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~ 音無親水公園&名主の滝 ~
『王子稲荷神社』の参詣のついでに寄らせてもらいました。

去年の春に次いでの2度目の来園です。


【音無親水公園】

王子駅の目の前にあります。

この公園は隅田川にそそぐ「石神井川(しゃくじいがわ)」の旧流路を整備して造られた公園です。

石神井川は此の辺では「音無川」と呼ばれており、公園の名前の由来となっっています。




          王子親水公園 名主の滝 002






公園は旧流路の地形をそのまま利用している為、河の跡や石垣の跡の形状が楽しめ、その中に

岩や流木や水車などが置かれ、変化にとんだ親水施設として整備されている。

施設内にはせせらぎが流れ、小さな滝も造られている。



          王子親水公園 名主の滝 004





          王子親水公園 名主の滝 006






この滝はかっての「王子の七滝」の一つ「権現の滝」を復元したようです。

又、公園の中ほどに架かる木の橋も台風で流された「舟串橋」を復元したものだそうです。




          王子親水公園 名主の滝 005





          王子親水公園 名主の滝 007





河の中の「水景」の他に、「河岸」には、桜の木が茂るように植えれ「東屋」や「擬木ベンチ」なども置かれ

短いながらも散策路として、訪れた人々の心を和ませている。


          王子親水公園 名主の滝 008




          王子親水公園 名主の滝 011









河川の改修工事で取り残されてしまった「旧水路」に昔のような清流を取り戻したいと言う

地域の人達の切実な思いを込めた『音無川公園』はその甲斐あって、「日本の都市公園100選」

に選定されている。その記念碑が散策路の脇に置かれている。



          王子親水公園 名主の滝 012








又、それとは別に「手造り郷土賞~街灯のある街三十選~」にも合わせて選定されている。



          王子親水公園 名主の滝 003





「擬木」がふんだんに使われていることや、大きな岩が不自然に置かれていることなどから

確かに「人工的」な感は否めない。しかし大きな駅の駅前の市街地に、これだけのスペースを使い

水と緑と岩を備えた親水施設があると言うことは、それだけで素晴らしいことだと思う。



          王子親水公園 名主の滝 010





流れる水は濾過機を通し循環され、清潔感が保たれていることもあり

夏には子供達の水遊びの場として人気を集め、春には、桜の名所とにて花見に人達で賑わいます。

ちなみに、このようになります。




          佐竹上野王子山 064




          佐竹上野王子山 059




          佐竹上野王子山 061






今は初夏ですが、新緑の合間から差し込む柔らかな「木漏れ日」も春の桜に負けない

魅力を醸し出していて素敵です、思わず深呼吸したくなりました。








【名主の滝公園】



『音無親水公園』から線路沿いにしばらく歩き『王子稲荷神社』を越えた住宅街のなかに

『名主の滝公園』があります。

名前の通り江戸時代の名主さんの庭園だったところを整備し公園にしたそうです。



          王子稲荷神社 011




          )案内図






公園内にある四つの滝を総称して『名主の滝』と言っているそうです。

「王子七滝」の一つで、唯一現存する滝です。

公園は池を中心、うっそうとした緑に包まれています。


          王子親水公園 名主の滝 015




          王子親水公園 名主の滝 016




          王子親水公園 名主の滝 017






「女滝」です。

なるほど女らしい、優しい佇まいです。

しずかに、清楚に水が落ちています。



          17(女滝Ⅱ)










「独鈷の滝」

どちらかと言うと、かわいい滝でしょうか。




          11(独鈷の滝Ⅱ)






滝から落ちる水は地下水をくみ上げているそうですが

落ちた水は川となり池にたまります。

本当に鬱蒼としていて、都会の真ん中にいることを忘れさせます。




          王子親水公園 名主の滝 018









「男滝」

名前の通り、雄々しいです。

近づくと、しぶきがかかります。

勇壮ですネ。




                 王子親水公園 名主の滝 019




          王子親水公園 名主の滝 020




          王子親水公園 名主の滝 021









素晴らしい清涼感ですネ。




以上『名主の滝公園』でした。








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旅・はいかい | 11:49:24 | トラックバック(0) | コメント(0)
~ 王子稲荷神社 ~
JR王子駅から、線路沿いにしばらく東十条の方角を行くと『王子稲荷神社』がある。

