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アル酎ハイマーはいかい士

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~ 休暇村 嬬恋鹿沢 其の二 ~
≪夕食&ドリンク≫



『休暇村 嬬恋鹿沢』 の夕食は、他の休暇村と同様、事前オーダー&バイキングです。


場所は2階の大食堂です。結構な広さです。

中央では、焼き肉サービスで焼き立ての肉が食べられます。




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〖バイキングパレット〗




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〖焼き肉〗




少し硬めの部分がありました。






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〖焼きそば〗




ちょっと味が濃かったかな。





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〖鰹のたたき〗




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〖ステーキ〗


事前にオーダーしておいたステーキです。

さすがにこれは柔らかくて美味しいです。




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〖四種類のタレ〗



山葵が一番美味しかったですネ。





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〖岩魚の骨酒〗


もう一つ事前注文しておいたのがこちらです。

チンチンの熱燗で頂きました。


美味!!





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≪露天風呂≫




〖脱衣室〗


綺麗に掃除が行き届いていました。




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〖洗面所〗



脱衣所の広さの割には洗面器の数が少ないか。




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〖内風呂〗




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〖洗い場〗





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〖露天風呂〗


ちょっと湯の温度が低かったですね。

それと、夜は灯りに集まった蛾の死骸がが沢山浮いていました何か対策が必要です。




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以上 『休暇村 嬬恋鹿沢 』 でした。


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旅・はいかい | 20:01:46 | トラックバック(0) | コメント(0)
~ 休暇村 嬬恋鹿沢(かざわ) ~
今日の宿泊は、最近よくお世話になっている休暇村の中の『嬬恋鹿沢』 です。




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〖フロント〗



フロントは広々としていましたが、ロビーは少し手狭でしょうか。




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その代わり通路には、くつろぎのスペースが造られていました。

壁には、綺麗な高山植物の写真が飾られていました。

ホテルのスタッフに写真家がいるのでしょうか。




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〖3階EVホール&客室廊下〗





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基本的には、通路に光が差し込む片廊下方式です。




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〖客室〗



客室ドアには、それぞれに高山植物の写真と説明書きが飾られていました。

中々おしゃれなサービスですネ。

高山植物の写真を撮るために、こちらのホテルに長期滞在をするお客さんも

沢山いるそうです。





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本日は、10畳の和室の部屋が提供されていました。

どうやら、幹事による後で始まるであろう宴会の都合のようです。




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窓際は洋間に造られていました。

まあ、一般的な和風旅館風でしょうか。



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〖外部施設〗



ホテルの敷地内に池を囲んで、キャンプ場施設が設けられています。



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沢の流れが聞こえる散策道もありました。




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以上、高原のホテル『休暇村 嬬恋鹿沢』 でした。


『休暇村 鹿沢』 まだ続きます。

旅・はいかい | 22:41:15 | トラックバック(0) | コメント(0)
~ 追分宿 蕎麦処 ささくら ~
旧中山道追分宿に、美味しい信州蕎麦だす店があると言うので、

ランチ時にお邪魔しました。

『追分宿 蕎麦処 ささくら』 さんです。


ここは、京都へ向かう中山道と、越後へ通じる北国街道の分岐点。旅人同士が

ここで、蕎麦でも食べながら別れを惜しんだのでしょうか。

中山道沿いから看板が見えました。




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「信州地粉 自家製粉」

良い響きです。そば粉の香りが出迎えてくれます。

入り口の構えも、どこから見ても、誰が見ても蕎麦屋ですね。




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今、暖簾を出したばかりで、いつも満席の店内は我々以外の客はまだ無し。


