




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続いて、「稚児行列」ですが、しっかり保護者にガードされ、まともな写真が

中々取れませんでした。




         DSC_川口祭9093_01










いよいよ一番神輿の出発です。

川口神社では、本社神輿は無く、13の町内神輿です。

ちょっと淋しいですがしょうがないですね。




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山門を潜り、鳥居を潜って、町へ繰り出します。




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どの町内の神輿もやや小さめです。

その分他の例大祭の渡御と比べると少し迫力に欠けます。

川口神社周辺の13の町内ですから、そんな大がかりな、神輿は調達できませんし

担ぎ手も準備できません。

仕方のないところですね。13の町内が協力しているだけでも良しとしなければいけないのかも。




         DSC_川口祭9100_01










駅前の「本町大通り」を通行止めにして13基の神輿が行列を作り駅前の「キューポラ広場」へ

向かうのですが、それに先立「川口市立本町小学校の鼓笛クラブの演奏が行われました。




         DSC_川口祭9083










神輿の行列が本町大通りに姿を現しました。




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途中には、和太鼓の演奏がお出迎えです。

川口を中心に活動している和太鼓チーム「和太鼓 楓」サンたちです。



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神輿に負けていない元気さです。

気持ちいいですね。




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続々と神輿がやって来ます。

小さい神輿とはいえ、担ぎ手は必至です。






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以上、少し地味なお祭 『川口神社神幸祭』 でした。

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| 04:48:37 | トラックバック(0) | コメント(0)
~ 国営昭和記念公園 初秋 ~
昭和記念公園に、秋の足音を確かめにきました。




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広い公園の森の中を散歩しながら秋を探してみたいと思います。






【ナンバンギセル(南蛮煙管)】




一年生の寄生植物です。ススキ、サトウキビ、ミョウガなどの根に寄生します。

花の形がキセルに似ていることからこの名前がつけられました。

高さは約15センチで8~10月位に咲きます。


確かに、ススキの根に寄生していました。




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万葉集にも詠まれている花です。万葉集では「思ひ草」と表現されています、

花が下向いているので、何か物思いにふけっているように見えたのでしぅか。

日本人の感性、表現力は脈々と続いているDNAからきているのを感じますネ。

尾花とはススキの事ですネ。




“ 道の辺の 尾花がしたの 思ひ草 今さらになど 物か思はむ ” 作者不明











【紫苑(シオン)】





日本(九州)、朝鮮半島、中国、シベリアにかけての広い地域に分布する植物で、

冬に茎葉は枯れるものの地中の根の状態で越し、春に芽を吹いて秋に花を咲かせる

宿根草(しゅっこんそう)です。

コンギク、ユウゼンギク、ミケマルスデージなどの仲間があり、まとめて宿根アスターと

呼ぶこともあります。




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九州で、わずかに野生のものが見られますが純然たる野生のものは数が減少しており

ほとんどが観賞用に栽培されたものです。

環境省レッドデータでは絶滅危惧Ⅱ類(VU)に属しています。











【ユズリハ(譲葉)】



日本が原産の植物です。

福島県以西、四国、九州、沖縄など比較的暖かい場所に分布しています。

アジアでは、中国中部、韓国などの暖地の山地に分布しています。

”新しい葉が成長し、古い葉が落ちる=新旧交代がハッキリしている”という由来から

「譲る葉っぱ」→「譲葉」という名前が付きました。

縁起が良いとされ、ユズリハの葉は新年の飾りによく用いられます。

実が熟す頃に葉が落下します。落下時には、新しい葉がすでにそろっています。

この“全てそろってから一気に落葉する”という特徴が“縁起が良い葉”とされる理由です。

それは「代々の家督の継承」を象徴します。 また、葉の軸が赤く、葉の裏は白っぽいことから

“紅白”を連想させることも「縁起が良い」とされる理由の一つです。


夏には実がなり、次第にブドウのような青い実に成長し、秋には藍黒色に変わります。

今はまさに藍黒色の時期です。




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「ユズリハ」もよく万葉集に詠われました。


何とも優雅ですね。



“古(いにしへ)に 恋(こ)ふる鳥かも 弓絃葉(ゆずるは)の 御井(みゐ)の上より 

鳴きわたりゆく“ ―――万葉集 弓削皇子(ゆげのみこ)












いよいよ、本日本命のコスモス畑です。





【原っぱ東花畑】



キバナコスモスが満開です。

黄色い絨毯が敷かれていました。




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人間だけではありません、蝶や虫達も我先にと集まってきています。

元を正せば、彼らがホームで我々がビジターですから

彼らにとっては、迷惑なんでしょうね。




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喉を鳴らして蜜を吸いこんでいる音が聞こえてきそうです。

羽の裏や、足元があちこちで付けた花粉で白くなって慰安す。




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こちらは、優雅にランチを楽しんでいるようです。




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【花の丘】


こちらが園内で一番面積の広い「コスモス畑」です。

色とりどりのコスモスが咲き乱れています。

秋、真っ盛り! でしょうか。





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広い園内を巡回する「パークトレイン」がコスモス畑を縫うように走りすぎていきます。

絵になりますネ。




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木洩れ陽の注ぐ中で 

風に揺れる可憐なコスモスたちをどうぞ




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お腹を減らしたミツバチたちです。

他のことなど構っていられません。

どの世界も「我先」は一緒でしょうか。




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木漏れ陽が「コスモスの丘」にダイヤモンドダストのように差し込んでいます。




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以上、秋の足音たっぷりの 『国営昭和記念公園 初秋 』 でした。

旅・はいかい | 14:08:33 | トラックバック(0) | コメント(0)
~ 食楽部屋 みなみ ~
電車の時間まで、あと45~50分ある。

駅のホームで待つのは長すぎる、かといって喫茶店では芸がない。

5分程前に改札を括ればいい、ではあと40分程は自由時間があると言うことか!

