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~ 神田界隈のプチ社散歩 Ⅱ~
想像した通り、路地裏に隠れたように鎮座していました。

しかし、それぞれにへぇーっというような歴史がありました。



【御宿稲荷神社】



外堀通り、鎌倉町交差点の近くに鎮座していました。




         DSC_御宿7074










千代田区教育委員会発行の書籍「千代田の稲荷 」によると、豊臣秀吉の命により徳川家康が

関東移封の際、宿をとったのが武蔵国豊島郡神田村、現在の内神田一丁目だった。

後年江戸幕府は、その宿となった邸宅に祀られていた祠を記念として 「御宿稲荷神社」

称して社地を与えたという。それがこの神社始まりです。

色々な始まり方があるんですネ。






         DSC_御宿7072





    DSC_御宿7073_01










社号の読みは、オヤド・オンジュク・オンヤド・ミジク・ミシュクなど、昔から様々に呼ばれていて、

正しく定まってはいないようです。

個人的には 「オンヤド」が気に入ってます。(だから何だ、ですけれども)


戦後、社殿を焼失しますが、御神体は無事で、昭和31年(1956年)二の午の日に落成。

現在の社殿は平成18年(2006)に新築されたものです。

コンクリート製で屋根は瓦葺。





         DSC_御宿7075











狐像は、右が子抱き、左が宝珠を抱えています。

高いビルに挟まれていますが、しっかり前を見据えています。




         DSC_御宿7076











鎌倉町の歴史

天正十八年(1590)、豊臣秀吉の命により徳川家康が江戸に入る。

当時の城は、室町時代の武将太田道灌が築いた城塞を後北条氏が整備しただけのもの。

慶長8年(1603)に征夷大将軍になった家康は、江戸に幕府を開き、江戸城改築と合わせ

町の整備を次々と実施した。

そのころからこの付近の河岸には多くの材木、石材が相模国から運び込まれ、

鎌倉から来た材木商たちが築城に使う建築部材を取り仕切っていた。そのための荷揚場が

「鎌倉河岸」と呼ばれ、それに隣接する町が「鎌倉町」と名付けられた。

築城に際し家康が近江から連れてきた甲良家は、鎌倉町内に宅地を与えられ、以後代々

この地に住み続けた。

甲良家は、大工方の大棟梁として、江戸城をはじめ増上寺、日光東照宮などの

幕府関連施設の建設に尽力した。

先日記した、善光寺もこの甲良豊前宗賀(こうらぶぜんそうが)の手によるものでした。

そんなつながりで、鎌倉町は大江戸八百八町の中でも、とりわけ幕府との関わりが深い町だった。




         DSC_御宿7077










社号    御宿稲荷神社

祭神    宇迦能御魂ノ神

創建    江戸時代前期

祭日    2月の初午か二の午の日

所在地   千代田区内神田1-6-8












以上 『神田界隈のプチ社散歩 Ⅱ』 ”御宿稲荷神社” でした。

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神社 | 05:22:28 | トラックバック(0) | コメント(0)
~ 神田界隈のプチ社散歩 Ⅰ ~
神田界隈は、江戸時代のころから商人の町でした。