店内は、入ると正面に「囲みテーブル」と「小上がり」




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左側は、カウンター。

これは、夜の部の主戦場か。

焼酎が似合いそうなカウンターです。




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奥には、テーブル席と小さな小上がり




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注文したのは、人気商品の一つ「かけそばとミニ天丼」





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≪かけそば≫


麺は、やや細めでもちもち感のある二八そば

そばつゆは隠し味に「ワインビネガー」を使用しているそうです。

そのせいか、独特の香りと旨味があり残らずいただかせてもらいました。



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≪ミニ天丼≫


さっぱりと揚げられた天ぷらでした。




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ちなみにこちらが仲間の食べた≪山かけ蕎麦≫


山芋をご相伴にあずかりましたが、自然薯のような粘りでしたネ。




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『蕎麦処 ささくら』の前にこんな看板がありました。





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江戸時代に中山道追分宿で脇本陣をつとめた旅籠「旧油屋旅館」です。

建物保全と有効活用を目的とした「旧油屋プロジェクト」が発足しているそうです。

アートや音楽などの文化事業を「旧油屋旅館」を改修した「文化磁場油や」を拠点として

活動をしている。

歴史を残すということは良いことですネ。今に生きる者たちの義務だと思う。




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以上、歴史と蕎麦が香る大満足の信州蕎麦 『蕎麦処 ささくら』 でした。

食べる | 23:54:55 | トラックバック(0) | コメント(0)
~ 雲場池 ~
雲場池(くもばいけ)は、長野県北佐久郡軽井沢町の六本辻近くにある池。

地元では「おみずばた」と呼ばれ、「スワンレイク」という別の愛称も持っています。




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細長い形状からデーランボーという巨人の足跡という伝説が残るが、大正時代

ホテル鹿島ノ森の敷地内の湧水「御膳水」を源とする小川(雲場川)をせき止めて

造った人造湖です。




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水面に映る木々、のどかにたたずむカルガモ、そして軽井沢の気候が織成す情緒豊かな景色。

周囲に遊歩道も造られていて1周20分ほどの、のんびり散策するのにもってこいの場所です。

天皇陛下も、軽井沢を訪れた際は必ず、この雲場池でのお散歩を1~2回は楽しまれるそうです。





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カップルで楽しんでいるのは、カルガモだけではないようです。

「綺麗」に惹かれるのに年齢は関係ないですよね。

水面も平等に写し込んでくれています。




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今の時期はなんといっても「新緑」の映り込みでしょうか。

新緑の緑が、水面に写り、それが又、緑に跳ね返り一層翠の輝きを持たらしています。

まるで緑の宇宙を浮遊しているる様です。




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これでは、天皇陛下でなくても一度だけでなく四季折々の顔を見てみたくなりますよネ。




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以上、新緑のパレット『雲場池』 でした。

旅・はいかい | 05:44:31 | トラックバック(0) | コメント(0)
~ 軽井沢 諏訪神社 ~
”旧軽井沢銀座”の横、鬱蒼とした緑に囲まれて鎮座していました。

軽井沢地方開拓当初、信州一宮諏訪大社から分霊勧請されれ、

軽井沢郷の鎮守産土神として地元の人に親しまれてきました。




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【社号標】




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【鳥居&参道】


参道は、石畳敷きになっていました。




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【狛犬】


近代風の真新しい狛犬です。

最近奉納されたものではないでしょうか。




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【手水舎】





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【本殿】



守護神は、建御名方神(タケミナカタノカミ)。

風の神様です。




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   ≪しめ縄≫




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【御神木】




ミズナラの木樹齢不明




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【社 叢】



多種の木々に囲まれた社叢は、軽井沢町指定文化財に指定されている。




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鳥居の足元に置かれていました。





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以上、 旧軽井沢の隆盛を見守ってきた『軽井沢 諏方神社』 でした。







神社 | 21:29:41 | トラックバック(0) | コメント(0)
~ 旧軽井沢銀座 ~
かって中山道の宿場町であった軽井沢は

1888年(明治21年)にカナダ人宣教師のアレクサンダー・クロフト・ショーが別荘を開設して以来、

多くの著名人が軽井沢に別荘を設けるようになった。

その後もペンションブームが追い風となり、夏場の軽井沢は一層賑やかさを増した。

その別荘族の御用達の商店街として発展したのが『旧軽井沢銀座』と呼ばれる

このメインストリートです。




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グルメ、土産品、工芸品、ファッション、インポート雑貨等あらゆるものの