落語の「王子の狐」の舞台となっていることでも有名で古くより庶民に愛されてきた。

関東の稲荷神社の総元締めに当たる神社です。

毎年大晦日の夜に、関東一円の稲荷神社から狐たちが集まって参詣したという伝承がある。



王子稲荷神社 012













道路に面して門があり、その門にはこのような看板が掲げてありました。


          王子稲荷神社 001



 国認定 重要美術品  『顔面著色鬼女図』  日本画家・蒔絵師  柴田是真作 とあります。

江戸時代に奉納された「絵馬」だそうです。


 『顔面著色鬼女図』 


「その昔,羅生門に出没していた「鬼女」を,ある武将が鬼女の腕を切り落として退治した。

その6日後、取られた腕を取り返すべく鬼女は武将の伯母に化けて武将の屋敷を訪れた。

鬼女は程よく腕を取り返すや否や、伯母から転じて元の鬼女に戻った」

その戻った場面を描いた図だそうです。

麗美な服装とグロテスクな面貌との対照が場面の凄味を高め、人々を慄然とさせ、柴田是真の名を

世に知らしめ、出世作となった。



          額面著色鬼女図



この絵馬の奉納者は当時の「砂糖問屋組合」の代表者で、

天保の改革で各方面の粛正を強いていた幕府に対し

取り上げられた商権を「切られた鬼女の腕」に例えて、復活の大願成就を籠めたものらしい。








門を入るとすぐ右側にこんな建物がありました。



          王子稲荷神社 002


元来は「手水舎」だったんでしょうネ。

さすが「お狐様」 幼稚園児の「砂場」に化けてます。

それにしてもずいぶん立派な「日射よけ」ですね。





階段の手前に摂社の「市杵島神社」がある。

鳥居もしっかり造られている。



          王子稲荷神社 003




          王子稲荷神社 004







やはり、狛犬ではなく「狐」ですネ。


          王子稲荷神社 005






階段を上がると、ありました屋根のない手清め水が




          王子稲荷神社 010


「母屋とられて、もらい水」ですか








【拝殿】です。

階段を上がってすぐ正面にあります。

立派の一言です。



          王子稲荷神社 006





          王子稲荷神社 008



輝いてます。

棟が多く、肩をいからしたような造りは「権現造り」でしょうか。






拝殿の天井には、幕府の御前絵師・谷文晁の「竜」の板絵があると聞いたので

上がらせていただきました。


          王子稲荷神社 007




これも立派な素晴らしい絵ですが、どうやら谷文晁の「竜」ではなさそうです。








拝殿の横に「舞殿」がありました。



          1本殿?








拝殿の横の階段を上がると

「本宮社」があります。


          王子稲荷神社 009





「本宮社」の横には「石祠」があります。



          洞窟





「狐穴」


          狐の穴
    




「お石様」


願い事を唱えながら持ち上げるそうです。


          お石様









大晦日に『王子稲荷神社』に参詣する狐たちは、まず近くにある「装束の榎」と呼ばれた大きな榎の下で

装束を整えてから参詣したそうです。

榎の下に集まった狐たちが灯す火(狐火)によって来年の作物の豊凶を占ったそうです。



          狐図Ⅰ





現在はこの模様を再現した「狐の行列」が、大晦日に地元の方々によって行われています。


          20.jpg





又「狐の嫁入り」も有名です。


          狐図Ⅱ





王子稲荷神社 013-crop






以上『王子稲荷神社』でした。



神社 | 16:15:46 | トラックバック(0) | コメント(0)
~ 『日本橋今昔』 徘徊記 ~
日本橋室町に「COREDO室町」と言う大型商業施設が出来て『日本橋』界隈が賑やかになった。



日本橋界隈 038




元々江戸時代からの「老舗」が立ち並び、ある種独特の大人の雰囲気を醸し出していた。

「ライオンの守衛」が居る大型デパートは、平日にもかかわらず開店前から列ができている。



page.jpg





そこに若者好みの店舗が数えきれないほど参入してきた。

いつまで続くかは別として『日本橋界隈』が活気づくのはいいことです。

何といっても『日本橋』は日本の中心ですから。

「三越」「三井不動産本社」「三井タワー」などがあることから、

丸の内の「三菱村」に対して「三井村」と比喩されている。











201111_feature_head(日本橋100年)





魚河岸




『日本橋』は1603年(慶長8年)徳川家康によって架けられた。

その時すでに日本の5街道の「起点」として定められた。

明治維新まで10回の火事で焼け落ち、その都度架け替えられてきた。

1891年(明治31年)石造の橋として架け替えられ

現在の石造二重アーチ型になったのは1911年(明治44年)で、橋長49M、橋幅27Mとなり

その年に「国の重要文化財」に指定される。



200px-Nihonbashi_12(現 日本橋)






親柱には、当時の東京市の守り神として『獅子』のブロンズ像

中央の柱には東京市の飛躍を願い『麒麟』のブロンズ像が飾られた。

いずれも「彫刻家 村田長男」の作品です。

今見ても「力強く」「凛々しく」すばらしい。

伝説の生き物「麒麟」に翼が付いているのも個性的で「飛躍」の思いが伝わってくる。



日本橋界隈 011





日本橋界隈 004




日本橋界隈 005






日本橋界隈 006




日本橋界隈 009




素晴らしいですネ。

橋全体がギャラリーのようです。

いや、橋全体が芸術作品と言って良いのではないでしょうか。

日本の宝です。 大切にしたいですネ。










現在の4か所の橋詰にはそれぞれ名前が付けられ、都民の憩いの場となっている。



【花の広場(南詰)】


江戸時代当時の日本橋を模したレプリカですか。



日本橋界隈 013




日本橋界隈 014




日本橋界隈 016




「花の広場」の裏に休憩スポットがありました


日本橋界隈 026



「南詰 護岸」です。


日本橋界隈 017




古来から街道の起点として広く親しまれていることに加えて、日本橋から銀座にかけての中央通り一帯の

近代的街並みは日本経済の中心として活況を呈していることから

   ”日本の道100選”に選ばれている。


日本橋界隈 015














【滝の広場(南詰)】



本来壁を伝わって「滝」が流れていたのでしょうか。

今日は流れていません。

ここは「日本橋川」の「乗船場」になっています。

今日も沢山の方が出航時間を待っています。  すごいですネ。  びっくりです。




日本橋界隈 028




日本橋界隈 010



船着き場です。


日本橋界隈 029



今は静かですが、江戸時代はとても賑やかだったようです。



201111_feature_05_full(日本橋Ⅱ)