その為、町のあちらこちらに商売繁盛を願う大小の神社・社が存在しました。

その神社が、合祀されたり遷座したり、あるいはビルの一角に納められたりしながら

現在までも、存在しています。

そんなところを、ぶらりと散歩しながら歴史を垣間見てみたいと思います。




【佐竹稲荷神社】


   主祭神    宇迦之御魂神

   鎮座地    東京都千代田区内神田3-10-1






Jr神田駅西口を出るとすぐ、活気にあふれる西口商店街です。

6m幅の狭い道路が300mほど続き、そこに100件ほどの飲食店が連なります。

その中央あたりに忽然と鎮座していました。




DSC_佐竹7025_01





         DSC_佐竹7026_01





江戸時代初期、秋田藩主・佐竹氏の屋敷内に、鬼門除けとして祀られた社です。

戦国時代まで、常陸国約80万石の大大名であった、佐竹氏は関ヶ原の戦いには

直接は参戦しなかったが、家康を追撃する密約を上杉景勝と結んでいたことが戦い終結後

家康の耳に入り、突然石高半分以下の秋田20万石に国替え、都落ちを命ぜらえた。

その佐竹氏の江戸屋敷内に鬼門除けとして祀られていた社です。

佐竹氏の江戸屋敷は、神田豊島町「龍角散本社」から「佐竹商店街界隈」であると

思っていましたが、江戸時代初期はこの内神田界隈にあったようです。











DSC_佐竹7028






大火災よってあたりは一帯は消失、その後も関東大震災、大空襲と苦難を経て、現地に

再建されました。現在は火伏の神様、商いの神様として商店街のシンボル的存在に

なっています。

朝は、通勤通学の人達で、昼は外国語を学ぶ若者で、夕方はサラリーマンの

憩いのひと時で、賑わう神田西口商店街の鎮守の社でした。











【出世不動尊】



所在地      東京都千代田区内神田2-6





神田西口商店街 「佐竹稲荷神社」から二つ目の十字路を左折すると、ビルとビルに

挟まれるように鎮座していました。




         DSC_佐竹7029_01






戦災と再開発等の影響で規模はだいぶ小さくなりましたが、元を正せば江戸城内にあった

一ツ橋徳川水戸家の表鬼門除けとして祀られたもので、本尊は智証明大師作。

別名、東潮院不動尊とも言う。明治以降、神田松下町の有志によって管理され、

第二次世界大戦までは院内に川越喜多院の僧・野川良源が住み仕えていた。

昭和20年(1945)二月、戦災により本堂は消失したが、本尊は野川良源が生国の

九州天草(熊本県)に避難させていたため無事であった。

第二次世界大戦後は、神田鎌倉町の要請を受けて、出世不動通りの方々が管理した。




         DSC_佐竹7030








稲荷神社と同じ朱塗りですが、造りがそれとは違い、屋根もしっかり瓦葺です。

都内でも由緒ある不動尊として知られており、明治の頃には毎月二日、十五日、二十日、

二七日に縁日が行われ、植木商などが市を出し盛況であった。

後に縁日は毎月二七日のみとなるが、縁日と歳末の羽子板市には多くの人が集まり

大変にぎわったという。

現在の本堂は、昭和六三年(1988)年七月に完成。

出世不動とは、相撲取りが信心すれば出世すると言い伝えられたことが

始まりと云われています。











         DSC_佐竹7037








【手水鉢】



手入れの行き届いた鉢に綺麗な水が満たしてありました。




DSC_佐竹7038





現在も、出世不動通りの方々でしっかり管理されているようです。

毎年、今頃になると、出世不動通りを歩行者天国にして、年に一度の”技芸際”「おとこ縁日」が

盛大に行われる。ちなみに今年は9月7日(金)です。




302-1.jpg


                            【神田公園地区連合町会のサイトより】










         DSC_佐竹7039_02












以上 『 神田界隈のプチ社散歩 Ⅰ 』 でした。

神社 | 22:38:17 | トラックバック(0) | コメント(0)
~ 牛に引かれて・・・・・ ~
日程の都合で、は同行できませんでしたが、

江戸時代から「一生に一度は行きたい善光寺参り」と言われた『善光寺』に来ています。

年間600万人が訪れると言われる善光寺。

参道も参詣者で一杯です。




         DSC_善光寺6973_01











【仁王門】


参道を通り石段を上がると、仁王門が迎えます。

仁王門は、宝暦2年(1752)に建立されましたが、弘化4年(1847)の善光寺大地震で

焼けてしまいました。その後、元治元年(1864)年に再建されるも、明治24年(1891)の火災で

また焼失。現在のものは大正7年(1918)に再建されたものです。

高さは13.6メートル、間口13メートル、奥行き7メートルのけやき造りとなっています。




DSC_善光寺6972_01DSC_善光寺6971_01




迫力ある仁王像が参拝者を迎え入れます。

善光寺の仁王像は通常とは逆で、左側に阿形を置いています。

「阿形」は左手に金剛杵を持ち右肩を上げています。右側の「吽形」は左手を振り上げて

右手をまっすぐのばしています。

仁王像は、高村光雲と米原雲海の合作による彫刻です。











【六地蔵・濡れ仏】



仲見世通りを過ぎて駒返り橋を渡り、山門に向かう途中の右側に六地蔵があります。

また、六地蔵と並んで濡れ仏があります。

六地蔵は宝暦9年(1759)に造立しましたが、昭和17年の大戦で金属回収ため没収され、

現在のものは昭和29年に再興されたものです。