と言う訳で”昼呑み”ができると言う、新都ホテルの直ぐ隣

大衆居酒屋『食楽部屋 みなみ』へ入店。

店構えと看板が派手なのですぐにわかりました。

でも 「食楽部屋」ってなんのこと。 元は相撲部屋?

第一、そんな日本語あったっけ?





DSC_みなみ8106







これでもかー! と言う「こてこて」な看板はいかにも関西流。

しかも、書き方が「縦書き」でもなし「横書き」でもなし、しいて言えば「稲妻書き」

その上、肝心な店名が、申し訳なさそうに小さく下に添え書きされている。



         DSC_みなみ8105








看板に、創業昭和20年とある。と言うことは創業73年か、歴史は半端ないっすネ。

戦後の闇屋からのたたき上げかナ!



店の扉を潜ると、さすがにまだ午後3時前、先客はいませんでした。

店内は、意外と広く明るい造りでした。

外見からして、「こてこて」の昭和のレトロ造りかなと思いきや、やや拍子抜け。

それでも多少残り香があるような、ポスターが貼られていました。




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それでも柱には、年季の入った、木製のゴルフクラブがかけられています。

正真正銘の「ウッド」です。 5~6番っていうところでしょうか。




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少々、けだるそうに注文を取りに来た女性店員に、オーダーしたのは

いつもの「ハイボール」 ウイスキーは富士山です。




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電車の時間があるので、早めに出来上がるメニューを確認して、オーダーしたのは

こちら、 「から揚げ」




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「ハイボール」を2杯頂いた後、ちょっと酸味がほしくなり

口直しに「レモンハイ」

レモンたっぷり入れていただきました。




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最後は、お腹にやさしい「チーズオムレツ」


関東とはちょっと形態が違いますが、味はチーズオムレツでした。




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と言う訳で、無事5分前に京都駅の改札を通ることが出来ました。