すごいです。今では想像もできません。






平成23年に現在の石造二重アーチ橋に架け替えられて100年経ったことを記念して、

江戸時代に行われていた興行にならい、坂田藤十郎丈と市川団十郎丈による「舟乗り込み」がされた。

それを記念して「双十郎河岸」と名付けられた。


日本橋界隈 027



201111_feature_07.jpg










【乙姫の広場(北詰)】



ここは江戸時代「魚河岸」があったところです。

江戸で一番活気があったところと言っても過言ではないと思います。

東京湾で漁をしてきた船が鈴なりに岸に繋がれていた事でしょう。




日本橋界隈 002




日本橋界隈 001




「てやんでぃ!!べらぼうめぃ!!」 

「ちゃんちゃらおかしいやい!」

「おとといきやがれってんだ!!」

雑踏の中から『一心太助』の声が聞こえて来るようです。










【元標の広場(北詰)】



『日本橋』の真ん中に埋められている「日本国道路元標」のレプリカです。



日本橋界隈 021



日本橋界隈 019







「元標」から計測した各都市までの「里程標」です。

札幌まで1,156kmですか。

江戸時代は”伊能忠敬”がここから「歩測」で測ったんですネ。

すごいですネ。

”伊能忠敬”は「歩測」と「計算」で丸い地球の大きさまでも、ほぼ言い当てたそうです。

最も当時の人は誰もそんな事信用しなかったようですが、

「数学者」でもあり、「天文学者」でもあり「土木学者」でもあった、

日本が世界に誇る天才の一人です。



日本橋界隈 020




日本橋界隈 024





日本橋界隈 023










【日本橋川に空を!!】


「日本橋川に空を取り戻す」 大賛成です。

これを反対する人はいないと思います。



日本橋界隈 025



日本橋界隈 012




確かに、いかにも「無粋」です。

でも、単に「景観」が悪いから「壊せ」でいいのでしょうか。

この「高速道路(首都高速)」を命がけで造った方々がいます。

誰の邪魔にもならない「川の上」に車を走らせよう。

高速道路を2階建てにしたら人々がもっと便利になるのではないか。

そんな思いを込めて昼夜を問わず、「突貫工事」をしてくれた方々がいます。

おかげで1964年無事「東京オリンピック」を開催することが出来たのです。

おかげで「東京」を「日本」を世界に認めさすことが出来たのです。

当時の日本が世界に誇る「土木技術」の集大成だったのです。







main01_2.jpg





確かに今の世の中は、求めているものが大きく様変わりしました。

「強く」「大きく」「広く」「速く」「より便利に」から「心のゆとり」「情緒」「安らぎ」「癒し」と

求めるものが変わってきました。 しかしそれは「高速道路」を命がけで造ってくれた人達の

功績・価値を下げるものではない。

その事実があったからこそ今があるわけで、過去をないがしろにすべきではない。

今こそ、過去の業績を尊重しつつ、新しいニーズにこたえていかなければいけない。

「知恵」を出しましょう。 地下がだめなら別の方法を。  日本人ならできますヨ。

がんばりましょう!!


以上『日本橋界隈徘徊記』でした。












旅・はいかい | 14:35:58 | トラックバック(0) | コメント(0)
~ 上野の森の春牡丹 ~
近くに野暮用があったので去年行きそびれた「上野東照宮の春牡丹苑」に来てみた。


