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アル酎ハイマーはいかい士

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~ 赤羽 馬鹿祭り ~
赤羽に『赤羽馬鹿祭り』と言う祭りがあります。

祭りの謂れは、五百年前赤羽の高台に「稲付城」を築いた太田道灌が

詩歌弦楽の遊びの普及につとめたことによるそうです。




赤羽馬鹿祭り 061







ネーミングは4月のエイプリルフールにちなんでつけられたそうです。

それにしても『馬鹿祭り』とはよくつけたもんですネ。

会場は、パレードが行われる駅前通りとショウが行われる「赤羽駅東口特設ステージ」と

バザーが行われる「赤羽公園」の3か所です。







〖赤羽公園〗


一般的なフリーマーケットでした。



赤羽馬鹿祭り 008





出店数も年に一度の割には少なかったように思います。

もう少し盛り上げ方に工夫がいるかな。

場所も少し狭いですネ。



赤羽馬鹿祭り 013




赤羽馬鹿祭り 012









例えば公園までの道路の両脇に「露店」を並べて子供達を引き込みやすくするとか。

フリーマーケットも「手造りコーナー」とか「地元のB級グルメコーナー」とか

「焼物コーナー」「キッズコーナー」「骨董コーナー」とか特徴をもたせることを考えたらどうでしょうか。










〖赤羽駅東口特設ステージ〗



赤羽駅東口の改札を出るとステージの演奏がガンガンと聞こえてきました。

目の前の広場に特設ステージが出来てます。

かなりの人だかりです。

そして、かなり盛り上がってます。



丸健’




丸健’




最初に誤解の無いようにお断りしておきます。

マイクを握って歌っているのは、「清水アキラ」ではありません。

『丸健’』と言うロックグループです。

聞くところによると「丸健水産」と言う居酒屋さんの方々とそのお客さんだそうです。




すごい迫力です。

観客が踊りだすのも納得です。


ま~ぁ!!それにしても 久しぶりに聞きました。

ブルーハーツの「トレイントレイン」のフルコーラス

ステージも観客も「ノリノリ」です。

しかもこてこての「アカバネノリ」ってやつですか。


Train-Train 走って行く

Train-Train 何処までも

     ●

     ●

     ●

     ●



なかなか終わりません!!!!!

何処まで続くねん!!

いい加減にだれかその「汽車」止めろ!!












デビルズ





デビルズ



確かに顔は「デビル「です。

演奏曲は全てビートルズナンバーです。

懐かしいですネ。

初めてビートルズの曲を聞いた時の衝撃がよみがえりました。

「こんな音楽があったんだ!!」

当時は、わくわくしたものですよネ。

メンバーはみなさん「アラカン(アラウンド・還暦)」ですかネ。

でも踊っている女性人の背中をみてください。

「DEVILZ」と書いてあります。

ひょっとして「追っかけ」ですか。











ドーターズ




ドーターズ




昭和のポップス歌謡昔編です。

嫌いではないですよ。

オーヤンフィフィの

「雨の御堂筋」「ラブイズオーバー」など


とても元気なお姉さんでした。歌も上手です。











『ブレイブハーツ』




ブレイブハーツ



演奏曲はベンチャーズサウンドです。

懐かしいですネ。


「パイプライン」「朝日の当たる家」「ダイヤモンドヘッド」「十番街の殺人」

その他ベンチャーズサウンドのオンパレードです。

曲名が判らなくても耳が覚えていますネ。

やっぱり「アラカン」にはベンチャーズのエイトビートが合う。

周波数が同じなんですかネ。


ちなみに赤いギターの「リードギター」の子は16歳だそうです。

16歳がベンチャーズですか。う~む。

でもギターはとても上手でした。


    







ニキータ



赤羽馬鹿祭り 044




歌はアメリカの懐メロ「オールディーズ」です。











アクション




アクション




またもやベンチャーズナンバーです。

赤羽の人はよほどベンチャーズがお好きのようで

これで3組目です。

私も嫌いではないですけど。



親子ずれで踊っていますネ。


この方、悔いるようにじっと見てますが、何か踊りたげですネエ。



赤羽馬鹿祭り 051




アララ、やっぱ踊りだしちゃいましたか。


赤羽馬鹿祭り 054



おっやー!! 隣で踊っているのは、

先ほどステージで歌ってた『ドーターズ』のボーカルの姉さんじゃないですか。

好きなんですネ。 歌も踊りも!!

いいことですヨ。












 〖駅前大通り会場〗




パレードが始まりました。

まずは音楽隊です。



赤羽馬鹿祭り 056





パレードの到着を待つ人だかりです。

歩道はほとんど通れません。




赤羽馬鹿祭り 060






メインの『馬鹿踊り』の前に

赤羽が産んだスパースター『林家ペー&パー子』さんです。



赤羽馬鹿祭り 069


ピンクが似合うとか似合わないとかの次元ではないですネ。

水戸光圀の「印籠」ですね。

この「ピンク」が目に入らないかー!!頭が高い!!








いよいよ『馬鹿踊り』です。




赤羽一番街商店街の女将さんと青年部



赤羽馬鹿祭り 072




赤羽馬鹿祭り 074


元々「仮装行列」から始まった踊りですから、これこそ赤羽馬鹿踊りの「本流」です。

あっぱれ!!







赤羽は外国の方も働いていらっしゃるようです。

「就労ビザ」なんて野暮なこと言ってるとモテませんヨ。



赤羽馬鹿祭り 077


でも何となく「お店」の景色が想像できるのは私だけでしょうか?







「筋金入り」も頑張っています。(筋紋入りではありません念のため)



赤羽馬鹿祭り 079



赤羽馬鹿祭り 082



この世界に「定年」はない。

安倍首相も言っている「これからは女性の力で経済を動かすんだ」

がんばろう!!





一番大勢参加していたのはこちら

地元の信金さんです。 メインスポンサーですかネ。




赤羽馬鹿祭り 078








王子稲荷の「王子白狐衆」のパレードもありました。

3~4歳のお子さんも参加していました。



赤羽馬鹿祭り 080







最後は「神輿パレード」です。




赤羽馬鹿祭り 095



赤羽馬鹿祭り 096







担いでるんか、ぶる下がってるのかどっちや!!