六地蔵の左隣には濡れ仏と呼ばれる大仏(延命地蔵)があります。

濡れ仏は享保7年(1922)に造立されたもので、像高は2.68メートルあります。

銅像坐像で、右手に錫杖(しゃくじょう)を持ち、左手に宝珠(ほうじゅ)を持っています。




DSC_善光寺6974_01







【山門(三門)】          国重要文化財


六地蔵と濡れ仏を過ぎて、石段を上がったところに山門があります。

桁行き約20.4メートル、梁行き約8メートル、高さ約18メートルの入母屋造りの大楼門です。

5年の歳月を経て、寛延3年(1750)に建立されました。

山門の内部(門の2階部分)には、四天王に囲まれた木像文殊菩薩坐像、四国八十八ヶ所の

札所本尊を模刻した百体仏が祀られています。




DSC_善光寺6975_01





         DSC_善光寺6998_01





         DSC_善光寺7004_01






また、正面には有名な「善光寺」の額が掲げられています。

これは、通称「鳩字の額」とも呼ばれており、良く見ると鳩が五羽隠されています。




             pigeon01.jpg
  









【手水舎】 




DSC_善光寺6976_01
   









【本堂】          国 宝



本堂は、間口23.89メートル、高さ25.82メートル、奥行き53.67メートルの規模をもつ

江戸時代中期仏教建築を代表する大伽藍です。

建築面積では、国宝建造物の中では、東大寺大仏殿、三十三間堂に次いで3番目の

大きさを誇っています。

通常のお寺に比べ、間口に対して極端に奥行きが長くなっているのが善光寺の

本堂の特徴です。

通常のお寺は左右に長いのですが、長野の善光寺は前後に長く造られています。

本堂は度重なる火災に遭っていますが、現在の本堂は元禄13年(1700)の火災の後に

徳川幕府が松代藩に命じて造られたものです。

7年の歳月を経て、宝永4年(1707)に完成しています。

設計は、幕府お抱えの名匠である、甲良豊前宗賀(こうらぶぜんそうが)が行っています。




DSC_善光寺6977_01








大勢の参詣者の焚く線香の煙で獅子も煙たそうに横を向いています。




         DSC_善光寺6978_01









こちらの獅子は狛犬替わりでしょうか。




DSC_善光寺6981_01








こちらは、「身代わり地蔵」でしょうか。

皆さんに顔を撫でられて、摩耗しています。

却って、痛々しいです。




         DSC_善光寺6983_01










本堂伽藍の両サイドにある「梵鐘」です。

どのような時に使われるのでしょうか。

気になりますネ。




DSC_善光寺6987_01





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本堂に、三か所ある入り口の一つです。

確かに縦に長い構造です。




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【経蔵(輪廻塔)】          国重要文化財



経蔵は宝暦5年(1755)に造り始め、同9年(1757)に完成した歴史ある建物であり、

宝形造りで正面、奥行きともに15.4メートルの正方形の建物です。

内部は石敷きで、中央に八角の輪蔵があります。

輪蔵は、水平に柱が角のように出ていて、押すと心棒をめぐって独楽(こま)のように

くるくる回転するようになっています。

輪蔵の中には、鉄眼黄檗版一切経(6771巻)が収められています。




DSC_善光寺6991_01






経文を読まなくても輪蔵を回すだけで、お経を読んだことになり、功徳をもたらしてくれると

言われています。

経蔵の中には、輪蔵のほかにも伝教大師や慈覚大師像、中国で輪蔵を発明した傳大士像、

釈迦三尊像、如意輪観音などが安置されています。




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【水子地蔵】


後ろの棚には子供のおもちゃなどが置かれています。

子を思うピュアな親の心がしのべます。




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【むじな地蔵】



宿坊の立ち並ぶ参道にこんな地蔵がありました。

下総に住む(現在の五霞町)むじなが、現世を反省し、善光寺にお参りして

灯籠を寄進して、後世の安楽をお願いしようとしたが、結局出来なかった。

それを見かねた宿坊(白蓮坊)の主人が、むじなに変わり灯籠を寄付したと言う

伝説を地蔵にして祀ったそうです。

実際「経蔵」の横に、現在も「むじな灯籠」は存在しています。

五霞町のむじなの話と言うので気になりました。




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以上、沢山の参詣者が行きかう『信州 善光寺』 でした。

仏閣 | 22:53:06 | トラックバック(0) | コメント(0)
~ 小布施の町並み ~
”観光総合案内所”のアドバイスで、小布施の町並みを散歩してみました。

小布施の町は、栗と北斎と花の町 です。

その名産の栗の木を敷き詰めた小路が造られています。


【栗の小路】



         DSC_小布施6952_01





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栗の木を、専門的に言うとピンコロ状(キューブ)に加工して敷き詰めています。