これでいよいよ、京都とお別れです。

京都、あっちこっちばたばた行きましたけど、どこも面白かったですネ。

今度、いつ来れるかわかりませんが、次回は今回行けなかったところを探索してみたいと

思います。 沢山の京都の人にお世話になりました、有り難うございました。

お酒 | 05:30:26 | トラックバック(0) | コメント(0)
~ 京都鉄道博物館 Ⅱ~
扇形機関車庫



個々の迫力はすごい大宮の「鉄道博物館」には無いスケールです。

扇形の車庫にはSL20機が大きな転車台の中心に向かって駐車展示されている。






〖梅小路蒸気機関車庫〗


昭和47年に鉄道開業100周年を記念して当時の国鉄が開いたSL博物館の

「梅小路蒸気機関車館」が前身で2015年12月に車庫上部の「梅小路蒸気機関車館」の

看板のうち、「館」を「庫」に改め、「梅小路蒸気機関車庫」となり『京都鉄道博物館』の

一部となりました。


大正3年11月に竣工した扇形車庫の梅小路機関車庫は、現存する最古の

鉄筋コンクリート造機関車庫で、クレーン、引き込み線とともに国の重要文化財

指定されています。

車庫内には大正から昭和までの国産蒸気機関車20両を集められいて、扇形車庫1番から7番までは

動態保存車、8番から20番までは静態保存車の収蔵となっています。

又、収蔵車両は、2006年10月14日、施設・車歴簿・保守用工具等とともに群として準鉄道記念物に

指定されました。




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【1070形1080号機】



1901編(明治34年)製造

ダブス社(英国)製

英国製テンダー式蒸気機関車を改造したタンク式蒸気機関車

1901年に英国から輸入され、官設鉄道東海道線で使われたテンダー式蒸気機関車

D9形651号機を1926年にタンク式機関車1070形に改造したもので、岐阜県の

美濃大田区管区に配置されました。




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【C62形1号機】



1948年(昭和23年) 製造

日立製作所


日本最大の旅客用蒸気機関車

1948年から1949年にかけて、49両が制作され、特急列車などの牽引に使用された

日本最大級の旅客用蒸気機関車です。

本機は、山陽本線を中心に特急「つばめ」「はと」をはじめ、特急「かもめ」や急行列車などの

牽引機として活躍しました。

本形式は「シロクニ」の愛称で親しまれます。



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【C55形1号機】



1935年(昭和10年) 製造

川崎車両 製


スポーク動輪を有する最後のパシフィク機

C51形の改良機として設計され、1935年から1937年にかけて62両が製造された、大型の

旅客用蒸気機関車です。スポーク動輪(車軸中心のハブからスポークが放射線状に伸びている

動輪)を持つパシフィック機では最後の形式になっています。

主に、北海道で活躍しました。本形式は「シゴゴ」の愛称で親しまれています。




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確かに車軸が「スポーク状」になっています。




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【D50形140号機】



1926年(大正15年) 製造

日立製作所 製


9600形の後継機として開発された大型の貨物用蒸気機関車

1923年から1931年にかけて380両が製造された、大型の貨物用蒸気機関車で

ミカド型(軸配置1D1)です。貨物輸送量の増加に伴い、9600形蒸気機関車を上回る性能

を有する機関車として開発されました。本機は梅小路機関区の他全国で活躍しました。

本形式は「デゴマル」の愛称で親しまれています。




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【D52形468号機】



1946年(昭和21年) 製造

三菱重工 製


日本最大・最強のマンモス蒸気機関車

1943年から1946年にかけて285両が製造された、日本最大・最強の大型貨物用蒸気機関車

です。石炭輸送などに使用するためD51形蒸気機関車の1,000tを上回る12,000tの

牽引力を目標に設計されました。本機は沼津機関区や姫路機関区、五稜郭機関区に配置され

強力な牽引力を誇る貨物専用機として設計通りの性能を発揮しました。

本形式は「デゴニ」の愛称で親しまれています。




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最大・最強と聞くと、運転席もなんとなく力強く見えますネ。




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【C53形45号機】



1928年(昭和3年9 製造

汽車製造 製


国産では唯一の3シリンダー機

1923年から1930年にかけて97両が製造された、国内で唯一の3シリンダーを持つ大型の

旅客用蒸気機関車です。

本機は特急列車や普通列車の牽引機として近畿・中国地方で幅広く活躍しましたが

構造が」複雑で、保守も困難であり、C59型 蒸気機関車の登場によりその役割を終えました。

本形式は「シゴサン」の愛称で親しまれます。





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【C51形239号機】



1927年(昭和2年) 製造

汽車製造 製


お召列車の専用指定機

1919年から1928年にかけて289両製造れた、大型の旅客用蒸気機関車です。

1750mmの大型同軸直径が初めて採用された機関車で、1930年に運転が開始さえた

特急「つばめ」を牽引しました。

本機は、お召列車の専用指定機として104回使用さえたのち、直江津機関区などに配置され

北信越から東北にかけて活躍しました。

本形式は「シゴイチ」の愛称で親しまれています。




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【D51形1号機】



1936年(昭和11年) 製造

川崎車輌 製


日本で最も多く製造れた蒸気機関車

1936年から1945年にかけて1,115両が製造された、大型の貨物・勾配用蒸気機関車げ

愛称の「デゴイチ」は蒸気機関車の代名詞になりました。本機はD51形蒸気機関車の

トップナンバー機(1号機)で、敦賀機関区などに配置され、北陸地方から東北地方にかけて

活躍していました。なお、本機を含む初期に製造さえた95両は、ボイラー上の覆いの形から

「ナメクジ」の愛称もありました。




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勿論全部は紹介できませんでしたけれど、

イヤーッ!!本当に感動でしたね。

特に、鉄道ファンではない私でも感動させられたのですから

鉄道ファンならたまらない聖地ではないでしょうか。

ボリュームと迫力もさることながら、歴史の重さを感じました。

明治維新からさほど時間がたたないうちに、日本の産業は世界に類を見ないスピードで

急激に進歩しました。その足跡が、まさにここ『京都交通博物館』に展示されていました。

日本産業近代史の生き証人、日本の産業発展のシンボルですネ。

だって、つい何年か前まで「ちょんまげ結って、刀差していた人」たちが

米を作ることしか知らなかった百姓たちが

馬ですら乗ったことのない庶民たちが

世界が、ちょっと欠伸をしている間に

日本中に、線路を引き込み、自前の蒸気機関車を走らせてしまったのですから

日本の風土、国民性に合致した誰でもが載れる大馬を大量に走らせているのですから

ほとほと、日本人の能力、特に理解力、応用力、精密力には感心させられました。

又、「ポッポ屋」さんのプライドや誇りも垣間見させていただきました。

凄いのは、技術だけではないですね。










以上、感動の『京都鉄道博物館』 でした。

旅・はいかい | 22:50:47 | トラックバック(0) | コメント(2)
~ 京都鉄道博物館 ~
展示面積が約31,000m2で、JR東日本の鉄道博物館(埼玉県さいたま市大宮区)や

JR東海のリニア・鉄道館(愛知県名古屋市港区)を面積・展示車両数で上回り、

日本最大の鉄道博物館が2016年(平成28年)4月29日にグランドオープンしました。

やっと、見学できる機会がきました。




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展示物全てを紹介することはできませんが、気に止まった展示物を一部だけですが