赤羽馬鹿祭り 094





コラーッ!!  担いでるんか、体押し付けてるんかどっちや!!



赤羽馬鹿祭り 101







BGMを聞きながら「馬鹿踊りパレード」をみていると

なぜか、幕末に京都で始まった「えじゃないか運動」や明治になって流行った

川上音二郎の「おっぺけぺ節」を彷彿させますね。

なかなか解放感があっていいんじゃないですか。

もっともっと、自由な踊りを取り入れたらもっとよくなると思います。

夏の「盆踊り」ではないのですから。

なんてったて「馬鹿踊り」ですから。




今日は、ステージも馬鹿踊りもたっぷり「赤羽」を堪能させていただきました。

赤羽に拍手です。











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旅・はいかい | 12:41:20 | トラックバック(0) | コメント(0)
~ 旧岩淵水門(赤水門) ~
赤羽に荒川の流れを止める為の『旧岩淵水門』と言う水門があります。

かって、荒川は名前の通り「荒ぶる川」といわれ毎年のように氾濫し、数多くの人命を奪ってきた。

明治43年に起きた大洪水よって大きな被害を受けたことを機に水門が設けられることになった。

それがこの『旧岩淵水門』です。その色から『赤水門』と呼ばれます。




8a8a314755abcdc345041a82d8f0c72d.jpg








場所は、荒川本流と人工的に造られ東京湾へそそぐ「荒川放水路」の分岐点、赤羽の岩淵です。

大正5年から8年の歳月をかけ大正13年(1924年)に完成しました。





culture-iwabuti-map.jpg






以後『旧岩淵水門』は荒川下流域に住む人々の生活をを洪水から守り続けてきました。

又、その完成を機に人工河川の荒川放水路側を『荒川』とあらためて名付け

江戸時代「大川」と呼ばれて江戸市民に親しまれてきた荒川本流側を『隅田川』と命名しました。

したがって『旧岩淵水門』が「隅田川」のスタート地点と言うことになります。




00.jpg









現在の『旧岩淵水門』の周辺は、休日ともなると、釣り客や家族ずれのピクニック客で賑っています。

水門上は歩行者・自転車専用橋として開放され、中之島(赤水門公園)に渡ることが出来ます。



荒川土手の春霞 016



荒川土手の春霞 019



荒川土手の春霞 020








力強いホルムをしてますネ。

美しいですネ。




aka010.jpg







無駄なものが一つもないですネ。

用途に必要な物だけ、何も足さない、何も省かない。

「必要美」「構造美」ですか。

良い投球をするピッチャーのホームが美しいように、

ナイスショットをしたゴルファーのスウィングが美しいように

良い仕事をする構造物のスケルトンは美しい、そして力強い。




荒川土手の春霞 024






荒川土手の春霞 023









設計・監督したのは、パナマ運河建設にも携わった「青山士(あおやまあきら)氏」です。

先立の技術の先見性には、頭が下がります。

30名の犠牲者をだし、8年掛けて完成しましたが

出来た当初は、これほどまでに堅牢にする必要があるのか、無駄ではないのかと言われたそうです。

(評論家は今も昔も変わりませんネ)

しかしながら関東大震災でビクともしなかったことから、そうした非難はいっきに消滅した。

青山 士 氏に拍手です。










〖東京の心霊スポット〗



現在は公園として整備されている『旧岩淵水門』ですが、「幽霊」が出没するという噂があります。

東京の心霊スポットに認定?されているそうです。?

確かに水門ですから上流から流れてきた「水死体」が引っかかるということが多々あったようです。

血だらけの足だけが浮いていたと言う、実体験談もあるようです。




荒川土手の春霞 017









又、水門近くで「幽霊」を見たと言う証言も多いようです。

よくは知りませんが「朱色」は「霊心」を引き付けるらしいです。

多くのの死体が上がったのは事実のようですので「強い霊感」をお持ちの方は一度現地をご確認下さい。










〖赤水門公園〗



水門の上の歩道を渡ると小さな公園があります。

荒川の中にある「中之島」です。東京23区内でたった2か所しかない「川中島」の一つです。




荒川土手の春霞 026







正面に見える「朽ちかけたようなモニュメント」は

心霊スポットのムードを盛り上げる為に造ったものではありません。


れっきとした芸術作品です。





荒川土手の春霞 028









平成8年度 荒川リバーアートコンテスト 特賞受賞作品



青野 正   『月を射る』   です。


近づいてみて本当に感動しました。

素晴らしいです。



月を射るアップ








青野さんの言葉も添えられていました。


「古代の人々が憧れたであろう、天・月・川面に映った世界、果てのない世界観を想像してみました。」


川面に映った「月」を何とか捕らえてどんなものか見てみたいと言う古代の人の思いと

「荒ぶる川」を必要に応じて自由に堰き止めてみたいと言う「青山 士」の思いがラップする。

「そんな事できるはずがない」と、どちらも周りから馬鹿にされたかもしれない。

でも「青山 士」はやってのけた、8年掛けて 『月を射た』




青野氏はこうも言っている


「形あるものの消えゆく時間、造られたものが風化され”風になる”と言う遥かなことに、

 思いを巡らせています」


月を射ようとして生まれた「姿(ホルム)」は、たとえ部分的に朽ちて来ようとも美しいし、

朽ちて風になっていく姿もそれはそれで美しい。

正に『赤水門』の姿そのままを表現していると思いませんか。

「荒ぶる川」を堰き止めんとした姿は実に力強く美しい、当初の役目はもう終わったけれども、

部分的に少し朽ちかけては来たけれども、「勇」として立ちふさがり「凛」として構えている。




img_3(月を射る アップ)









『月を射る』も鉄棒を一本づつ積み重ね上げて作ったと聞きました。

『赤水門』も手造りです。鉄骨もコンクリートも人の手で捏ねられ、曲げられ造られました。

作り手の「手の温もり」の伝わっていないところはありません。

いつの間にか出来たところなどありません。



源義経を守らんが為に、矢が刺さっても、身体は死んでも倒れなかった「武蔵坊弁慶」の

「姿(ホルム)」と「思い」と「美しさ」そして「力強さ」を

この『赤水門』と『月を射る』に見たのは私だけでしょうか。




こんな素晴らしいモニュメントをここに提供してくれた「青野 正」さんに心から拍手です。








「赤水門公園」にはもう一つ記念碑があります。




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「草刈の碑」です。


「なんじゃそれは」とお思いの方もいるかと思いますが

昭和13年から18年までの5年間、荒川土手で「草刈競技」が行われ、全国から選ばれた精鋭達によって

草刈日本一の座が争われたそうです。  (全日本草刈選手権)