     上野東照宮 003




入り口は、「上野東照宮」の「水舎門」をくぐるとすぐ左にあった。

さすがに、「春牡丹」も終わりが近いせいか参観者は少なかった。



     上野東照宮ぼたん苑 001



ここの「牡丹苑」は1980年(昭和55年)に日中友好を記念して開園した。

「牡丹苑」に入ると、ピーンと気持ちが引きしまるような静寂が走る。

明らかに外とは空気が違う。



     上野東照宮ぼたん苑 002



     上野東照宮ぼたん苑 003



     上野東照宮ぼたん苑 004


同じようでもよく見ると色の濃淡が微妙に異なる。

ここには259種の牡丹が3200株あるそうです。

中国産の牡丹もあるそうですが、全く区別がつきません。

あしからず。



     上野東照宮ぼたん苑 006



     上野東照宮ぼたん苑 007



     上野東照宮ぼたん苑 008







綺麗ですネ。

色とりどりの「牡丹」を堪能してください。



     上野東照宮ぼたん苑 012



     上野東照宮ぼたん苑 017



     上野東照宮ぼたん苑 018






「白」も本当に「純白」してます。



     上野東照宮ぼたん苑 023



     上野東照宮ぼたん苑 024



     上野東照宮ぼたん苑 028



     上野東照宮ぼたん苑 035



     上野東照宮ぼたん苑 034





「牡丹」には、「和」が相いますよね。

「和傘」「毛氈」なぜか相います。 「洋傘」ではないですネ。

「和傘」と「バラ」も違います。




     上野東照宮ぼたん苑 005



     上野東照宮ぼたん苑 026





     上野東照宮ぼたん苑 040





「牡丹」は群生も絵になります。



     上野東照宮ぼたん苑 010




     上野東照宮ぼたん苑 016



     上野東照宮ぼたん苑 021



     上野東照宮ぼたん苑 022




     上野東照宮ぼたん苑 045





以上「春牡丹三昧」でした。

花の数だけ「心」が洗われた気がします。

感謝です。





旅・はいかい | 05:20:20 | トラックバック(0) | コメント(0)
~ 三社祭りだーl!!~
「セイヤ! ソイヤ!」 「セイヤ! ソイヤ!」

「セイヤ! ソイヤ!」 「セイヤ! ソイヤ!」

イヤー!! 『三社祭り』です。

現地で見るのは30年ぶりぐらいでしょうか。

江戸の祭りですネ。

『三社祭り』は江戸三大祭り(厳密には「神田」「山王」「深川」)の一つと言うより日本一の祭りです。

100基ほどの神輿が繰り出します。

『三社』とは『浅草神社』の別名です。

『浅草神社』が3体の「神」を祀っていることから『三社様』と呼ばれています。


イヤー。 わくわくしますネ。

「雷門通り」 車両通行止めです。

祭り囃子も「おいで、おいで」と呼んでます。


三社祭り 001





何と「スカイツリー」も見ています。



三社祭り 004






「雷門」の「大提灯」は「どうぞ、どうぞ」と言わんばかりに、まくられています。


三社祭り 003





「仲見世」も人でいっぱいです。

普段は「外人」が多いのですが、さすがに今日は日本人が多いです。



三社祭り 006



三社祭り 013





「船橋の馬鹿踊り」も特別参加で、祭りを盛り上げています。


三社祭り 014





人気のメロンパンに行列です。

東京の人は行列好きと言いますが、本当ですね。

まあ、本当に東京の人かどうかは解かりませんが。


三社祭り 020






『浅草神社』の大鳥居です。

「一礼」しましたが、あまり人が多いので、神様に見えたでしょうか


三社祭り 022






【舞殿】です。

シンプルでシンメトリーなフォルムは、観る人の気持ちを厳かにさせます。



三社祭り 024







【手水舎】です。

入れ替わり立ち代わりです。



三社祭り 025









【拝殿】です。

すごい行列です。

本殿の造りは当時の代表的な寺社建築「権現造り」です。

”威風堂々”ですネ。




三社祭り 032








【神輿庫】です。

神様が3人いますので、神輿も3基あります。

今は3基とも、「渡御」の為それぞれの分担領域を「巡行」していて、お留守です。



三社祭り 035







その代り境内に「町内神輿」が飾られていました。

「馬一町会」の神輿です。

「町内神輿」と思えないくらい大きくて立派です。


三社祭り 042



三社祭り 043




三社祭り 038






何と「鳳凰」の目には、5.7カラットのダイヤモンドが埋め込まれているそうです。

しかも、それは匿名の方からの寄付だそうです。

未だに、どなたかは不明だそうです。

無理して探すよりもシルエットのままの方が夢があっていいのではないでしょうか









町内を歩きながら「本社神輿」を探してみます。

浅草の銀座通り「ホッピー通り」です。

すごい人です。

英語で言うと”rissuino yotimonai"でしょうか。

各店の店内はもちろん、店の前の「ロードフードコート」も満杯です。

一番の人気店『正ちゃん』の「ロードフードコート」も普段の3倍程に広がっています。



ホッピー通り








「雷門通り」にはいくつかの「町内神輿」がスカイツリーをバックに「巡行」しています。



三社祭り 054







浅草演芸場の近くに大きな「町内神輿」を発見しました。

「浅草2丁目町会」の神輿です。



三社祭り 058


大きくて立派です。

「揉み方」も「せり上げ方」もさすがです。

勢いもあります。近づくと押しつぶされそうです。



三社祭り 065




オーッと! 何か担ぎ手同志でもめ事があったようです。

怒号と看板のひしゃぐ音が聞こえました。

私は怖いもの見たさで近づきましたが、観客は逃げるように遠ざかっています。

他の担ぎ手が間に入って仲裁しているようです。

同じ神輿の担ぎ手でももめ事があるんですネ。



三社祭り 071



火事と喧嘩は「江戸の華」ですか。

今日は、ご容赦、ご容赦!!


やっぱり間に入って場を和ますのは、この方達でしょうか。


三社祭り 076





スカイツリーも見てますヨ。


三社祭り 075






そして、やっと捕まえました。  「本社神輿」

『二の宮』が駒形に居ました。

先導の太鼓です。

昭和25年寄贈とありました。 太鼓も遠に ”還暦”過ぎてます。





三社祭り 085




何と!何と! 賽銭箱もしっかり行列に加わっています。

「巡行も商売なり」ですか。


三社祭り 086





「本社神輿」の巡行は管轄の町内々で担ぎ手が交代します。

担ぎ手は自分の町内で「今か今か」と出番を待ちます。

男の晴れ舞台ですから。


三社祭り 088





さあ!『浅草神社』の「本社神輿 二の宮」の登場です。


三社祭り 090




もう少し、はっきり見たいですよネ。

では、これが『三社』の「本社神輿」です。

どうぞ。


三社祭り 110




何か変ですネ。

そうなんです。 『三社神輿』は「さらしにピンクの胴巻き姿」なんです。

『一の宮』も『三の宮』も同じです。

「神輿」の制作費をけちった訳ではありません。

3基とも「百貫神輿」と言われるほど大きくて扱いが難しい上に、担ぎ手が荒くて威勢がいいことから

「飾り物」を傷つけたり、壊したりしないために「渡御」に出る時に外してくるのです。

外した、飾り物はここに置いてあります。


三社祭り 036












さあ、担ぎ手が変わります。

前の担ぎ手に負けないように、威勢よく飛び出します。



三社祭り 114




担ぎ手同志でも「担ぎ場所」の取り合いです。



三社祭り 117






「神輿」が威勢よくもまれて、揺れてます。さすが「駒形」さんです。


三社祭り 120




「本社神輿」の巡行は、観光神輿の巡行と違って神事としての「渡御」です。

したがって「神主」が同行します。



三社祭り 124








ここは「駒形」です。こんな景色はいかがでしょうか。


三社祭り 128



「駒形橋」と「スカイツリー」です。

直ぐ近くにはこんなおいしいものも食べられます。



三社祭り 127





三社祭り 137





三社祭り 136





もう次の担ぎ手が待ってます。

すごいです。

一時期、担ぎ手がいなくて、全国から応援を頼んだ事を考えると夢のようですネ。



三社祭り 140



三社祭り 153














素晴らしいですね『三社祭り』

ところでこの『三社祭り』の神輿巡行の時の「掛け声」はどんなでしょうか。

   『深川八幡』は 「ワッショイ ワッショイ」で

   『三社祭り』は 「セイヤ ソイヤ」

   に決まってる。



Boo- !!

残念ですが、違います!! 