展示エリア別に紹介してみようと思います。









プロムナードエリア


エントランスから本館へ向かうスペースに展示されていました。

鉄道ワールドへ誘うプロローグでしょうか。




〖0系21形1号車〗




初代新幹線電車(大阪方先頭車)です。

1964年に東海道新幹線用として登場し、最高速度210km/で運行を開始しました。

そして翌年には、東京~新大阪間を3時間10分で結びました。

日本機械学会より「機械遺産」に認定されています。


懐かしいですね、日本人の夢を乗せた「夢の超特急」でした。

下を向いていた日本人が顔を上げて上を観た瞬間でしたネ。





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〖C62形26号機〗



1948年(昭和23年)から1949年にかけて49両が製造された、日本最大の旅客用テンダー式

蒸気機関車で、動輪の直径は、1,750mmです。

本機は特急「つばめ」「はと」などの牽引機として活躍しました。なお、C62形17号機は1954年

(昭和29年)に狭軌の蒸気機関車としては世界最速の129㎞/hを記録しました。





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〖ナシ20形24号〗



「走るホテル」と称されたブルートレインの食堂車。

1958年(昭和33年)から運行が開始され、「ブルートレイン」の愛称で親しまれた

20系寝台特急列車の食堂車です。ナシ20形24号車は、1970年に製造され、東京~九州間を

結んだ寝台特急「はやぶさ」や、東京~東北間を結んだ寝台特急「あけぼの」などに

連結されていました。





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この博物館でも現在もレストランとして活躍しています。

テーブルで食事をしている家族連れは、「ブルートレイン」に載っている気分を

味わっているようです。




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〖230形233号機〗


日本初の量産型蒸気機関車です。

1902年(明治35年)から1909年にかけて、大阪の汽車製造で41両も製造された量産型

蒸気機関車です。

日本人の体格を考慮した設計や、安定した運転性能が評価され、官設鉄道の他北越鉄道と

北海道鉄道にも納入されました。本機は大正時代中期まで幹線で活躍されましたが、

大型機関車の登場により地方線区で運用され、最後は工場の入換機として1959年まで

使用されていました。

2016年(平成28年)に国の重要文化財に指定されました。




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本館1階メインスペース



大宮の鉄道博物館と比べると少し狭いですかネ。



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〖521形制御電動車1号車〗


1996年、川崎重工業製。

500系新幹線電車W1編成の博多方先頭車。

廃車後、博多総合車両所で保管されていた車両で、後述の100系とともに博多総合車両所

からこの博物館に収蔵されました。











DSC_鉄博8005











〖クハネ581形35号車〗



高度成長時期に、車両の運用効率をよくするため夜は寝台車、昼は座席者として

使用できる万能型電車として開発されました。

583系特急形寝台電車の先頭車



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収蔵直後は「雷鳥」(イラスト入り)のヘッドマークを表示していたが、

4月1日の報道関係者内覧会以降は「月光」(文字のみ)のヘッドマークとなっている。

側面方向幕は「月光 博多 - 新大阪」と表示されている。





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〖クハ489形制御車1号車〗



1971年、東急車輛製造製

JR西日本金沢総合車両所に所属していたが、2015年2月13日付で車籍抹消となり収蔵された。

ヘッドマークは「雷鳥」(文字のみ)を表示。側面方向幕は「雷鳥 金沢」と表示されている。





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〖1800形1801号機〗



英国製の勾配用蒸気機関車

1881年(明治14年) 製造

英国 キットソン社製

1880年に開通した官設鉄道京都~大津間の勾配区間で使用するため、1881年に英国から

輸入されたタンク式蒸気機関差hです、この形式の機関車は石炭消費量が少なく、

運転も容易な設計になっていました。

展示の当機は高知鉄道に払い下げられたのち、旧東洋レーヨン滋賀工場に譲渡され、

1964年(昭和39年)まで使用されていました。




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〖EF66形35号機〗



高速貨物列車用として誕生した車両です。


1974年(昭和49年)製造

東洋電機製造 川崎重工業製


1963年に日本国有鉄道が量産形式として89両製造した直流電気機関車です。登場より幹線の

高速貨物列車、後に東京~下関・九州間の寝台列車も牽引しました。

高速運転の視認性向上の為に、運転台を高くし、側面上半分は車両限界の点から内側に

傾斜させています。 当機は初期車両と異なり、全面屋根が庇状に変更されている。




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京都鉄道博物館では床下を見られるようにした嵩上げ展示されていました。

綺麗ですネ!

機能の美でしょうか。




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本館2階




〖ジオラマコーナー〗



「大宮の鉄道博物館」同様、お決まりの大きなジオラマが用意されていました。

約300平方メートルの広さを持つ日本最大級を誇るHOゲージの鉄道ジオラマです。

JR西日本の自社車両にとどまらず、JR東日本・JR貨物・近畿日本鉄道・阪急電鉄

京阪電気鉄道・南海電気鉄道・名古屋鉄道・智頭急行など他社の車両や国鉄時代の車両も

配置・運転されています。




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以上、 『京都鉄道博物館 プロムナード・本館一階メインヤード』 でした。


まだまだ「SL広場」が続きます。

旅・はいかい | 22:46:28 | トラックバック(0) | コメント(0)
~ 錦天満宮 ~
「錦市場商店街」を歩いてきた者を、両手で招き入れるように

「錦市場商店街」の東端、新京極通に鎮座していました。




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社  号          錦天満宮           

鎮座地           京都府京都市中京区新京極通四条上ル中之町537

主祭神           菅原道真公

創  建          天保5年(1003年)