どの様にして争われたかは定かではありませんが、決してバラエティではありません。


碑文には

 「農民魂は 先ず草刈から」と記されています。




とはいうものの、「冗談(瓢箪)から駒」ではないですが

草刈正雄さんの草刈り機のCMにここが登場するかもしれませんね。








〖新岩淵水門(青水門)〗



新水門はその色から『青水門』と呼ばれています。




荒川土手の春霞 025







『赤水門』の老朽化、地盤沈下対策、又洪水調整能力の強化を考えて300M下流に造られました。

昭和49年に着工し昭和57年に完成した。200年に一度の洪水にも耐えられるそうです。

電源を喪失した場合の自家発電装置や電源がなくても自重で門扉を降下させる装置がついているそうです。

(どこやらの原発の方々も一度見学して見てはいかがでしょうか)






『赤水門』は『青水門』の完成に伴ってその役割を終え、一旦は取り壊すことになったのですが

後にその土木的価値が高いと再評価され平成7年には「推薦産業遺産」

平成11年には「東京都選定歴史的建造物」平成20年には経済産業省より「近代産業遺産」

の認定を受けている。



荒川土手の春霞 021



荒川土手の春霞 022

















『赤水門』は本来の役割は終わったけれども、明治から大正にかけて日本が世界を見つめて

土木技術の進歩を目指した証しとして、その足跡を後世に伝える役目があります。

日本の土木技術の「生き証人」です。いつまでも今の姿を残してもらいたいものです。


『旧岩淵水門(赤水門)』の生きざま賛歌でした。






旅・はいかい | 04:16:52 | トラックバック(0) | コメント(0)
~ 荒川土手の「春霞」 ~
春の息吹を探しに『荒川土手』に来ました。

残念ながら寒の戻りでしょうか、「春うらら」とはいきませんでした。

上着を一枚多く羽織っての散歩です。



荒川土手の春霞 002




でも、『荒川土手』には確実に「春」は来ていました。

まず空気の色が違います。緑は緑に、赤は赤に鮮明に映し出してくれます。

「芝桜」が綺麗ですネ。



荒川土手の春霞 001




「これでもかピンク」とでも名付けましょうか。

みなもも、光っています。

水の動きも滑らかで、冬の時のように重くありません。




荒川土手の春霞 003






対岸に見えるのが、埼玉県川口市の高層マンション群です。

赤羽側とどちらが都会だか判りませんネ。

『アド街ック天国』で「埼玉のマンハッタン」と言わしめた風景です。






草木はすでに「春満開」です。



荒川土手の春霞 005



荒川土手の春霞 007







水辺は水温が少し低いせいか、小魚の活性は今一のようです。



荒川土手の春霞 006



荒川土手の春霞 008





その反面水鳥は思ったより元気です。



荒川土手の春霞 011






「干潟」ももう少しですかネ。


荒川土手の春霞 009



荒川土手の春霞 010











しかし、いずれにしても、もう少し「荒川」の水自体を綺麗にする必要がありますネ。

まだまだ生活ゴミなどが流れている。


やっぱ、人間は魚や水鳥と共生・共存しないといけないでしょう。


少なくとも河原を利用した人だけでもゴミは持ち帰りましょうヨ。

あっちこっちゴミの山じゃないですか。

綺麗だったものは綺麗にして「未来」に引き渡しましょう。

大人の礼儀です。





荒川土手の春霞 012






それにしてもすごい人出です。 お祭りでもあるんですかネ。

野球をしている人、サッカーをしている人、それを応援している人、家族でピクニックしてる人

ものすごい数です。




荒川土手の春霞 015






つい先日「お花見」が終わったばかりなのに、もう「B・B大会」ですか。

私も嫌いではないですよ。



陰暦の二十四節気の一つに『啓蟄』と言うのがありますが、

その意味は「春の暖かさを感じて、冬籠りしていた虫が外に這い出る頃」

と教わりました。

う~む。虫だけではないですね。 い~や虫以上ですね、人間の数は

どこから這い出て来たのでしょうか  

(アホカァ!! お前もその一人だろうが偉そうに!!・・・・『天の声』)

少し前の冬には、この吹きさらしの河川敷には、せいぜいジョギングをする人か、犬を散歩する

お年寄りしかおりませんでしたが、今日はどうでしょう。

堰を切ったように(河原だけに)人が集まって来ています。

世の中、景気も『啓蟄』と言うことですか。 





春の神様が、橋の麓にこんなところをプレゼントしてくれました。




荒川土手の春霞 014






東京23区内で唯一の蔵元『小山酒造』さんです。

明治11年創業の老舗の蔵元です。



荒川土手の春霞 013




小山酒~1







全日空の機内誌『翼の王国』の2013年12月号の特集で取り上げられ、

全国的にも注目を浴びています。

見学もできるのですが、残念ながら今日は休日でお休みでした。






今日は荒川土手で『春霞』と『啓蟄な仲間達』を堪能させていただき、

『春が来た』を実感しました。





旅・はいかい | 12:53:15 | トラックバック(0) | コメント(0)
~ レトロを訪ねて 『豆田町』 ~
『豆田町』のある「日田地方」は豊臣秀吉の時代から「幕府直轄地」であった。

江戸時代は「支配地」あるいは「御料地」などと呼ばれていたが

明治に入り天皇の「御領地」となった為、通称「天領」と呼ばれるようになった。

「日田」は九州の交通の要所であった為、商業・産業が栄えた。加えて「天領」あることから

政治・経済の中心地として発展し、裕福な商人が多く台頭するようになった。

江戸時代の終わりごろになると、その裕福な「日田資金」が各地の諸大名に貸し出される事となり

その金利の収入でなお一層地域経済が潤うこととなった。





その「日田」の中心地が『豆田町』である。

『豆田町』には、その時代時代の繁栄の名残を未だに残した豪商の本家や蔵が残っている。



tenpomap(地図)