 『三社祭り』も700年の昔から「ワッショイ ワッショイ」です。

なぜ「セイヤ ソイヤ」になったかは定かではありませんが、担ぎ手不足のの時、地方から来た担ぎ手が

やりだしたようです。又20年程昔に「一世風靡」の歌が流行し、浸透を後押ししたようです。

『深川八幡』はいち早くそれに気づき、「セイヤ ソイヤ」を禁止しました。

『三社祭り』も長い伝統を守る為に「ワッショイ ワッショイ」に戻しましょう。

「ワッショイ」は「神をみんなで背負う」「神を和で背負う」から来たそうです。

「ワッショイ ワッショイ」に戻しましょう。






三社祭り 092






それから、巡行の沿道を見てみると、マンション等が沢山出来たせいもあるでしょうが、

巡行を上の方から見ている人がいます。これはやめましょう。

本社神輿の巡行は「渡御」です。神事です。

「観光神輿」とは違います。 「山車」とも「山鉾」とも「山笠」とも違います。

『神輿』の中に”神様”がいるのです。

上から「見下げる」のはやめましょう。  これは理屈ではありません。 「しきたり」「伝統」です。

その為に担ぎ手はつらくても「神輿」を「頭上」に担ぎ続けるのです。

担ぎ手の中には神輿に乗る人もいますが、もってのほかです。

江戸時代、大名行列が通りかかると、沿道の人は駕籠の中の殿様より頭を低くする為に

道端に顔を伏せます。

人と人が会った時、相手を尊重して頭を下げるために「お辞儀」をします。

「神様」の前で「お祓い」を受ける時も「頭」を下げます。

日本の古くからの「しきたり」です。

いやならこの行事に参加しなければいいだけですから。

マンションのベランダからお子さんと一緒に見下ろしていたお父さん、お母さん

お子さんに日本の「伝統」を教えてやってください。

日本には「目上の人」と言う素晴らしい、尊敬の念を込めた「位置づけ」の言葉があります。

「神様」は日本人にとっては「目上の人」なのですから。




三社祭り 158










以上「日本の伝統をテキトウに守る会」の戯言でした。








| 10:04:41 | トラックバック(0) | コメント(0)
~ 総本家 更科堀井 ~
更科蕎麦総本家 001






江戸の三大蕎麦の一つ『更科』の創業総本家です。

創業は、寛政元年(1789年)です。

蕎麦打ちの上手な信州の織物行商人が『信州更科蕎麦処 布屋太兵衛』の看板で

領主・保科家の後押しで「麻布永坂町」に創業した。

蕎麦の銘柄は、信州そばの産地「更級(さらしな)」と領主・保科家の名を合わせて『更科』とした。

翔和16年にいったん廃業するが、紆余曲折の結果、昭和59年に創業家の八代目松之助が

『総本家 更科堀井』と改称して再興し現在に至る。





「更科蕎麦」の特徴は、そば殻を取り除き、精製度を高め、白く高級感のある質感を持った

蕎麦生地とその風味にある。

古くは、江戸城や大名屋敷にも出入りを許され、蕎麦好きの江戸っ子達に親しまれ愛された。



更科蕎麦総本家 002






現在の店は創業地の近く麻布十番の瀟洒なマンションの1階にあった。

昼時は遠に過ぎているにも関わらず、店内はほぼ満員であったが、運よく「小上がり」に通された。

座るとすぐにこちらが目に飛び込んだ。

「おすすめの地酒」

"いろいろな辛口酒を体感"



更科蕎麦総本家 003




うぅ~む!! もしかして、私はただの「酒飲み」かもしれない。

うんニャ!! やっぱり、「蕎麦」と言ったら「酒」ですよネ。

しかも「超辛口」 ここは「布屋太兵衛の血筋」を信じて

川西屋酒造店 「純米吟醸 丹澤山」を注文。




更科蕎麦総本家 004







来ました。 「丹澤山」

旨い!! さすが日本酒度 + 6°

つまみは「総本家」自慢の「鳥焼」




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江戸時代の蕎麦屋は「居酒屋」の役割も果たしていた。



更科蕎麦総本家 006






それは脈々と受け継がれている。 酒のつまみのラインナップはさすがです。

旬のものの「三点盛」です。



更科蕎麦総本家 007







酒は、山本合名会社 「白瀑 純米酒 ど辛 」 何と+10°

つまみはこれもまた自慢の「卵焼き」




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〆は「総本家」の人気商品「色変わりそば」

今の時期の「色変わりそば」は「茶そば」




更科蕎麦総本家 009









美味しいです。 味に香りと品があります。

200年の歴史は伊達ではないです。

江戸の「いい香り」を堪能されました。






【麻布十番に3つの『更科』】


『総本家 更科堀井』から歩いて5分程のところにありました。



更科蕎麦総本家 011





『永坂更科 布屋太兵衛」です。

どうやら、ここが「信州更科蕎麦処 布屋太兵衛」 の発祥の地らしい。


更科蕎麦総本家 012






「麻布十番」には3つの更科本店が存在します。

創業家の『布屋太兵衛』は7代目の松之助の時廃業に追い込まれる。

この廃業の時7代目松之助から屋号使用の許諾を受けた者が『麻布永坂 更科本店』を開業した。

その後、7代目松之助が名目上の共同経営者に名を連ねた『永坂更科 布屋太兵衛』を再興する。



したがって、直系である8代目松之助は、本来の屋号「永坂更科」「更科本店」「布屋太兵衛」を使用できず

本名の「堀井」を使い『総本家 更科堀井』として、血筋を引き継いだ。






そんなこんなで、「麻布十番」は『更科蕎麦本家』の集まる"更科銀座"となった。
























食べる | 23:13:11 | トラックバック(0) | コメント(0)
~ 下谷神社例大祭 ~
夏が来た!!

東京の下町に、夏の到来を告げる『下谷神社例大祭 』が始まった。

東京の下町で一番早い「夏祭り」です。1000年の歴史があります。

本社の神輿の渡御がある「本祭り」と町内神輿の渡御だけの「陰祭り」と隔年で執り行われる

今年は、「本祭り」に当たります。

楽しみですネ。

上野の駅から、『下谷神社』に向かうと町はもうすでにざわついている。



「本社神輿」はすでに神社を出て「渡御」をしている。

まずは、『下谷神社』に敬意を表して参詣する。


大鳥居です。


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なんか、手招きされて呼ばれているようです。

法被姿の「いなせ」な「兄さん」でいっぱいです。




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色とりどりですネ。

一目見るだけで祭り気分が盛り上がります。

子供の心と足を止めて金縛りにする「親泣かせ」の露天が処狭しと並んでいます。

今日もここで、沢山の落語の『初天神』が繰り広げられるのでしょうネ。

いやいや!! 子供だけではないですヨ。  大人も「わくわく」します。

何か購入して食べないと損するような気分にさせられます。




「神門」です。


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さすがの人出です。

人がひっきりなしに行きかいます。






「手水舎」です。

落ち着いて、趣があります。  何とはなしに”下町”の趣です。



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『下谷神社』は以前「下谷稲荷神社」と言われ親しまれていました。