【由緒・沿革】


長保5年(1003年)、菅原道真の父親である菅原是善の旧邸菅原院跡地にあった歓喜寺を

源融の旧邸・六条河原院の跡地に移築し、その鎮守社として天満天神を祀った天満宮として

創建されたのに始まる。

正安元年(1299年)には時宗六条派本寺の善導寺が当地に移転し、元々あった歓喜寺を

合併して六条道場・歓喜光寺と名称を改めた。その際、天満宮はそのまま鎮守社とした。

応仁の乱の後、寺・宮ともに高辻烏丸(現・京都市下京区)に移転したが、天正15年(1587年)

には豊臣秀吉の都市計画のため、歓喜光寺とともに錦小路東端(新京極通り四条上る)の

現在地に移転した。それによって所在地名から「錦天満宮」と呼ばれるようになった。

歓喜光寺はその後、1907年(明治40年)、東山にあった法国寺と合併し、その所在地である

東山区に移転(1975年(昭和50年)にはさらに山科区に移転)し、神社だけが当地に残された。        

       









【鳥居】



”錦小路通”をまたぐように、立っていました。



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    ≪扁額≫




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”珍百景”


錦小路通の寺町と新京極の間にある鳥居は1935年(昭和10年)に建てられました。

その後に、鳥居の柱の位置だけで道路幅を決めてしまうと言う設計ミスによる区画割りを

元に両側にビルが建てられてしまいました。

その結果ビルの壁の中に、柱の幅より飛び出ている鳥居上部の笠木の先端が

めり込んでしまう事象が発生してしまいました。

全く、お粗末な話ですが

参道からもビルの窓を通してめり込んだ笠木の先端を覗くことができます。

ビルの室内からは、もっと明らかに見ることができるそうですが、さすがにその為だけに

ビルに入ることはできません。












【手水舎】




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【拝殿】




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【撫で牛】



牛は天神様の神の使いとされています。

「撫で牛」の撫で方にも決まりがあるようで、牛の頭を撫でた後に自分の頭をなでると

学力が向上するそうです!

このようなことはダメ元ですからやらない手はないですよね!

と、そんなことを思っているから、いつも御利益がないのかも。

それにしても、撫でられすぎで真鍮の地金が表れて、黒光しています。

お疲れ様です。




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【錦の杜の御神水】



京の名水と言われる「錦の杜の御神水」が湧き出ています。

この水は飲料水としても問題ないお水だそうで、持ち帰り自由となっていることから

朝から水を汲みに来る人も多いそうです。




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【末社】



    ≪塩竈神社≫




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    ≪日乃出稲荷神社≫




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【御朱印】




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以上、錦市場の買い物客、観光客、参拝客でにぎわう『錦天満宮』 でした。

神社 | 22:49:16 | トラックバック(0) | コメント(2)
~ 錦市場 ~
京の台所、『錦市場商店街』です。

市場の始まりは平安時代、豊富な地下水を利用して京都御所へ新鮮な魚を納める店が

集まり始めたもので、なんと約1300年の歴史を持つ市場です。

京都市民からは「にしき」という愛称で呼び親しまれ、「京の台所」として地元の買い物客で

賑わっています。

近年は新京極商店街や寺町京極商店街とともに、観光客や修学旅行生が訪れる活気のある

観光名所としても賑わいを呈しています。 昭和時代に、中央卸売市場の開設や地下水の枯渇、

大手スーパーマーケットの進出など、数々の存続の危機を迎えました。

その流れを打開しつつ、卸売から小売へのシフトを図りながら現在に至っています。






江戸時代、この錦の「青物問屋」に生まれた”伊藤若冲(1716-1800)”の絵が描かれた

垂れ幕が掛っている『錦商店街』の入り口です。



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京都の目抜き通り四条通の一本北の錦小路通に位置し、赤緑黄の色鮮やかなアーケードに

覆われた石畳の道の距離は、およそ東西390メートル。

商店街振興組合に所属する店は約130店舗。道幅は3.2 - 5メートルですが、道に迫り出して

商品や商品棚を並べる店舗が少なくなく、実際はもっと狭い。

東の端は、新京極と交差し、その先に錦天満宮がある。




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惣菜 錦平野




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「えび天串」 これは関東にはないですネ。

でも、美味しそうですね。先ほど朝ごはん食べたばっかりでなければ

咥えてしまいそうです。

海老が二匹刺さっているんでしょうかネ。




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食べ歩き用に、「出汁巻きバーガー」なる物も売れてるようです。




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京漬物 打田漬物店





昔ながらの伝統を守った京野菜の漬物です。

店の奥にはまだまだ別の漬物がありそうです。

店内に掲げられている「漬物は生きている」が目を引きました。





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焼魚 魚力



今は旬の「鱧」がメインでしょうか。

店頭では買い物客へのサービスに立食ですが奥で簡単に食事も楽しめるようです。





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惣菜・佃煮 不二食品



半分以上が関東では見ないものばかりです。

やはり、食文化の違いってあるんですネ。




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若狭一汐 津の弥




若狭湾や日本海から届く新鮮な魚介類を中心に販売しているお店です。

店独自の加工品も多くあり、酒のアテなど珍味系の品揃えもあります。

特に「若狭の笹かれい」「一夜干かれい」「天日干しかます」「一夜干しぐじ(甘鯛)」などが

名物だそうです。

ちなみに関東では聞きなれない”一汐もの”とは、福井、若狭の浜から「一汐」あてて、

鯖街道を通って運ばれてくる、ぐじ、笹鰈、そして鯖などのことだそうです。

京都人の知恵ですネ。




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関西で言う「ぐじ」とは「甘鯛」のこと、と言うのは今では関東でも知られていることですが、