『豆田町』の街並みを語る時、必ずと言っていいほど映される

『豆田町』を象徴する撮影スポット「御幸の辻」と言われるクランク道路です。




豆田 008




〖草野本家〗


左側の角にあるのが「草野本家」です。

『豆田町』を代表する「居蔵造の屋敷」です。

400年程前に「精蝋業」として創業し、その傍ら「掛屋」として公益に勤めた。

「掛屋」とは、大名の所有する「集めた年貢」や「所有財産」を買い上げ市場に流通させる「商社」のような役割

を生業としていた。

建物は、享保10年(1725年)に建てたものだそうです。

「草野家住宅」の名称で、国の重要文化財に指定されています。

ちなみに、現在の当主は20代目だそうです。


歴史を感じさせますネ。


B4803330a(草野本家)











〖小鹿田焼(おんたやき)〗


町並みの入り口手前にある小鹿田焼の店 「大原」です。



豆田 002






「小鹿田焼」は、日田市の山あい小鹿田地区で焼かれている日常食器の為の焼物です。

しかし、国の重要無形文化財に指定されている貴重な焼き物です。

発祥は、江戸時代に福岡県の小石原から「小石原焼」の陶工を招いて始められました。

その為制作技法や出来上がりの質感は「小石原焼」に共通するものが多くみられます。



300px-Ondayoshie.jpg











〖いた屋本店〗

江戸時代から160年続く、川魚・うなぎ料理の老舗です。



豆田 007



鰻を刺身のように食べるのにはどうしたらいいのかと考えた挙句に生まれたのが

名物の「鰻の湯引き」だそうです。




img_08(湯引き)






最近は、うなぎの「焼きおにぎり」も「ウォーキングフード」として人気のようです。


150x150_square_10901607.jpg













〖天領日田 木茂麗日工房〗

日田の名産「日田杉」を使った下駄屋さんです。

建物は天保時代に造られた「蔵」だそうです。




豆田 009









〖東光堂〗


「御幸の辻」の「草野本家」の正面にあります。


豆田 031






日田の土産品、魔除けの「日田土鈴」を製造販売しています。

特に、素焼きに手すき和紙を貼り墨で絵付けした「墨絵雛土鈴」が有名です。



豆田 033




平成17年の年賀切手にも採用されたそうです。


豆田 012


建物は、享保時代に建てられた「長屋」を改造したものだそうです。













〖岩尾薬舗〗


豆田 026



安政2年(1855年)創業

創業と同時に発売した「日本丸」は漢方薬処方箋の万能薬として多くの人に服用されました。

現在ある「日本丸館」は、「豆田の天守閣」とも言われ、

明治後期に改築された、木造4層3階建ての建物です。



豆田 027












〖天領ひな御殿〗

店の奥にお雛様が飾られています。




豆田 020






看板が「姫様かご」の形をしています。

凝っていて面白いですネ。



img_1.jpg





しかし、お雛様を売っているわけではありません。

本業は、こちら天保十四年創業でだそうす。




img_2.jpg





店内は極めて、明るく煌びやかです。



豆田 023




「お雛様」と商品が一緒に展示されています。


豆田 024







「雛飾り」の展示場です。

ただし、ここから先は有料です。

あしからず。



img_4.jpg



img_9.jpg











〖草野薬局〗

建物は昭和9年竣工です。


豆田 015










〖そば馳走庵 草八〗

石臼挽きの十割蕎麦が人気の名物店です。

建物は明治15年竣工です。




豆田 016












〖赤司日田羊羹本舗〗


建物は明治21年竣工です。




豆田 017











〖茶房 吉兵衛〗



豆田 018











〖おしゃれの店 水田屋〗


建物は明治15年竣工です。


豆田 019









〖木下屋〗


建物は明治31年竣工です。


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〖ふくや酒店〗



豆田 025










〖千屋〗


人気は「日田まぶし」です。

名古屋の「ひつまぶし」とどちらが先なんでしょうか



豆田 029


v2.jpg













〖福寿〗


名物は「日田カステラ」です。



豆田 014











〖みゆき通り〗


豆田 013





意味がよく判りません。



豆田 006









『豆田町』にはまだまだたくさんのレトロな街並みが残っています。

長くなりますので続きは、またの機会とさせていただきます。







歴史探訪 | 12:49:14 | トラックバック(0) | コメント(0)
~ 竹瓦温泉 ~
残念です。

時間がありませんでした。

とても残念です。

入りたかったんですが。外観を見るだけでした。

別府温泉のシンボル、カリスマ、長(おさ)の共同浴場『竹瓦温泉』です。

風格、貫禄、威厳、何を持ってしても言うことなし。

正面の唐破風の屋根と入母屋造りや寄棟造りを見れば余計な説明はいらないでしょう。

世の中の温泉に求めるものが「湯治」から「娯楽・歓楽」そして「癒し」と変わる中

頑固一徹、地元の憩いの場としての「共同浴場」を営みつづけた日本でも数少ない温泉の一つです。



別府温泉街 003




take19.jpg



看板も「どうだ! 昨日、今日の温泉と一緒にすんなよ!」と言っているようです。

貫禄ですネ。







別府温泉街 004




重なる入母屋、切妻が重みを感じます。

荘厳で複雑な表情を持った木造二階建てです。






別府温泉街 006




裏口も手を抜いてないですネ。







take22.jpg




take17.jpg




一つ一つのパーツもしっかり造り込まれています。

ぶれないコンセプトがここかしこに表れています。






昔、猟師が漁の疲れを癒すために、海岸に湧き出た温泉に小さな小屋を架け「温泉小屋」にした。

その時、山から切ってきた竹を二つに割いて屋根に葺き瓦変わりとした。

これが『竹瓦温泉』の名前の由来だそうです。

現在の建物は、昭和13年に建てられたそうです。

歴史も、謂れも、いきさつも「ひなびた」「寂れた」そして「風格を備えた」

"温泉の王様"と言われるのに充分です。










残念ながら内部は空いてる窓から垣間見ただけですが、

地元のお年寄りらしき人が4~5人、団らんしておりました。とてもレトロな懐かしい風景でした。

1階中央が天井の高いホール、西側に「砂湯」東側に「男湯」「女湯」がある。

2階は90畳の大広間で、現在は公民館として使われている。




takegawara4(休憩所)




takegawara1(浴室)