今もそれが残されています。



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「社殿」です。

威風堂々の「権現造り」です。



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「社殿」の天井には横山大観の絵が書かれているそうです。

又ここ「下谷神社」は「寄席」発祥の地でもあるそうです。








「舞殿」です。

「本社神輿」はここで「舞」を踊ってから「渡御」に向かいます。


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宮元町の「町内神輿」です。

「下谷神社例大祭」は町内の祭りでもあるんです。

それにしても「町内神輿」とは思えないくらい立派です。

大中小綺麗にそろえて飾られています。


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「鳳凰」も立派です。

「鳥居」もしょうしゃに造られています。

彫刻も丁寧に飾られています。


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「本社神輿」は町内、町内で担ぎ手が「その町内の担ぎ手」に変わります。

担ぎ手が、自分たちの出番を待っています。

他の町内に負けないような、威勢の良い「渡御」をすべく腕撫しています。

血騒ぎ、胸踊る時間ですか。



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さぁ、いよいよ「本社神輿」がやってきました。

さすが『下谷神社』の「渡御」「神輿巡行」ですネ。



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「宮司」さんが同行しています。しかも馬に騎乗してます。

本来「神輿」は、その神社に祀られている「神様」が自分の領域を見廻るのに使う乗り物とされています。

要するに「渡御」も「神輿巡行」も"神事"なんですネ。





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「烏天狗」が行列を先導しています。

近寄って写真を撮る子供。

親の思惑に反して泣き叫ぶ子供、色々です。

「天狗」ですから当然と言えば当然ですけれど「一枚歯の高下駄」で「巡行」です。

大変ですネ。  本当にご苦労さんです。



「天狗」の後は太鼓と「お囃子山車」です。



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「本社神輿」は大きいです。

1.5M×1.5Mぐらいでしょうか。

それゆえに『千貫神輿』と言われています。

すごいのは大きさだけではありません「造り」が豪華で立派です。


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さすが『千貫神輿』にふさわしい立派な飾り付けです。





そして私が一番感心したのは「神輿巡行」です。

大勢の「担ぎ手」を引き連れての巡行ですが

久しぶりに「近づくのが怖い」巡行を観ました。  さすがです。

やっぱり「神輿」はこうでなければ「神輿」じゃあない。

別に争いごとを誘発しているわけではありませんが。

「練り」も「せり上げ」も立派です。


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「担ぎ手」の交代です。

合図を待って、「マラソンのスタート」宜しく、われ先にと、「神輿」に駆け寄ります。



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今日は感激です。

久しぶりに本物の「渡御」と「神輿巡行」を観させていただきました。

血が騒ぎました。 『下谷神社例大祭』に感謝です。



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| 11:16:57 | トラックバック(0) | コメント(0)
~ 『 米 展』 ~

『米展』 って何だ?


米展 001




何が行われているのか判らないまま、知人に誘われて来てみた。

場所は六本木の「東京ミッドタウン」



米展 003





会場に入るといきなり大きな「米粒」が飾られていた。



米展 004



これは、これからここで起きるであろうことの「予告編」か




地下にある会場は、想像していた以上の人出だ。

一面、田園風景を中心に米作りの写真が貼られている。

日本人なら誰もが「ホッ」と安心する風景ではある。



米展 009





【太平喜餅酒多多買(たいへいきもちさけたたかい)】



太平喜餅酒多多買



壁一面に掲げられているのは"浮世絵師・歌川広重"が描いた合戦の図。

いずれもコメから作られた「餅・団子」と「酒」との戦いの風刺絵。

江戸の浮世の競争的な消費合戦を上戸(辛党)と下戸(甘党)を源氏と平家の戦いにかけて描かれている。

江戸庶民の洒落心と、当時の日本人の「喜び」も「悲しみ」も"米"から発生していることを表している。







【鏡餅】


鏡モチ


お正月、「鏡餅」を「年神さま」にお供えし、その霊力の宿った「鏡餅」を「鏡開き」で割って食べ、

新しい生命を皆で分かち合う。日本人の大切な正月の行事です。

「神」と「米」と「日本人」の強い絆が現れている。








【メイン会場】


米展 016




米展 018



ここにも『米粒』のモニュメントが飾られている。


米展 017



ふと、振り返る。

そういえば、今まで「米」の姿をじっくり観たことがあっただろうか。

精米された白い米粒を茶碗から口へ運ぶ間に、ちらりと観る程度だったかもしれない。

白米になった時点ですでに幾つかの工程と、加工がされている。

判っていたことではあるが、米は元来「黄金色のもみ殻」に包まれている。

しかもよく見ると「毛むくじゃら」だ。

今日は「米」が「種籾」から植えつけられ、実り、白米又は加工され口に入るまでを、改めて見せられている。










【一粒茶碗】


米一粒用の茶碗です。

3000個あるそうです。

米展 027




メイン会場の柱壁には「米」にまつわる「飾り付け」が飾られていました。



飾りⅠ



飾りⅡ






【しめ飾り】


「宗教」は神と人、人と自然、を結ぶ媒介の仕組みです。

自然の恵みである「稲わら」で、縄をないそれを「結び」合わせて「注連縄」として造形するのは

『結び』『絆』『和』を尊ぶ日本の宗教の、原型的表現です。

日本人は「稲わらの結び」の形をデザインすることで、宇宙と人間の魂を祝福してきたのかもしれない。



米展 031







【コメみくじ】


「漢字」ってすごいですネ。

いや、日本人自体がすごいのかもしれない。

中国から渡ってきた「文字」を日本人は、独自に日本の文化に照らし合わせ、日本のものとした。

「編」と「つくり」の組み合わせで、無限の意味を創出出来る、とてもクリエイティブで、ファンタスティックな

世界に類のない「文字」を作りだした。

「米」とともに生きてきた先人たちは、驚くほど多彩な「米」編の文字を作り上げてきた。

いかに「米」が日本人の魂に浸透しているかが判る。

その「米」編の文字を使った"コメみくじ"です。


米展 029



米展 030







【いただきます】


現実に戻ります。

おいしそうですネ。



米展 033



米展 034



米展 035





"いただきます"