柔らかい木の感触が足に心地よく、優しく路地に響きます。

写真は、北斎館と鴻山館の翛然楼(ゆうぜんろう)を繋ぐ小路です。

この道を、北斎と鴻山が絵の話をしながら行き来したのでしょうか。












【松葉屋本店】



ここは”案内所”で紹介されたわけではありませんが『栗の小路』をたどっていたら

たどり着きました。

まあ 「アル酎ハイマー・はいかい士」の嗅覚でしょうか。



松葉屋さんは、江戸時代創業の老舗で、築200年の酒蔵です。

この辺一体の大地主であった市川家が、家賃として納められた米を処理しきれなくて

酒造を始めたそうです。

米の他、穀物も納められていたので、当時はそれを使って味噌や醤油も作っていました。

現在の市川さんは14代目だそうです。

代表銘柄の「北信流」の他に「本吉野川(ほんよしのがわ)」という日本酒も作っています。

元々は「吉乃川」という銘柄を長年作ってきたのですが「吉乃川」と言う酒名を

他の酒蔵(新潟かな?)に商標登録されてしまって、使えなくなってしまったことから

酒名を「本吉乃川」に変更しました。

しかし、それでもまぎらわしいので、別の代表銘柄を作ることになり

「北信流」が誕生しました。




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さすが大地主、太っ腹ですね。

酒蔵の庭を一般の人に通り抜け解放しています。




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先ほど「嗅覚でたどり着いた」と言いましたが、実はこの煙突が見えたから、

酒蔵があると確信して来てみた次第です。

さすがにこの煙突は現在は使っていないでしょうが、以前は米を蒸したりするのに

酒蔵には欠かせないものでした。又酒蔵のシンボルとして、あるいはランドマークとして

の役割を果たしてきた貴重なレガシーです。

六角形で先すぼみがお洒落ですよネ。




         DSC_小布施6961_01













蔵元の庭の通路にも栗の木が敷かれています。

さすが栗の町小布施ですネ。







         DSC_小布施6958_01









酒蔵の庭を通り抜けると「中の小路」につながります。

こちらも栗の木が敷かれています。




DSC_小布施6957_01













【浄光寺】



こちらのお寺は案内所で、岩松院へ行く前に行かれた方がいいですよと

アドバイスされたお寺です。




DSC_浄光6931










石段が、あたかも芸術作品のように積まれています。

単なる「野積み」とは違うように思われますが?

歩きやすく積むならもっと他の積み方があるように思える。

まあ、とりあえず登ります。

とても歩きづらい、登りづらい石段です。

せめて足を載せる踏面ぐらい平にしてほしかったナ。




         DSC_浄光6932_01










石段を登りきると、ポツンと置かれたように『薬師堂』 がありました。




DSC_浄光6938_01





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寺伝によると天平2年(730年)に草堂が建てられ、大同4年(809年)に改築が行われ

現在の「薬師堂」は応永15年(1408年)に再建されたものです。

室町時代初期の代表的建築物で、国の重要文化財 に指定されています。

堂内には、薬師如来坐像、十二神将、薬師堂壁画、金銅仏など多くの文化財が

収められています。











〖小布施総合案内所〗



小布施に着いてすぐ、確認したいことがあったので、駅舎の中にある

”総合案内所”に行ってみました。

すると5~6つのテーブルで商談(のように見えた)が行われていた。

それは案内所の担当者が訪ねてきた旅行者の対応をテーブルを囲んでしている

ところだったのです。

この景色ですら他の案内所では見られない風景なので驚きでしたが、

私がテーブルに着くと、私の旅行持ち時間、目的等確認すると、カタログ、時刻表、

地図等を使い懇切丁寧に、プチ巡回旅行をコーディネートしてくれました。

(例えば、目的地の一つ手前のバス停で降りて歩いて行くと、こんなところがあります。

その後目的地を訪ねると見終わったころちょうど次のバスが来る時間になります等)


行くところどころの見どころ、食事処やバス、電車の時間等痒いところに

手が行き届いておりました。それだけにとどまらず、案内所の前が巡回バスの乗り場とは言え

事務所から出て来て、バスで出ていく我々に手を振って見送って頂きました。

まるで担当者一人一人が観光大使として自覚を持っているような対応でした。

色々な観光案内所にお世話になってきましたが

この様な案内所は初めての経験です。

おかげで、とても爽やかで気持ちの良い小布施プチ旅行が出来ました。

本当に感謝です。

そこで、この案内所でも紹介してくれなかった”小布施の名所”を紹介します。

小布施に着いたら、まず駅の出口を出てすぐ左にある『総合案内所』 に行くべし!!