『竹瓦温泉』の特徴のもう一つが「男湯」と「女湯」で泉質と噴出温度が違うことです。

その違いを実感したいのですが、残念ながらそれはニューハーフの方でも出来ないそうです。


「男湯」 竹瓦温泉1号泉/ナトリウム・マグネシウムー炭酸水素塩・塩化物泉/57.9℃

「女湯」 竹瓦温泉2号泉/ナトリウムー炭酸水素塩/55℃


だそうです。本当に珍しいですネ。










『竹瓦温泉』の前に「竹瓦小路」なるアーケードがあります。

竹瓦温泉前から流川通りに出る現存する、日本最古の「アーケード」です。



別府温泉街 008







日が暮れて、このネオンに薄明かりが灯ったら、「砂鉄」が磁石に吸いつけられていくように

「ネオン」に吸い込まれて行ってしまうような気がするのは私だけでしょうか。










「竹瓦小路」前をしばらく進むと「竹瓦温泉横丁」がある。




別府温泉街 001



昭和のレトロの匂いがプンプンしますネ。

温泉の匂いとが指揮者がいるようにシンクロしてます。まぶしいくらいの「匂い」です。








別府温泉街 009




全体がセピア色してますネ。

なんか「3丁目の夕日」のセットを見ているようです。

横の路地から「ミゼット」に乗った「堤真一」が出て来るんっじゃないですか。








別府温泉街 010






ラン・ララ・ラララ ラン・ララ・ラララ

ランラン・ララ ランランラ~ン

ランラン・ララ ランランラ~ン




気のせいでしょうか「鎌田行進曲」がBGMで流れています。

『竹瓦温泉』は横綱ですね「竹瓦小路」と「竹瓦温泉横丁」を「太刀持ち」と「露払い」にして

堂々と土俵入りです、さしづめ大横綱がする「雲竜型」でしょうか。





いやー。おかげで素晴らしい「昭和」を見ることが出来ました。

感動です。でも『竹瓦温泉』には入っていません。

しかし、これで再度「別府」を訪れる確かな理由が出来ました。



"待ってろよ、『竹瓦温泉』又来るぞ!!"







注)『竹瓦温泉』の内部写真等でに「別府八湯竹瓦倶楽部」のHPから転記、貼り付けさせてもらいました。

論文にして「NATURE」等への投稿は予定していませんので、なにとぞご容赦お願いします。

なお、調査委員会への出席要請も固くお断りいたします。



                            - アル酎ハイマーはいかい士 -
















温泉 | 20:19:04 | トラックバック(0) | コメント(0)
~明礬温泉 老舗山田屋旅館 ~
別府の高台に「寂れた温泉浴場」明礬温泉がある。決して派手ではないがしっかり生きている。

その明礬温泉の中に、150年の歴史を持ち、別府で一番最初に認定された温泉浴場

老舗の『山田屋旅館』がある。老舗と言っても「格式」などひけらかしている訳ではない。

旅人の心をいやす趣を備えた「寂びの効いた寂れた宿」です。



明礬温泉 山田屋 006









『山田屋旅館』の特徴は、明礬温泉の中でも唯一「緑礬泉」と言う強酸性(PH1.7)の泉質を持つ温泉です。

強力な殺菌力は、アトピー性皮膚炎の治療にも効果があり、リピータも多いそうです。

そして驚くのは、地中に穴を掘って汲み上げるのではなく「自然噴出」であることと

噴出温度が67.5度もあることです。 すごいですネ。

「日帰り入浴不可」と言うのも今風になびかなくていいですネ。



道路沿いの入り口は、振り返らないと判らないような慎ましやかさです。

小さく掲げられた看板を確かめてここが目的地と判る。




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これも後から始まる「ドラマ」のプロローグと後で気づかされる。

扉を開けると景色が一変する。




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狭いスペースではあるが趣のある家具やインテリアが並ぶ、正面にテーブルが2つある。

ラウンジかと思いきや食事用のテーブルであった。

5組しかとらないお客の食事用のテーブルが工夫されて点在している。

言ってみれば、レストランの中に、ロビーがありラウンジがあり、フロントがある。

不思議な空間である。

しかし”女将”の思いが浸透している空間でもある。










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5室しかない部屋もこじんまりしている。

内風呂もない、冷蔵庫もないが「心づくし」はある。

女性客を意識してか洗面所のアメニティは充実している。



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浴室は道路を隔てた向かいの温泉小屋だ。

これがまたいい!!

良い趣きを醸し出している。

姿が「昨日今日出来た温泉じゃあないぞ」と胸を張っている。




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フロントと言う名の「下駄箱の上」から借りた鍵で扉を開け、地下へ降りて行く。

明らかに以前は一つで、しかも混浴であったであろう浴室が簡易間仕切りで二つに別れて現れた。




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いいですね。ひなびて、寂れてしかもこれでもかと使い込まれて美しいですね。

評判と見た目の期待を裏切りませんネ。

湯加減も測ったようです。

私事ですが、湯船につかった時から「お尻」がひりひり、ちくちくします。

それで思い出したのですが、昨夜滑って転んだときお尻を少し擦りむいたようです。

さすが強酸泉ですね。 「PH1.7」を心から、いや「お尻から」実感させてもらいました。














さてお楽しみの食事です。




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色とりどりな前菜です。

みんな地元の食材だそうです。




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そしてお酒はシェフお薦めの「白ワイン」にしてみました。




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別府港に揚がった地元の魚のお刺身です。




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山田屋特製のポトフです。

肉が柔らかったです。




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地元で採れた春野菜です。

しゃきしゃきでした。




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大分名物とり天です。

鶏肉は柔らかで、甘くておいしかったです。





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何と鍋は「ブリしゃぶ」です。

ブリは北陸と思っていましたが、此の辺のブリもなかなかです。

最後のごはんも美味しかったです。





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そして朝食です。

これが又すごい。サケと味噌汁、サラダ、フルーツですが、

横に自家製焼きたての「パン」が添えてありました。

美味しかったです。そして「満腹」です。



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出てくる料理は、心のこもった家庭料理ですが、とてもおしゃれな家庭料理でした。