厳密に言うと、ただ単に「甘鯛」のことではなく”一汐入れた甘鯛”のことだそうです。



もう一つ、蛇足ですがこの店では「レイザーラモンHG」が働いていたことがあるということも

知る人ぞ知る噂話だそうです。

さすがに「レイザーラモンHG」は一汐は入ってないと思いますが。




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鮮魚 鳥羽庄




何故か錦市場商店街ページの店舗紹介には載っていないのですが、

お店は確かに存在していました。


えび串が綺麗に並んでいますね。




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名物の「えび串」には行列ができるそうです。

ぷりぷりとして美味しそうです。

焼き立てなら香ばしくて、酒のつまみには抜群でしょう。




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以上、とっても活気のある、京の台所 『錦市場商店街』 でした。

旅・はいかい | 14:35:02 | トラックバック(0) | コメント(0)
~ 世界文化遺産 賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ) ~
世界文化遺産に登録され、上賀茂神社と並んで京都最古と言われる歴史を誇る下鴨神社に

来ています。

正式社号は『賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)』です。

京都は鴨川を中心に町づくりがなされており、鴨川の下流にまつられている社というところから

親しみを込めて 『下鴨神社(しもがもじんじゃ)』と呼ばれています。




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社  号          賀茂御祖神社

               通称 下鴨神社

鎮座地           京都府京都市左京区下鴨泉川町59

主祭神           玉依姫命 (たまよりひめのみこと)

               賀茂建角身命 (かもたけつぬみのみこと)

社格等          式内社(名神大)

               山城国一宮

               二十二社(上七社)
                    
               旧官幣大社

               勅祭社

               別表神社

創  建          不詳 (崇神天皇7年頃?)

本殿の様式       流造

例  祭          5月15日 (賀茂祭、葵祭)











【由緒・沿革】



京都の社寺では最も古い部類に入る。社伝では、神武天皇の御代に御蔭山に祭神が降臨

したとされている。また、崇神天皇7年に神社の瑞垣の修造の記録があるため、

この頃の創建とする説がある。一説には、天平の頃に上賀茂神社から分置されたともされている。

上賀茂神社とともに奈良時代以前から朝廷の崇敬を受けた。平安遷都の後はより一層の

崇敬を受けるようになり、大同2年(807年)には最高位の正一位の神階を受け、賀茂祭は

勅祭とされた。『延喜式神名帳』では「山城国愛宕郡 賀茂御祖神社二座」として名神大社に列し、

名神・月次・相嘗・新嘗の各祭の幣帛に預ると記載される。

弘仁元年(810年)以降約400年にわたり、斎院が置かれ、皇女が斎王として賀茂社に奉仕した。

平安時代中期以降、21年毎に御神体を除く全ての建物を新しくする式年遷宮を行っていたが、

本殿2棟が国宝に指定されたため、現在は一部を修復するだけとなった。













【大鳥居】




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【手水舎】




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ユニークな形をした手水鉢です。




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【楼門】


シンボルです。




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【舞殿(まいどの)】          重要文化財



下鴨神社境内の中央に位置します。

葵祭の時天皇の勅使が御祭文を奏上され東游が奉納される場所です。




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【中門】




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【本殿】          国宝


この奥に国宝の東本殿、西本殿があります。



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【言社】



七つの社に干支を守る神様が祀られていました。




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【三井神社】          重要文化財


山城国『風土記』に「蓼倉里三身社」とある社で、本宮の若宮(若々しいご神霊)としての

信仰があり、賀茂建角身命、玉依媛命、伊賀古夜媛命の三神がまつられています。




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【相生社(あいおいのやしろ)】


縁結びの神さまが祀られています。

御祭神の神皇産霊神(かむむすびのかみ)は縁結びの神、結納の守護神として

あがめられています。

めでたいことを「相生」といいますが、この言葉は「相生社(あいおいのやしろ)」から

できた言葉です。



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【連理の賢木(れんりのさかき)】



「相生社」の横にあります。

2本の木が途中から1本に結ばれています。

縁結びの神のお力で結ばれたと言い伝えられています。

不思議なことにこの木が枯れると、下鴨神社境内の糺の森に同じように結ばれた木が

見つかるのです。現在のご神木も4代目だそうです。

この縁結びのご神木は「京の七不思議」の一つとされています。




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【神服殿】          重要文化財


古来殿内の一室が行幸の時に玉座となった殿舎です。

夏、冬の御神服を奉製する御殿であったため、神服殿という名前がついています。




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【供御所】          重要文化財



御殿のなかは東、中、西の三間に分かれている。

供御所は、(東の間)は神饌を調理するところ。

贄殿(にえどの)(中の間)は魚介類を調理する間、待所(さぶらいどころ)(西の間)は

神官など参集し、直会(なおらい)、勧盃(かんぱい)の儀などを行う。

式年遷宮寛永5年度(1628)造替後は、21年ごとに解体修理が行われる。




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【糺の森(ただすのもり)】          国指定史跡