なぜならば、そこが小布施の一番最初の”名所” ですから。










以上、とても爽やかな 『小布施の街並・人並』 でした。

旅・はいかい | 06:25:38 | トラックバック(0) | コメント(0)
~ 信州小布施 北斎館 ~
画狂老人 葛飾北斎

の肉筆画ワールド 『北斎館』 として昭和51年に町内に遺されている北斎作品を公開

するための美術館として建てられました。


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入り口では、杖を突いた画狂老人が出迎えです。




DSC_北斎6955_01










時代ごとの浮世絵の変革や

小布施滞在中に描いた肉筆画40点余の他、

北斎が、天井画を描いた祭屋台が常設されていました。




DSC_北斎6956_01











その中でも、圧巻なのは祭屋台の天井図です。

祭屋台ごと展示されていました。

部屋の中央に展示されていて、ぐるりと周りを巡って全体が鑑賞できるようになっていました。

この2台は長野県の「県宝」です。

驚いたのは、実際の祭屋台の天井には、レプリカが取り付けられていて

直筆は、屋台から取り外され、近い距離から鑑賞できるように下に建てかけられています。





original.jpg











【龍・鳳凰】



天保5年(1844年) 東町祭屋台天井図



「龍 図」




DSC_北斎7012_01








「鳳凰図」




DSC_北斎7013_01












【怒 涛】



弘化2年(1845年) 上町祭屋台天井図


浪の魔術師の本領はっきですネ!