店舗がそろっている。その中でも軽井沢彫は外国人の別荘向けに

作られた経緯があり、今でも家具にはなごりを残し隠れた人気商品となっている。









〖シューズ屋〗




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〖デニム雑貨〗





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〖宝石店〗




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〖高原ジャム屋〗




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〖チャーチルストリート〗





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〖軽井沢彫〗




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以上、 『旧軽井沢銀座』 でした。

旅・はいかい | 22:30:02 | トラックバック(0) | コメント(0)
~ 懐古園 ~
「小諸なる 古城の畔 雲白く 遊子(いうし)悲しむ・・・・・」

島崎藤村の「千曲川旅情のうた」でおなじみの

長野県、千曲川の畔にある小諸城祉 『懐古園』 にお邪魔しています。




懐古園・水の手展望台より千曲川を望む。

名前のとおり、千曲川は曲がりくねっていますネ。


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天文23年(1554年)、甲斐の武田信玄の侵攻で小諸城の前身、鍋蓋城以下は

武田氏の手中に落ち、以後約30年間、武田氏の城代によって支配される。

信玄は、この地の重要性にかんがみ、重臣の山本勘助と馬場信房に命じて

鍋蓋・乙女城を取り込んだ新たな縄張りをさせ城郭を整備した。

これが小諸城の原型である。武田氏の滅亡後は、織田、徳川と支配が移ることとなる

天正18年(1590年)、豊臣秀吉が天下統一を果たすと、小田原攻めの軍功により

再起を果たした仙石秀久が5万石で小諸に封ぜられる。

秀久は城の大改修と城下町の整備に取り掛かり、今日遺構の残る堅固な城とした。

徳川による天下泰平の時代となり、仙石氏は秀久の子忠政のとき上田城に移り、

小諸城は徳川家光の弟の忠長の領有するところとなり、城代が置かれた。

その後もめまぐるしく城主が変わり、石高も5万石から近世中期までに2万石へと減らされたが、

重要な領地であることから、歴代藩主には徳川譜代等が配された。

明治4年(1872年)の廃藩置県で小諸城は役割を終え、明治13年(1880年)に城郭は

小諸藩旧士族へ払い下げられ、旧士族により本丸跡に懐古神社が祀られ、

「懐古園」と名付けられた。







〖三の門〗       重要文化財



小諸城は慶長元和年間に渡って城主仙石秀久によって築造されました。

この「三の門」もその時創建されたものです。

しかし、寛保2年(1742年)小諸城下を襲った大洪水により「三の門」は流失した。

その約20年後の明和年代に再建されて現在に至っている。





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1階は、桁行3間

     北脇に潜り戸を構え、隅金具・八双金具等が施されている。

2階は、桁行5間で、両脇に袖塀が設けられている。

     矢狭間(やざま)、鉄砲狭間が城郭の面影を残しているが

     梁間2間の住宅風の部屋になっているのが、特徴です。
     










〖大手門(四之門〗      重要文化財



小諸城は日本で唯一、城が城下町より低い位置にある「穴城」です。

大手門はその入り口の城門で、ここから本丸へ向かっては、迷路のような道と4つの門で

敵の侵入を妨いでいます。

大手門は小諸城の正門に当たり、慶長17年(1612年)藩主仙石秀久により

構築されました。この門を建てる際には、大工は江戸から呼び、瓦は三河から運んだとされ

当時はまだ瓦葺の屋根が珍しかったため「瓦門」と呼ばれました。

この実践的で、華美な装飾を省いた質実剛健な建築は、青森県の弘前城とともに

大手門の双璧と言われています。

明治維新後は民有となり、小諸義塾の仮教室や、一時料亭として利用されてきましたが

平成20年江戸時代の姿に復元されました。




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入母屋造 本瓦葺 楼門 で石垣と門が一体化されていない。

一階は、桁行五間、梁間二間で正面中央間の鏡柱等は太い柱が用いられている。

二階は、桁行七間、梁間三間、垂木には反り増しがあり、東西二室で畳敷きとし、

      座敷のようになっている。











  “懐古神社”