糺の森は、縄文時代から生き続ける広さ3万6千坪の森。京都の中心に位置し、その昔は

150万坪にも及んでいたと伝えられています。ケヤキ、エノキ、ムクノキなどの広葉樹を中心に、

古代・山背原野の樹林を構成していた樹種が自生。樹齢6百年から2百年の樹木が約6百本

にも数えられ、森林生態学、環境学などの学術分野からも、たいへん貴重な森とされています。

森の中には、以前は参道だったと思われる、狭い道が幾つか残されています。





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『糺す』とは

「罪を糺す」などと使い”罪や真偽・事実などを問い調べる”と言う意味の様ですが

”糺の森”とはどのような意味合いなのでしょうか?

お解りの方がいたら教えてください。











【御朱印】




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国宝である両本殿の他に53棟もの重要文化財社殿を持つ

宝の山のような『賀茂御祖神社』 でした。 

この次来ることがあったら、今度はもう少しじっくり参詣・探索したいと思います。

神社 | 15:39:12 | トラックバック(0) | コメント(0)
~ 朝食 喜心 ~
京都の話に戻ります。

鎌倉の双子の姉妹が、鎌倉に続いて京都に開いた朝食専門店

『朝食 喜心』 にお邪魔しています。





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京都・祇園花見小路通から路地を少し入ったところにありました。

鎌倉と祇園どこか共通するところがあるのでしょうか。

「花とうろホテル祇園」の一階です。

よく見ていかないと通りすぎてしまうような佇まいです。





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店内は、カウンター12席のみのL字対面カウンターです。

加えて、オープンキッチンのようなので楽しみです。




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〖メニュー〗




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汁物は3種類の中から選択できるシステムです。

「京白味噌の豚汁」をチョイス。











〖向付・汲み上げ湯葉〗




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〖釜炊き〗




滋賀・彦根の作陶家が10年かけて、完成させたご飯炊き専用鍋で

ご飯が炊かれています。

お客さんの来店と同時に土鍋に火を入れて炊き始めるそうです。

手前の片手鍋は味噌汁です。




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〖ご飯茶碗〗



幾つかの茶碗の中から好きな茶碗を選択します。

酒を飲む「ぐい飲み」などは、たまに経験しますが「ご飯茶碗」の選択システムは初めてです。




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白地のやや大きめのシンプルな茶碗を選択。

作者と窯の所在地を説明していただきました。

しかし、記録するのをわすれました。




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〖ご飯〗




今日のお米は「山形 つや姫」だそうです。



   ≪煮えばな≫




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炊き上がったばかりのご飯を蒸らす前に提供する「煮えばな」。

非常にジューシーでお米本来の甘みが感じられました。

ただし、当然ちょっと芯がありました。

でも、新しい言葉一つ勉強させていただきました。 「煮えばな」



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〖京白味噌の豚汁と和辛子〗


熟成された豚肉が柔らかく甘くとっても美味しかったです。

白味噌甘くて美味しかったかったです。

ただし、毎日だったらどうでしょうか。






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〖季節野菜の汁物〗


汁物の選択肢の一つ「季節の野菜」です。

20種類の季節野菜が入っているそうです。




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〖冬瓜(とうがん)〗




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〖ちりめん山椒〗

別注で頼んだ「ちりめん山椒」です。

白いご飯に相性ピッタリですネ。




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〖うるめいわしの丸干し〗





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〖ご飯〗




まずは「ちりめん山椒」で頂きました。




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次は、「たまごご飯」にしていただきました。


玉子は超半熟の温泉卵です。




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〖デザート〗



最後のデザートは「お焦げ」 です。




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以上、とても悠久の時間を味合わせていただいた『朝食 喜心』 でした。

今度は、鎌倉のお店に伺ってみたいですネ。

食べる | 23:24:54 | トラックバック(0) | コメント(0)
~ 第80回 全日空寄席in 東京へ行ってきました 【中入り後】 ~
〖中入り後〗






≪春風亭一之輔≫




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当代きっての人気を誇り、年間900席もの高座をこなすなど、寄席、ホール落語問わず精力的に

活動しています。テレビへの露出度も噺家の中ではトップクラスではないでしょうか。

酒とつまみと男と女(2014年4月 - 2015年3月、BSジャパン)は毎週楽しみに見させて

頂きました。 特に印象に残っているのは、酔客にブラザートム、酔女に倉嶋紀和子を迎えて

「赤羽界隈」で呑んだ時の放送です。いつものように、あちこち梯子酒しながらブラザートムの

話を聞いているうちに、一の輔はトムの考え方、生き方に感動と憧れを感じてしまい

最後の方は、いつもとは違い酔いが覚めてきたのか、、真顔で「今から帰って落語の稽古

しよう」とつぶやいたのを今でも覚えています。根が真面目なんですネ!