【 酒 】



"神"と"お米"が勤勉な日本人に素晴らしいプレゼントをしてくれました。

日本が世界に誇る"SAKE" 日本酒です。

日本中のあちこちの蔵元で、それぞれ独自の日本酒を作っています。「米」「麹」「水」それと製法を工夫し。

"日本酒"は「神」と「米」と「日本人の魂」が作りだした「神の米水」と言えるのではないでしょうか。

「神事」には「神酒」として「日本酒」を供えるのは、当たり前の事となっています。




日本酒銘柄1




日本酒銘柄Ⅱ




"SAKEトーク"も行われるようです。

パネラーにサッカーの中田英寿さんも名を連ねていました。


米展 041






「米」と日本人は2000年以上の付き合いです。

日本は「米」とともに存在・成長してきたとも言える。

「神」を"ネゴシエーター"として「自然」と戦い・共存してきた。

「神」から、「米」を作ること許された唯一の民『百姓』は「神」祈り、「神」供え、「神」に感謝した。

残りの民もそれに従い「祭」の言う名の「民の行事」とした。

そしてその成果は当時の権力者「武家」の報酬として払われ、「武家」の位の単位「石」として表現された。

『米展』の会場の一角で、米を作る過程を「放映」していた。

その中で、「百姓は、百の仕事をすることが出来る尊敬すべき人の事」と言っていた。

正に、その通りだと思う。

「日本のすべての民のために、神から託された百の神業(稲作)を行う、神の使い」だと思う。

映像の中でその尊敬すべき『百姓』は

「自分はとても『百姓』にはなれない、せめて『白性』になれたらいいなと思う」

と言っている。

重みがありますネ。 ものを極めた、あるいは正に極めんとしている人間の言葉です。



以前、津軽三味線の名人「高橋竹山」さんが87歳でなくなる後年

「私はいまだかって一度も満足して三味線を弾いたことがない」と言っていた。

すごいですネ。

映像の中の『百姓』もそれに似ています。

「百」には到底届かないが、せめて一つ足りない「白」なってみたい。

正に「神」の使いたるゆえんのような言葉です。




「日本人」と「米」との関係は「車」や「家電」との関係とは違う。

同じには語ることは出来ない。

もちろんそれぞれに、それぞれの思惑はあるでしょうが


まして、「米」を質草にして「外交交渉」をしたり、天秤にかけたりするのは

「日本の魂」「日本の歴史」を軽く論じることになる。





今日は大変勉強になりました。

『米展』は日本人の心の原風景『日本の魂展』でした。
























旅・はいかい | 21:40:07 | トラックバック(0) | コメント(0)
~ 秩父のレトロな街並 を訪ねて ~
秩父鉄道の「御花畑駅」から「東武秩父駅」に向かう道に昭和のレトロが色濃く残された街並みがある。

その道はまっすぐ秩父神社の大鳥居へと続いている、昔は秩父神社の参道だったのかもしれない。



【安田屋】



大正5年創業で現役バリバリの肉の『安田屋』さんです。

「番場通り」と「昭和通り」の交差点の角地に建てられた木造2階です。

建物は、昭和5年に国の「登録有形文化財」に指定されています。



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道路側の外壁を高く上げ、屋根裏部屋に当たる部分に窓を設けた3階建てに見せてます。

窓の小庇の上にアカンッスの花の飾りが付いています。「大正ロマン」の名残りでしょうか。

壁の最上部には、古代ギリシャ・ローマ建築で用いられた帯状の軒加工「ニーコス・モールディング」

が施されています。「昭和のレトロ」と「大正ロマン」の融合でしょうか。

素晴らしくひかり輝いて見えます。




   秩父のレトロ 002








取り扱っている、秩父観光推薦の「安田屋の味噌漬け」は先祖伝来の秘伝の味噌で一つ一つ

丁寧に手造りで漬け込まれ、伝統の味を守り続けているそうです。





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美味しそうですね。 よだれがでそうですネ。

日本酒にも焼酎にも合いそうですよ。  (感動の動機が不純ですいません)


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メンチカツやコロッケも人気のメニューで、若者が「ウォーキングフード」として行列を作っています。

私は、決して若者とは言えませんが、いただきました「メンチカツ」と「ハムカツ」

とってもおいしかったです。 行列が出来るのが判ります。




又、テレビでも何度か放映され、今では全国から問い合わせも来るそうです。



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【カフェ ・パリー】





(国)登録有形文化財   昭和2年建築


『安田屋』さんから少し入ったところに位置します。

木造2階建、通り側壁面を高く上げ、小窓を設け3階建てに見せている。

外壁の上部はコーニスモールディングを廻し、窓の上部に装飾をつける。

外観を洋風建築とした「洋風木造店舗付住宅」のコンセプトは『安田屋』さんと共通している。

これも「大正ロマン」と「昭和レトロ」の融合か。





   秩父のレトロ 008




   パリーⅢ




感動です。

何も言うことはありませんよネ。

”歴史が語りかけて来てますよネ”






   パリーⅡ




場違いに妙に金色に光ってる金看板”パリー”