「男 浪」




20180821185129fb7.jpg








「女 浪」




DSC_北斎7010_01









『北斎館』では、岩松院の『八方睨みの鳳凰』同様2017年5月に開かれた

大英博物館・北斎特別展 「北斎ー大波の彼方へ」の出展依頼を受け、

祭屋台天井絵4点を含めた合計13点を出展し、イギリスの方々に博物館でも

行列ができると言うことを知らしめて来たそうです。









以上、観る者の心を引き付けてやまない北斎がいる『信州小布施 北斎館』 でした。

芸術 | 22:39:16 | トラックバック(0) | コメント(0)
~ 小布施に来ちゃいました ~
長野で一番小さな町『小布施』に来ています。



DSC_街並6929







「神奈川沖」で時間を止めて、世界を驚嘆させた男、”葛飾北斎”「八方睨み」を観に

『小布施』に来ました。




葛飾北斎は、信州の豪商「高井鴻山」の招きで83歳で初めて信州・小布施に訪れて

その後、89歳まで幾度となく訪れて滞在し、晩年の絵の集大成に没頭しました。

”八方睨み鳳凰図”は北斎の肉筆画です。

北斎は40代後半までは、肉筆画を描いていましたが、

「冨嶽三十六景」などの風景画が評判となり、浮世絵版画中心の時期が続きました。

その後、人気絵師としての活動が一段落した北斎は、80歳を過ぎて再び肉筆画に取り組み

中国や日本の故事と古典に基づく作品や自然を主題にした肉筆画の創作に没頭しました。

高井鴻山は屋敷の敷地内に北斎専用のアトリエを建てるなどして、その肉筆画の創作を

全面的にバックアップした。

そのおかげで、ここ小布施には北斎の肉筆画が多く残されています。







”八方睨み鳳凰図”のある 『曹洞宗 梅洞山 岩松院』 です。






〖仁王門〗




運慶の「金剛力士像「」とはいかなかったようです。




DSC_八方6941_01











〖本堂〗



この本堂内の大間の天井に”八方睨み鳳凰図”が書かれています。




         DSC_八方6942_01











〖八方睨み鳳凰図・原図〗




天井絵の元となった原図です。

 縦 40cm・横・ 50cmの 軸物です。

江戸末期の嘉永元年(1848年)北斎89歳の時の作品です。







DSC_八方7016_01




北斎の”神奈川沖浪裏”を所蔵する大英博物館が2017年5月から

開催した北斎特別展「北斎ー大波の彼方へ」への出展を依頼され、

この『八方睨み鳳凰図・原図』を展示することになり、約3か月間展示された。

その結果、この原図の前は、鑑賞者の列が途切れることが無いほどの人気を呼んだそうです。










〖八方睨み鳳凰図・天井図〗



小布施滞在の最後に手がけたのが、鴻山にすすめられて描いた

原図の100倍、21畳もの大きさの岩松院の天井画「八方睨み鳳凰図」です。

一年がかりで描き上げた。

岩絵具は、中国より輸入した辰砂・孔雀石・鶏冠石などの鉱石を用い、

その費用は当時のお金で150両にもなったそうです。

スポンサーがいればこその結果でしょうか、

言い変えれば鴻山との共同作品ともいえます。

又、金箔を4,400枚使用した色彩光沢は、現在でも少しも変化していません。

北斎晩年の最大の作品と言われています。




DSC_八方7015_01











〖八方睨みの拡大図〗



顔の部分を拡大しました。

確かに、八方にらんでいます。

ルーブルの”美しきナーニ”とは違い、どこから見ても鋭い眼球がこちらを睨んでいます。




DSC_八方7017_01











〖鳳眼と鶏冠(とさか)〗



まなじりがが深く、朱を含んだ鳳眼は北斎が鶏冠と共に

思いを込め、一番力を注いで描いた部分です。

すごい、ど迫力ですネ。

どう見ても、90歳近い人間の仕業とは思えませんネ。

まして江戸時代の時の90歳ですから、今なら何歳位に当たるだろうか。

想像するだけで鳥肌が立ちます。




DSC_八方7019_01











ここ「岩松院」には、北斎天井図以外にも見るところがありました。



【福島正則の霊廟】



豊臣秀吉の重臣として、又広島城五十万石の大大名として君臨していた「福島正則」は

徳川幕府の謀略により、この信州の四万五千国の小大名に国替えさせられた。

失意の底にありながら、領主となった正則は領主内の改革に取り組み

新田開発などを行い、領民から明君として親しまれました。




         DSC_八方6943_01











【小林一茶】



本堂の裏庭にある小さな池は、桜の咲くころになると「ヒキガエル」が集まり

求愛をする「カエル合戦の池」として有名です。

一年の内5日間、昼夜を問わず約100匹のカエルの”くくみ声”が聴こえるのは

静かな山寺の春の風物詩となりました。




         DSC_八方6947_01









俳人小林一茶はこの「カエルの鳴き合戦」を見て、代表作と言われる

” やせ蛙 負けるな一茶 これにあり ”

の句を詠みました。


     病弱な長男 千太郎への声援の句ですが、その願いもむなしく

     千太郎は生後 一ヶ月足らずで他界してしまいました。




その句碑が池の奥に建立されています。




         DSC_八方6946_01






小布施には一茶の句碑が30ほど建立されています。

その中で3基だけが一茶の直筆です。

岩松院のこの句はその3基の内の一つです。

句碑には


”痩かへる まけるな一茶 是に有” と書かれています。












以上、大満足の 『岩松院 八方睨み鳳凰図他』 でした。

芸術 | 22:45:19 | トラックバック(0) | コメント(0)
~ ルビーロマン ~
今年も又、金沢から『ルビーロマン』が送られてきた。

 


         DSC_ルビー6915_01



早速仲間を集めてご賞味宴会の始まりです。

場所は最近お世話になっている ”酒蔵 守門” です。

全員が集まったところで、開封。




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梱包を取ると赤いルビーが,ふっくらしたソファーに横たわっていました。




         DSC_ルビー6921_01









軽く水洗いして いただきま~す。




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恩恵にあずかった方々です。

子供に「オミヤ」した方もおりました。

確か、去年も! 

まあ、一人でも多くの多くの人に喜んでもらえば”送り主”も喜ぶでしょう。




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皆さん、ルビーロマンな顔をしていますネ。

ちなみに、カウンターの中に居る「守門のママ」もいただきまして、

見知らぬ送り手に”ご馳走様”をしておりました。


又、Vサインをしているのは「2粒目を頂きました」と言うサインです。

(3本指のサインは、シャッターチャンスを逃しました)



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御馳走さまでした!!


また来年もお待ちしています!!



以上 「第2回 ルビーロマンをいただく会」 でした。

お酒 | 22:45:57 | トラックバック(0) | コメント(0)
~ 諸国 ひものと ~
東京駅一番街 地下南通りに変わった店が出来ていました。

『 諸国 ひものと 』

名前を聞いただけでは、なんの店か解りませんよね。

何となく、「干物屋」かなとは思いますが、それなら「と」が余る!