明治維新後、旧士族により、創建された神社で小諸城本丸跡に鎮座しています。

懐古園が”懐古神社”の境内にあることから懐古園の地主に当たります。




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【社号標】




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【鳥居】




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    ≪鳥居扁額≫




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【手水舎】




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【本 殿】




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    ≪本殿 扁額≫




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【神池】


大きな錦鯉が元気に泳いでいました。




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以上、 小諸なる古城の畔 『懐古園』 でした。

旅・はいかい | 05:44:16 | トラックバック(0) | コメント(0)
~ 日枝神社 境内社他 ~
【境内社】


日枝神社は歴史ある大きな神社ですので、境内社も大きな神社が鎮座しています。です。




≪麁香(あらか)神社≫




     旧藩時代は、富山藩江戸屋敷内にありましたが日枝神社に境内に移され

     藩が直接維持し祭儀を行うようになった。

     主祭神は度量衡(どりょうこう)の祖神(おやがみ)ともされ、数の原理を

     司り、工匠のみならず、諸工業商業に携わる方々の崇敬が篤く、戦前より

     崇敬講が行われ、現在も続いている。





     御祭神      手置帆負神(たおきほおいのかみ)

                彦狭知神(ひこさしりのかみ)
 
   


     社号標





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   狛 犬


     しっかりと造られた狛犬が置かれていました。





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    鳥 居


参道もしっかり整備されています。

麁香(あらか)神社への思い入れが伝わります。




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    拝 殿




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    干支石像



       参道には、干支の石像が建立されている最中です。




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≪稲荷社≫

   御祭神 - 倉稲魂命(うかのみたまのみこと)

≪水天宮≫

   御祭神 - 安徳天皇(あんとくてんのう)

≪春日社≫

   御祭神 - 天児屋根命(あめのこやねのみこと)









   鳥 居





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   狛 犬





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   拝 殿





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   安産犬




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    ≪弁慶石≫



源義経が奥州落ちの途中、岩瀬あたりを通過の時弁慶が怪力をふるって

この石を転がして、義経の腰掛にしたと伝えられている。




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    ≪針の碑≫



富山県和服裁縫組合の寄進により建立されました。

12月8日に針裁暮祭が盛大に行われている。




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以上 『日枝神社境内社他』 でした。

神社 | 04:38:50 | トラックバック(0) | コメント(0)
~ 日枝神社 富山 ~
地元の人から「富山山王さん」と呼ばれ親しまれている『日枝神社 富山』 に来ています。

富山で神社と言えばこちらの日枝神社と言っても過言ではないでしょう。

富山市の中心部に鎮座していました。




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社  号          日枝神社


鎮座地           富山県富山市山王町4-12


主祭神           大山咋神(おおやまくいのかみ)
     
               大己貴命(おおなむちのかみ)