確か4年ほど前だったと思います。





趣味も「飲酒」だけでなく、落語協会主催の「謝楽祭」では空手の「板割り」をやったり

確か「アルプス登山」も経験していると記憶しています。

多方面での才能を持っている芸人さんだと思います。

日本大学時代の「落研」サークルでは、「柳家わさび」の先輩に当たります。






   【演目】


『ガマの油』




まずは、長いセリフのガマの油売りの口上をただ覚えただけでなくうまく演じていました。

拍手です!!


一之輔は古典を演じる場合でも、色々な工夫を凝らしているようです。

今回も新しい試みを演じていました。

普通、落語の構成は「マクラ+本題+サゲ」で出来ていますが。

今回は「マクラ+本題+マクラの続き+本題+サゲ」と言う構成で話ました。

確かに、演目も二つに分けやすい演目でした。

前半は「口上」がうまくいき、ガマの油がたくさん売れた場面、後半は酔っぱらって

「口上」もままならず、おまけに普段なら切れない腕が切れてしまい血だらけになる場面です。



落語の「マクラ」の語源の由来は諸説あるようです。

極端なのは英語の「マーケット クライアント ライブラリー( Market Client Library )」から

一文字づつとって『マクラ』と呼ぶようになったと言う説もまことしやかに言われています。

しかし、落語の頭の部分につく(あるいは頭を載せる)ので「マクラ」と言う方がなんとなく

しっくりしますし、粋な感じがします。

では、今回の一之輔の落語構成のように本題の途中に別の噺が入るのは何と呼ぶのでしょうか。

同じ載せるのでも「座布団」では一番下で体全部が載るから最後の「サゲ」になってしまいます。

「マクラ」は本題の頭が載るので「マクラ」、今度は逆に本題の体の途中に別の噺が載るので

”膝枕”ってーのはいかがでしょうか。       (座布団一枚!)




冗談はともかくその”膝枕”の中で、私が30年使っているオリジナルマイフレーズの一部を

一の之輔に使用されてしまいました。 




一之輔


「確かに、私は酒が好きです。でも向こうも私のことが好きなんです。相思相愛なんです」






オリジナルマイフレーズ(使用歴30年)


「私が酒好きじゃあないんです。酒が私を好きなんです!」

「特に最近は陽が落ちると毎晩表れて私にすり寄ってきます!」

「酒にストーカーされてます。近々警察に相談に行こうと思ってます!」




どうです!

全部ではありませんが、一部ニュアンスが似てるでしょう。

商標登録しておけばよかったかなぁー!




でも、なんとなくよく見ると一之輔の方が、正直で真面目そうな感じがしますネ。

それに、私のは少ししつこい気もします。

私に方が印象的に不利かも!



まっ、とりあえず酒飲みの考えることは一緒ってことにしておきましょうか!!















≪二代目 立花家 橘之助(たちばなや きつのすけ)≫





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師匠の3代目三遊亭圓歌からスカウトされた際、「お前を女優にしてやる」と口説かれ、

その気になって入門したものの、気付けば芸人にされていたという。

小円歌時代、師匠の圓歌が心筋梗塞で倒れて入院する騒ぎになった際、マスコミから

病名を聞かれて誤って「近親相姦です」と答えたと圓歌本人にネタに

されていましたが、どうも事実ではないようです。

本人は「日本(世界)に2人しかいない女流三味線漫談家」を自負しているようです。







   【演目】



   『浮世節 たぬき』






初代 立花家 橘之助の代名詞とも言われる「たぬき」です。

三味線の色物が寄席でトリをつとめた異例中の異例と言われた襲名披露興行でも

浮世節「たぬき」を鮮やかな音色で聴かせ、期待に応えていました。










≪立川生志≫




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生志の真打までの道のりは実に長かったようです。談志がなかなか認めなかったからです。

評論家筋に高く評価され、毎年のようにコンクールで受賞する「そんじょそこらの真打より

上手い二ツ目」と言われ真打昇進を期待されました。

談志が定めた立川流の昇進基準では、二ツ目は落語五十席、真打は落語百席の習得が

必要とされるほか、歌舞音曲と講談も出来なくてはいけない。

笑志の場合、引っかかったのは「歌舞音曲」の部分だったようです。

そんな中で2008年、5年がかりでやっと真打に昇進しました。


笑点の若手大喜利などでは、何度か見かけましたが、落語は聞いたことがありませんでした。

立川流生え抜きの真打では志の輔、談春、志らく、談笑に次ぐ実力者であることは

間違いないようです。

近々、師匠の男子のおはこ、“芝浜”を披露するそうで、楽しみです。




   【演目】


  『紺屋 高尾』




師匠の立川談志、兄弟子の立川志の輔の得意噺ですネ。

花魁の最高位である高尾太夫と、一介の紺屋の職人との純愛をテーマに据えた作品で

「五代目の高尾」の実話に基づいた噺です。

人気の始まりは、大正末期に出した篠田実の浪曲レコードで当時は異例となるほどの

売れ方をしたそうです。

ストリーがハッピーエンドで日本人好みの人情が入っているからでしょうか。








〖お土産〗



予め指定シートに置かれていました。



トートバッグ 大 小

ANAオリジナルペットボトルカバー

ボールペン

そして、意味が良くわかりませんが、「子供用の学習帳」




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以上、『第80回全日空in東京』 の紹介でした。

寄席・芸能 | 22:28:09 | トラックバック(0) | コメント(0)
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