これも”女将”の思いが溢れるような「優しさ」でしょうか。

「湯」も「料理」も大満足です。

『ホームオーベルジュ 山田屋旅館』に感謝です。













『山田屋旅館』の斜め向かいに共同浴場「鶴壽泉」がありました。




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入り口の横に有る「お地蔵様」にお賽銭をあげて、手を合わせれば入浴できるそうです。



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〖湯の花小屋〗



『山田屋旅館』から少し上がったところに「湯の花小屋」があります。

遠くから見たときは縄文時代の「竪穴式住居」があるのかと思いましたヨ。




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藁で小屋を造り、湯の花を採っているんですネ。

これも温泉が自噴しているからでしょうネ。



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以上とてもわくわくさせてもらった『明礬温泉』でした。



温泉 | 19:52:44 | トラックバック(0) | コメント(0)
~ 国宝 臼杵の石仏(摩崖仏) ~
大分県臼杵の山里の切り立った丘陵の崖面に高い彫刻技術で彫り込まれた

『国宝 臼杵の石仏(磨崖仏)』が千年の時間と風雨に耐えて「奈良・鎌倉」の歴史を伝えています。

石仏で「国宝」に指定されているのはこの『臼杵の石仏(磨崖仏)』だけです。






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石仏には独立して持ち運べる「単独石仏」と天然の岩壁に直接彫った「磨崖仏」があります。

『臼杵の石仏』は天然の崖面に掘られた「磨崖仏」です。

「磨崖仏」にも幾つか彫り方がありますが、『臼杵の石仏』は非常に高度な技術を要する

「丸彫り」に近い精巧な彫刻となっています。

そのような精巧な彫刻が出来た理由の一つが、阿蘇山の噴火によって堆積した「溶結凝灰岩」と言う

軟質の岩で出来ている為と考えられる。その反面、風化しやすく損傷も激しい。




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『臼杵の石仏(磨崖仏)』は、古園石仏群、山王石仏群、堂ケ迫石仏群(ホキ石仏第1群)

ホキ石仏第2群の四群からなっていて全体で60余体の石仏があり、

日本最高峰の古代石仏彫刻の里となっております。

その60余体の石仏の内、59体が国宝に指定されている驚異の石仏群です。

さらに驚くことは、彫られた石仏には、全て「着彩」が施されており、千年以上経た今でも

褪せることなく、幻想的な光を放し見る人を魅了しています。








〖ホキ石仏第2群〗




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『臼杵の石仏』に中でももっとも優れていると言われる(阿弥陀三尊像)です。

丸顔に伏し目で堂々とした存在感です。



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〖堂ケ迫石仏群(ホキ石仏第1群)〗



(如来三尊像)が3体(合計9体)があります。

その中で一番傑作と言われる(如来三尊像)です。



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その他の(如来三尊像)です。

台座の丸や四角い穴は「願文」や「経巻」を納めるところだそうです。



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一番気に入っている(地蔵十王像)です。

中尊に「地蔵菩薩」両脇に5体ずつ「十王像」を配しています。

「地蔵菩薩」が片膝を立てています。非常に珍しい形ではないでしょうか。

それに何と言っても制作当時の「着彩」が色鮮やかに残っています。

”素晴らしい”ですネ。




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〖古園石仏〗




ここには一番有名な(大日如来像)があります。

ここ『臼杵の石仏(磨崖仏)』の象徴ですネ。

なるほど「端正で気品に充ちた顔をしています。

堂々とした存在感、量感を感じます。




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修復以前はこのような状態でした。

首が胴体から転げ落ち前面にポツンと置かれています。

この映像が世界の注目を浴びて「賛否両論」となりました。




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これを修復により元の胴体に戻すことにより「国宝」の指定を受けられたそうです。