社格等           県社・別表神社

創  建          不詳

例大祭           6月1日、2日











【由緒・沿革】


創建の年代は不詳。

古くは越中国新川郡針原に広い境内地をもって鎮座していたのを、

南北朝の1335年(建武2年)桃井直常が北条時兼を追討した際、敗走する時兼が防戦のため

社に火を放ったので、戦乱を避けて神体は旧上新川郡大山町隠土、旧上新川郡中野村と

各地に遷座した。

1367年(正平22年)以降、旧婦負郡藤居村(現在の富山城跡)に遷した。天正年間、

佐々成政が富山に入城の際、城内にあった藤居山富山(ふせん)寺鎮守山王権現を

現在地に遷し、富山の産土神とした。成政の越中退去後、1587年(天正15年)、

前田利長が富山城に入城して以降は、富山前田家の産土社に定められ、

新たに社地・社殿が寄進された。

1873年(明治6年)に郷社に列した。1875年(明治8年)、天照大御神を祀る北神明社、

豊受大御神を祀る中神明社を合祀した。1899年(明治32年)、境内地に新県庁を

建設するのにあわせ、かつて鎮座していた縁で富山城跡内に遷座し、同年8月2日

県社に昇格した。しかし同年8月12日に市街全域を焼く大火があり、社殿を焼失した。

1901年(明治34年)、現在地に本殿・拝殿を再建した。

1945年(昭和20年)8月1日富山大空襲により全社殿その他建物の全てを消失したが、

御神体は、本殿土壇の特設の防空壕に直前にお移しして被災を免れた。

戦後は被災にあった本殿・拝殿・社務所等が氏子崇敬者の御浄財により次々とご復興し、

神域は見違えるように旧に勝る威容を誇るに至った。

1968年(昭和43年)、神社本庁の別表神社に加列された。

2006年(平成18年)には、本殿の修復、幣殿の増築、廻廊の新築工事が行われた。












【社号標】



社格を表すような立派な社号標です。





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【鳥居狛犬】





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【一の鳥居】

【表参道】




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【手水舎】



表参道の突き当りに造られていました。




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【二の鳥居】



手水舎を右に曲がると拝殿を包むように建てられていました




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【拝殿狛犬】



とてもユニークな表情をした狛犬です。初めて見ました。

両方が口を開けているのも珍しいですが左側の狛犬の口の中には宝珠のような玉を

咥えています。中国(満州)から伝わってきたものです。





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正面だけでなく後ろ姿もユニークです。

右側は、まともに神様にお尻を向けています。

左側は、やや斜めにお尻を向けています。




DSC_日枝4084_01      DSC_日枝4083_01











【拝 殿】


平成18年に修復されました。




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内部も広々としています。




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   ≪拝殿扁額≫




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拝殿の上り口にこんな手水鉢も置かれていました。

駐車場の利用者の為でしょうか




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【神 馬】


拝殿の前に置かれています。




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【御朱印】




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以上『日枝神社 富山』 でした。

「日枝神社」 境内社が続きます。

神社 | 03:32:32 | トラックバック(0) | コメント(0)
~ 日本料理 みゆき 椿山荘 ~
と言う訳で、ディナーは椿山荘東京の2階の日本料理レストラン

『日本料理 みゆき 椿山荘』 です。





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通路沿いに箱庭が造られていました。

まさに、日本料理店です。




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ライトアップされた「三重の塔」が望める窓際のテーブルの席に通されました。

残念ながら「蛍の灯」は見えません。




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                                  ≪日本料理みゆきHPより≫












とりあえず、シャンパンで乾杯です。




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【先付け】



  トマト釜 海老 オクラ 玉蜀黍 雲丹 枝豆 胡瓜 南京


とても美味しいトマトでした。

トマト嫌いの私が、器になっているトマトまで完食してしまいました。




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【飲み物】



   八海山 利き酒フェア


     純米大吟醸浩和蔵仕込

     純米吟醸 雪室貯蔵三年

     特別本醸造



どれも美味しかったのですが、どれが一番かと言われれば

やっぱり大吟醸ですかネ。



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【小 皿】




  鮑柔らか煮 茄子 芥子 クレソン





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【吸 物】


   鱚真丈 雲丹豆腐 白瓜 薄菜 柚子




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【造 り】



    伊佐木 本鮪 牡丹海老 妻





     映像不明

     (シャッター速度より箸速度の方が速かったようです面目無い!)








【焼 物】



    甘鯛 フォアグラ包み焼 かぼす 茗荷黄身寿司 畳鰯





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【飲み物 Ⅱ】




日本料理には、日本酒と言うことで 福島の銘酒 写楽 

冷たく冷やしていただきます。




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【強 肴】



    黒毛和牛サーロイン綱島漬け 

    伊勢海老吉野煮

    帆立大和煮

    酢橘 甘長唐辛子 初神





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【食 事】



    いくらとねぎとろの寿司

    自家製二八蕎麦





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【水菓子】  【甘味】







とても美味しかったです。


”ごちそうさまー”










以上  『日本料理 みゆき 椿山荘』 でした。

お酒 | 10:07:28 | トラックバック(0) | コメント(0)
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