「諸国」も気になるし。




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とりあえず、酒は飲めそうなので入ってみました。

と、店内は意外と広かった。




入口際に、13人掛けの広めのⅬ字カウンター




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4人掛けのテーブルが七つ、2人掛けのテーブルが一つ、

奥に個室タイプの6人掛けのテーブルが二つ



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まず飲み物の選択から

 「漱ぎ」には、最近すっかり定番になってしまったハイボール





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なるほど、店の名前の通り「干物」にはこだわりがあるようです。

全国から築地に集結した干物の中から厳選した上質な干物を

15種類吟味して用意してあるようです。




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この中から、店一番人気で、店主お薦めの

「鯖の灰干し」



   ″灰干し”とは下ごしらえした魚に火山灰を被せて干し、低温で15時間寝かせて

   旨味成分であるアミノ酸をたっぷり醸成させる製法だそうです。





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なるほど、初めて頂きましたが、甘み、旨味たっぷりで脂ものっていておいしいです。

まあ、言ってみれば干物自体が”熟成” ですから、特別熟成と言うところですか。




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つまみがが魚だとやっぱり酒は「日本酒」でしょう。

ここは日本酒にもこだわりを持っているようです。




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全国から取り寄せたラインナップ




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その中から

福岡 岩波酒造    特別純米酒  蜻蛉


フルーティーで呑みやすいお酒でした。





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全国から、厳選した郷土料理も”諸国惣菜”として用意されていました。

これが”諸国”の意味だったのか。





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銀鱈の西京焼き


日本酒にはぴったりの肴です。




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福島  宮泉銘醸   純米酒 写楽

4年連続金賞受賞の福島の銘酒

全国日本酒ランキングでも、9位のシングルランキング


貫禄の旨さです。




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五箇山豆腐揚げねぎおかか


丁寧に説明が書かれていました。

その中で、「五箇山」と「堅豆腐」のフレーズが気になって頼んでみました。

でも、五箇山の堅豆腐はあまり聞いたことありませんでしたが?




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う~ん。 見た目は想像に反して「一口厚揚げ風」ですが。

確かに厚揚げ味、だったら」栃尾揚げ」の方かな。

でも決してまずくはありませんよ。




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以上 「諸国 ひものと」 でしすが、

「干物屋」さんですので、定食もやっています。ランチだけではありません。

我々労働者には有難い朝食もやっているんです。

東京駅で朝食が食べられるんですネ。




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処で、冒頭で書いた『ひものと』の余っている”と”は何だったんでしょうか。

店長に確認するのをわすれましたが、勝手に想像すると

「干物とお酒」「干物とご飯」「干物と肴」の”と”ではないでしょうか。

「干物」は酒やご飯や名だたる肴のように主役にはなれないが、主役が主役でいる為に

絶対必要な脇役”名脇役”を目指す思いが込められているのではないでしょうか。












以上、また一つ東京駅に行く目的が出来た 『諸国 ひものと』 でした。

お酒 | 22:17:04 | トラックバック(0) | コメント(0)
~ 東京駅 八重洲口 ~
丸の内側はたびたび訪れる機会があるのですが」、八重洲側はほとんどありません。

ちょっと散歩してみようと思います。


〖グランルーフ〗



まずは、八重洲口のランドマーク「グランルーフ」です。

ノースタワーとサウスタワーを結ぶ「光の帆」をデザインモチーフとした長さ約230mの

大屋根と、賑わい空間と歩行者ネットワークを形成するペデストリアンデッキ等の施設の総称です。

デザインアーキテクトは世界的建築家のヘルムート・ヤーンです。





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ノースタワー(大丸)へ向かうペデストリアンデッキ上です。

曲線状に伸びる「光の帆」とそれを支える斜め柱のリズミカルな連続が特徴的です。







サウスタワーへ向かうペデストリアンデッキと暑さを和らげるために

壁面緑化の緑からインターバルで吹き出すミストです。




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デッキから望む駅前を南北に走る外堀通りと正面に伸びる八重洲通り。

東京の中心ストリートです。




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一階の駅出入り口と商業施設

人の動くゾーンと車の行きかうゾーンが八重洲の森(植栽)で仕切られています。




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サウスタワー側には「光の帆」の下にも植栽がなされています。





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〖商業施設〗





デパートの一階には、高級ブランドの店が続きます。




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看板から飛び出てこちらに歩いて来そうな錯覚に陥いります。

それにしてもビトンな美人ですネ!