今日は、先人の思いのこっもった『臼杵の石仏(磨崖仏)』を堪能させていただきました。



     『合掌!』





歴史探訪 | 21:43:19 | トラックバック(0) | コメント(0)
~ ふぐな旅・考  ~
いきなり問題です。

フグ料理の本場と言ったらどこでしょう。

Boo~!! 残念でした。 「下関」ではありません。

確かに日本のふぐ料理店公認第1号は下関の「春帆楼」さんですが

下関はフグの「集積場」「セリ市」の本場です。

「フグ料理」の本場と言えばやはり「大分・臼杵」ではないでしょうか。

市内には名だたるふぐ料理屋さんが沢山あります。

またこの地でしか食べれない『フグの名物珍味』もあるようです。


そんなわけで今日は臼杵のこちらにお邪魔しています。



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懐石料理 みつご です。

店構えも品がありますネ。



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全室個室だそうです。









まず来ました。

「フグ刺し」「ふぐ皮あえ」「たこ酢」

綺麗ですネ。美味しそうですね。

「名物珍味」もあります。しかもたっぷり

「フグ刺し」の身が厚い。新鮮だから「厚保造り」が出来るんですネ。

「名物珍味」と絡めると抜群です。歯ごたえも心地いいです。




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「ふぐのから揚げ」です。

これは東京などでも、食べられますが全然味が違います。柔らかくて甘い。

東京の「ふぐのから揚げ」とは違う食べ物です。




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「白子焼き」です。

口の中いっぱいに白子がまとわりつきます。

豊満な味です。旨いです。



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「ふぐ寿司」です。

さっぱりしてますネ。美味しいです。

舌休めですか。



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いよいよ「ふぐ鍋」です。

ふぐがたっぷり入ってます。

幸せです。食べきれません。

「酒」を飲む事などすっかり忘れていました。

”ブラボー”です。



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ふぐランチ 009







最後は「雑炊」です。

これが又うまい。満腹でしたが「別腹」に入ります。

「雑炊」が”又来いよ!!」と口の中で手を振ってます。



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本当に全てが美味しかったです。








〖フグの毒〗

フグは自分自身で「毒」を造ることはできません。

食べた「毒」を体内に蓄積できるだけです。

したがって、養殖のフグに「毒」のある餌を与えなければ理論上は「無毒」のフグを養殖できます。

ただし、フグの代表的な「毒」である「テトロドトキシン」を与えないと、異常な行動をとり、

フグ同志でかみ合ったりするそうです。

そこで、わずかですが、「テトロドトキシン」を含んだ餌を与えるそうです。

したがって養殖フグだから絶対安心と言うことはありません





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〖ふぐの肝〗


「ふぐの肝の提供」について色々誤解があるようなので少し整理します。

「大分県だけふぐの肝が食べられる」

「大分県にはふぐの肝の提供を規制する条例がないから提供しても、食べても大丈夫」

などとよく耳にしますが、これは大きな間違いです。

『ふぐの肝等有毒部位の提供は、食品衛生法第6条第2号で禁止されており、

 法的に日本全国どこでも提供することはできません』

                       ≪大分県北保険所見解≫



と言うことで、大分県に限らずどの地域においても「ふぐの肝」を提供したり

それを食べたりすることはできません。

ただし、石川県の白山市の郷土料理「河豚の卵巣の糠漬け」は製法が細かく規制される中

許可されています。

 又、2005年に佐賀県と嬉野町が厚生労働省に「フグ肝」が提供できる「フグ肝特区」を

申請しましたが、安全上の問題で許可されませんでした。




「大分県」で「フグの肝」を食べた。などと自慢げに「店名」までのせて「ブログ」している方がいますが

これはいかがなものでしょうか。

その方が食べた肝が「カワハギの肝」等の「疑似フグ肝」ではなく本当の「フグ肝」だとしたら

「食品衛生法」違反を公表しているようなものです。

「肝」の味の区別さえつかない私にはとてもできませんが。

この行為は一所懸命美味しいものを提供しようとしている作り手の方と、それを美味しく食べたい

と思っている方の気持ちを踏みにじることではないでしょうか。

ここは「作り手」の思いに感謝し、静かに『美味しさ』だけをいただいておくべきではと思います。

いつかきっと、「フグの毒」を事前に中和することが出来、全国どこでも堂々と「フグ肝」を

美味しく食べることが出来る日が来ると思います。

それまで、暖かくこの食文化と伝統を見守りっていきましょう。




今日は本当においしいものをありがとうございました。

割烹 みつご さんに”感謝”です。










食べる | 20:08:09 | トラックバック(0) | コメント(2)
~ 広瀬神社 ~
「岡城跡」の麓に、珍しい神社があります。

『広瀬神社』です。


この神社には、神様ではなく実在の人物、しかも軍人を祀っています。

「旅順口閉塞作戦」で活躍した『広瀬武夫中佐』です。


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明治元年に竹田市に生まれた「広瀬氏」は、小学校の教師をしていたが退職し、

海軍兵学校に入学する。

明治30年ロシアに留学し、その2年後ロシア駐在員となる。

ロシアの貴族社会で交際を広げ、多数の人脈を築き上げた。

「日本のサムライ精神」を持った「広瀬氏」は、多くのロシア人から慕われ、ロシア人の恋人も出来た。

そんな中、日本は明治37年、ロシアに戦線布告し、日露戦争が勃発した。

「広瀬氏」は意に反し、「旅順口閉塞作戦」に参加し、ロシア軍と対峙することになる。

そして、2回目の作戦中に「旅順」にて戦死する。



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将来を嘱望され、優秀な軍人でもあった「広瀬氏」は日本初の『軍神』となった。

そして、生まれ故郷の豊後竹田の地に『広瀬神社』が造られることとなった。



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父親の仕事の関係で、少年期を過ごした飛騨高山の「飛騨護国神社」内に、広瀬氏の銅像が建てられた。



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いずれにしても、当時の軍国主義の政府の思惑、政策が垣間見えるような感じがします。

もちろん「広瀬氏」の残した功績には何の陰りがあるわけではありません。

当時の日本人にはめずらしい「世界観」を持った、素晴らしい人物だと思います。

別な、伝え方をしたらまた別の価値が見いだせたのかもせれません。



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以上『広瀬神社』の広瀬武夫中佐でした。
















神社 | 10:26:34 | トラックバック(0) | コメント(0)
~ 春高楼の岡城跡 ~
春高楼の華の宴

めぐる盃影さして

千代の松が枝わけ出でて

昔の光今いずこ



瀧 廉太郎の名曲 『荒城の月』です。

そして今、瀧 連太郎が『荒城の月』を作曲する時イメージしたと言う

豊後 竹田市にある『岡城跡』に来ています。

瀧 廉太郎は少年時代をこの豊後竹田で過ごし、荒れ果てた「岡城跡」で遊んで育ったと言います。

その思い出をイメージして、中学校唱歌の『荒城の月』を作曲したそうです。



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「城があった時は、春に城の中でにぎやかな花見の宴が繰り広げられたであろう

弾む声や笑い声、酒を酌み交わす盃

そして、城壁の大きな松の枝の間から月の光が差し込んでいたに違いない

そんな面影はどこへ行ってしまったんだろう」 と、


正に、今日のような時期を偲んで歌っているのではないでしょうか。



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『岡城』は、「豊後竹田城」「臥牛城」とも言われています。

広さは、100万㎡、東京ドーム(4.7ha)22個分の広さがあります。

天下に名だたる「難航不落の天然の要塞」だった城です。



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oitaoka06011(大手門)

〖大手門跡〗




1185年 緒方三郎惟栄(これよし)が、源頼朝と仲違いしていた弟義経を迎える為に築城したと言われています。

その後幾つかの遍歴を経た後、明治7年(1974年)廃藩置県により、

岡城にあった69棟の建物がすべて取り壊されました。

何と言う愚かな行為でしょうか。廃藩と廃城は違うでしょう。

こんな決定をした人こそ「永久戦犯」ではないでしょうか。

壊してしまったものは、元には戻せない。 ほんとに!! 国の宝ぜ、 壊すなよ!!

誰だよ!! 「大久保」か「西郷」か「伊藤のひろ」か!!