あそこにあんな大きさがいるのか

いったい何があったんだい。








パリーⅠ



おそらくすでに役目を果たさないだろう、文字だけのネオン

何の意味があるのだろうか。

遠目では、何をしているところかわからない。

外壁に昭和を生きてきた歴史が沁みている。


洒落たコヒーでも出していたのか。

ハイカラな「洋食」でも出したのか。

夜はダンスパーティーでもやったのか。



   秩父のレトロ 013




「料亭」の許可書もぶる下がってる。

生きるためには何でもやってきたんだろうけど。



で、今は「食堂」か。

真新しい「暖簾」が”まだ生きてるぜ!!”と言っている。

でも、「暖簾」が裏返しと言うことは今日は休みと言うことか。

そんな時、平成の時代は「準備中」とか「本日休業」とかの札をかけるんだぜ!『パリーさん』



   秩父のレトロ 014



『安田屋』さんを訪れた後、偶然『カフェ・パリー』の前を通りがかったのですが、その時衝撃が走りました。

昔の恋人に、20年ぶりくらいに偶然出会った時のような、ドキドキ感、わくわく感を感じたのは私だけでしょうか。




今度は「暖簾」が裏返ってない時、ぜひ店内を見てみたいものです。











【小池屋煙草店】



(国)登録有形文化財    昭和初期建築




『安田屋』さんの交差点を挟んで斜め向かいに位置します。

現在営業しているかどうかは定かではありません。

角地に建つ木造2階建てで、造りは『安田屋』さん『カフェ・パリー』さんと同様

道路側の外壁を高く上げ、隅切り面は曲面を構成させている。

外壁の最上部は「コーニス・モールディング」を廻し、窓の周囲は縁取りを施して装飾している。

「看板建築」の奔りでしょうか。





   秩父のレトロ 001












【旧大月旅館別館(喫茶バー ペンギン)】




(国)登録有形文化財     大正15年建築



『安田屋』さんと道路を挟んで向かいに位置する。

当初は旅館として建てられたが、今は喫茶店です。

ここも又「コーニス」を廻した外壁をかさ上げした「看板建築」になっている。


角は竹をイメージしたようなモルタルの節にある柱になっている。

モダンな洋風木像建築です。

隅切りをした斜め部分が入り口になっているのも特徴ですかネ。




   chichibu07大月旅館












【珈琲道 じろばた】





『カフェ・パリー』さんから少し行くと、レトロとまではいかないがレトロ調の深みのある

喫茶店がありました。



   秩父のレトロ 011




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これでもかと蔦が絡まっています。

そして入り口にこんな看板がありました。



   じろばたⅢ





コーヒーしかないので食べ物はご自由にお持ちください。

こんな喫茶店初めて見ました。面白いですね。


ぜひ今度、コーヒーだけをいただきにまいります。











【薗田家住宅表門】



(国)登録有形文化財    天保年間建築



『安田屋』さんからもうすこし、「秩父神社大鳥居」に近づくと左側に立派な門構えがあります。

薗田家の表門です。

1間一戸四柱門式で屋根は切り妻、桟瓦葺き(さんがわらふき)

親柱から、垂木(たるき)に至るまで檜財を使い、風格のある構えとなっている。




   秩父のレトロ 018










【薗田住宅主屋】



(国)登録有形文化財   明治末期



薗田家は正門だけでなく母屋も有形文化財として指定されている。

入母屋造りで、雰囲気のある外観です。



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以上秩父のレトロの探索でした。

「秩父」素晴らしい街でした。

だれですか。 「秩父」は”埼玉のチベット”などと言っているのは!!


感動・感激ありがとうございました。



旅・はいかい | 05:30:00 | トラックバック(0) | コメント(0)
~ 彫刻の杜 秩父神社 ~
秩父3大神社の一つ秩父神社です。

秩父鉄道の秩父駅西側に鎮座する。



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派手ではないが風格のある「大鳥居」をくぐると、両側に植木を並べ「植木市」がひらかれていた。




秩父神社 002




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右側に「社務所」左側に「手水舎」がある。

「手水舎」には”どうだ!”とばかりに、ふんだんに彫刻が施されている。

屋根も「緑青」のふいた銅版の「一文字葺き」

施主の思い入れが見て取れる。





秩父神社 004










神社の風格の高さを漂わせ、正面に「菊の御紋」をあつらえた神門をくぐる。




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右側に「徳川家康公」を祀った「東照宮」がある。




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「菅原道真公」を祀った「天満天神宮」




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災禍を直す神を祀った「禍津日社」




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「徳川家康」が造らせた「御本殿」です。

さすがに立派です。



秩父神社 011





彫刻がふんだんに施されています。



秩父神社 012




秩父神社 013





秩父神社 014








そして、名工 左甚五郎が彫ったとされる

 『つなぎの龍』です。



その昔、「天ケ池」の龍が暴れた時、この彫刻の龍が鎖でつなぎ止めて龍を鎮めたと言う伝説がある。




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『北辰の梟』



本殿北側中央(裏側)に彫刻された梟は、体は本殿の方を向き、頭は正反対の真北を向いて昼夜を問わず

御祭神を守っている。




秩父神社 018




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左 甚五郎作


『子育ての虎』



武田信玄によって焼失された社殿を「徳川家康公」が現在の社殿に再建した。

寅の年、寅の日、寅の刻に生まれた家康公の威厳と、祭神を守護する神使として

名工 左甚五郎が彫刻したものとされている。




untitled(子育ての虎)









『お元気三猿』



日光東照宮の三猿は「見ざる、言わざる、聞かざる」ですが、

ここの三猿は「よく見、よく聞いて、よく話そう」と言うことで

ここは、左甚五郎の向こうを張った『お元気三猿』として親しまれています。




untitled(3匹の猿)








その他『瓢箪から駒』等の沢山の彫刻がなされています。

じっくり「彫刻」だけを鑑賞するのもいいんではないでしょうか。









【伊勢神宮】



  「内宮 皇大神宮」



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   「外宮 豊受神宮」



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その他の 摂社、末社です。




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『秩父神社』にはもう一つ全国的に有名なものがあります。

毎年12月に行われる例大祭の『秩父の夜祭』です。



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京都の祇園祭、飛騨の高山祭、と並んで日本三大曳山祭の一つに数えられ

提灯で飾りつけられた山車(笠鉾・屋台)の曳き回しや、冬の花火大会で知られている。

ぜひ一度お邪魔したいものです。





            秩父神社 027-crop







以上、彫刻と情熱(火)の杜『秩父神社』でした。























神社 | 06:07:50 | トラックバック(0) | コメント(0)
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