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素敵な看板がバックだと、なんだか前を通る人も皆、オシャレに見えてきます。




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〖オフィスビル群〗




東京駅の正面です。

地下街の排気塔が伸びています。




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周囲は高層ビルが続きます。

それぞれに名だたる企業の看板が掲げられています。




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丸の内とは違ったビジネス空間を醸し出す『東京駅八重洲口』 でした。

旅・はいかい | 13:59:05 | トラックバック(0) | コメント(0)
~ ルーブル美術館展 ~
『 ルーブル美術館展―人は人をどう表現して来たか』を観に来ました。

展覧会は3ヶ月あまり開催しているのですが、こんな長期間開催している催し物は、

そのうち行こうと思っているうちに、気が付くと終了していたと言う間抜けな経験を

何度かしているので、今回は心してやってきました。

とは、言うもののほとんど終了まじかですが。




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開催場所は、お馴染みの「国立新美術館」 です。


ここは、何となく個人的に気に入っています。




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チケット購入の際、ただ今30分待ちです。

と言われたのですが、それぐらい仕方ないかとチケットを購入しました。

しかし、会場の入り口へ行って ”びっくり” 

「ジャバラ状」に並んではいますが、長蛇の列です。

とても30分待ちとは思えない。

先にここを見ていれば、絶対今日はパスしていたと、後悔の思いが湧いてきましたが

すでにチケットは購入済、仕方なく最後尾と書かれた看板の前に並ぶ。




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お盆ウィークとは言え、平日なのによくこんなに人が集まるものですネ。

外国の方も結構います。

しかし、予想に反して45分程の待ちで入場出来ました、良しとしましょうか。





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「ルーブル美術館」の展覧会を日本で開催するのは5回目だそうですが

今回のルーブル展のテーマは「肖像芸術」

ルーブル美術館の8部門から厳選された「肖像彫刻、肖像画」が110点も

展示されていました。今までにない数の多さだそうです。

その中から気になったものを紹介します。









まずは、ルーブルの顔、一番の人気で、ポスターにもなっています。

ヴェロネーゼ《女性の肖像》、通称《美しきナーニ》です。

多くの人が彼女を観に来たと言っても過言ではないでしょう。

ルネサンス最盛期のヴェネツィアで大活躍した巨匠・ヴェロネーゼ。

中でもルーヴル美術館が所蔵するこの作品は、同館の所蔵作品の中でも

屈指の名作と言われています。

どこかをさまよっているような視線は、「モナリザの微笑」とは逆に鑑賞者がどこに立っても、

彼女と目を合わすことができないと言われています。


確かに合いませんネ!





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こちらも、ルーブルの顔の一人です。


パンフレットの巻頭も飾っている、フランス史上最高の権力者

ナポレオン・ボナパルトを描いた

アントワーヌ=ジャン・グロ 《アルコレ橋のボナパルト》


権力者の肖像画なので、真実の顔に近いかどうかは、別問題のようですが。





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ナポレオンのデスマスクも展示されていました。

こちらは、さすがに真実の顔に近いのではないでしょうか。

1821年5月5日、ナポレオンが息をひきとった数日後、イギリス人の主治医バートンが

石膏でデスマスクを作成しました。




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作者であるフランツ・クサファー・メッサーシュミットが、自分をモデルに様々な表情の

奇妙な頭部像を製作した全69点のうちの1点です。

フランツ・クサファー・メッサーシュミット 《性格表現の頭像》

精神的に病んでいた自分自身を治療する目的で製作したとされています。

だから、彼は生前これらの作品群を一切発表しませんでした。

没後にアトリエでまとめて発見されたのです。

苦悶に満ちた表情はリアルで切実なのですが、なんとなくおかしみもあって、

絶妙の味わいがある頭像でした。

音声ガイドを担当した高橋一生もこの作品が一番気になったと解説していました。




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この作品は私のお気に入りです。

マリー・アントワネットが自身の肖像画家として特に優遇したヴィジェ・ル・ブランが

ロシア皇帝に招かれて描いた

エリザベート・ルイーズ・ヴィジェ・ル・ブラン

《エカチェリーナ・ヴァシリエヴナ・スカヴロンスキー伯爵夫人の肖像》


この作品の前には≪美しきナーニ≫に勝るとも劣らない人だかりができていました。

思いは皆一緒でしょうか。


美人ですものネ!




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最後に気になったのが≪春≫と≪秋≫の2つの作品の内の一つ
 
ジュゼッペ・アルチンボルド 《春》

だまし絵的で発想が面白い「肖像画」です。


なぜか心がホッと和みます。




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肖像画の紹介は以上ですが、大好きな”国立新美術館”なので

「黒川紀章」に代わって館内を紹介します。




〖一階の吹き抜け風除室〗




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〖一階吹き抜け広場〗




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〖中央エスカレーターから広場〗





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〖3階通路から1階広場〗




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〖3階レストラン〗




フランスの3つ星レストランです。





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以上、”国立新美術館”の 『ルーブル美術館展―人は人をどう表現して来たか』 でした。

芸術 | 22:25:28 | トラックバック(0) | コメント(0)
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