)(石垣Ⅱ)




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oitaoka0952(石垣







まあ、救いはそのおかげで『荒城の月』が生まれたと言うことか。


それにしてもすごい「擁壁」です。土木工学的にも貴重です。

確かに「難航不落」だったんでしょうネ。

今は城跡は平に整備されているので「荒城」のイメージはさすがにありませんが。

「桜」だけは変わらず綺麗に咲いてます。




岡城祉と広瀬神社とキリシタン 012







「二の丸跡」の奥にひっそりと「滝廉太郎」の銅像がありました。

利発そうな顔立ちです。 ちょっと神経質かも。



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結構な人出もあります。

だからと言って、観光用の「張りぼての天守閣」など造らないことを望みます。




以上『春高楼の岡城跡』でした。


























旅・はいかい | 10:13:58 | トラックバック(0) | コメント(0)
~長湯温泉 宿房 翡翠之庄 ~
大分県竹田市にある日本一の炭酸温泉 「長湯温泉」に来ています。

『長湯温泉 宿房 翡翠之庄』です。


長湯温泉には「大丸旅館」と言う有名な旅館があります。

ここ『宿房 翡翠之庄』のオーナーは「大丸旅館」のオーナーの弟さんだそうです。

その弟さんオーナーの”思い”が『宿房 翡翠之庄』の隅々まで行き届いています。


まず門構えです。

「派手らず」「出しゃばらず」しかし、懐深く「いらっしゃいませ」と言っているようです。



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玄関までの「導入」もいい演出がなされています。

人の匂いのする、手造りの演出です。

距離も、遠からず、近からずです。

「篝火」や「湧水」も今から始まる出会いへの期待を高ぶらせます。

茅葺の屋根が立派な母屋です。

敷地はなんと3万坪だそうです。




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ラウンジも広く、コンセプトが漂います。

「囲炉裏」にはしっかり「火」が灯り、薄煙がたなびき、着いた旅人を「ほっこり」させます。

家具、調度品も凝りすぎず「身の丈」が揃っていて心地よいです。




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「離れ」まで行く廊下には、客を退屈させない心遣いがちりばめてあります。




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部屋はそれぞれ「離れ風」になっていて、広くプライバシーが保たれています。

今日の部屋は、メゾネットで2階がベッドルームになってます。

少し残念なのは、造りは民家風になってはいるのですが、造り方が雑で薄っぺらい。

「梁」などの材料はそこそこの物を使っているのですが「扱い」が雑。

もっと思いを込めて「造り込み」をしてほしかった。

専門用語で言うと「やりっぱなし」が多い。

少し「ビジュアル」に力を入れすぎたかも。




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温泉の泉質が「日本一の炭酸泉」と言うので、体に付まとう「気泡」を期待してきましたが、

残念ながらそれはないようです。

お客さんの思いはみな同じなようで、部屋に着くとテーブルの上に、

オーナーの炭酸泉についての説明書き・お断りがありました。

曰く「気泡は付きません。ただし炭酸濃度は”バブ”の7倍です」だそうです。

それはともかくバスクリーン社の「きき湯」や花王社の「バブ」も「長湯温泉」の成分がモデルだそうです。





早速、2つある「貸切、露店風呂」の一つへ「レッツゴー」




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う~ん。どうですか。

ちょっと狭いです。

浴槽の周囲も、もう少しゆとりを持ったスペースがほしいネ。

3万坪はどこへ?

残念。これでは「露天風呂」と言う解放感が薄れる。

そして、やっぱりおおせの通り「気泡」はつかない。「炭酸泉」と言う感覚はわかない。

う~む!!  

せめて広さだけでも!!








続いて期待を込めて「内風呂へ」

「内風呂」は、先ほどの貸切露天風呂とは違って、言ってみれば「大浴場」ですから




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う~む!!! ここもどうでしょう。

またもや狭いですネ。

確かに浴槽や吐水口には「ひなびた感」は漂いますが、

この旅館の持っているコンセプトとは違うような気がする。

この旅館は、やはり「趣感(おもむきかん)」「寂れた感」が売りではないでしょうか。

単なる「ひなびた」だけではどうですかネ。

お湯はともかく浴室には不満を持つお客さんがいるのではないでしょうか。








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湯上りのビールはごちそうさまでした。

グッドなサービスでした。












旅行の大きな楽しみの一つはやっぱり「食事」ですよね。

とても楽しみにしています。



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豪華ですネ。 期待通りですネ。

野菜も肉もハムもそして味噌もほとんど自家製だそうです。

これもすごいですネ。

「野趣感」溢れる新鮮な食材です。

食欲、酒欲をそそります。

「量」も「彩」もいいですネ。



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美味しい料理には、美味しいお酒、 酒は、地元 久住の「千羽鶴」

郷に入れば郷に従いです。




そして『宿房 翡翠之庄』の食事の売りは

何といっても「エノハ」と「豊後牛」だそうです。

「ヤマメ」の事を地元では「エノハ」と言うそうです。




早速、氷漬けのお造り「直入エノハ重盛り」です

「ひえひえ」で美味しかったですが、時間が経つと「エノハ」の刺身が水におぼれてしまうのでお気をつけあれ。





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「エノハの骨せんべい」

箸休めに持って来いです。

(骨だけの”骨酒”でもよかったんですけど)




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「エノハの塩焼き」です。

柔らかく、香ばしくグッドです。

川魚はあまり食べないので、「鮎」との違いがよくわかりません。

でも、おいしかったです。





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お待ちかね「豊後牛のあぶり焼」です。

旨いっす!!

欲を言えばもう少し厚くても良かったかな




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「幻のエノハ茶漬け」です。

どこの部分が「幻」なのかわかりませんが、美味しかったっす。


本当に御馳走様でした。



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みんな美味しい料理でした。

『宿房』の房は「厨房」の房ですかネ。







と言う訳で、また風呂でも浴びますか、もう一つの「貸切露天風呂」で


もう一つの「貸切露天風呂」に来ました。




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(写真にある「酒」はお風呂の常備品ではありません。部屋からの持ち込みです。念のため)





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 ” かんぱ~い!!”







いやーぁ!いい湯でした。

いい風呂に良い酒、たまりませんネ。

何も言うことありません。

しいて言うなら「もう少し、広いお風呂と、厚い肉」ですか。




今日も、美味しい御馳走とお酒といいお湯、


『宿房 翡翠之庄』の「ババンバ、バンバンバ~ン」な夜でした。













温泉 | 07:18:12 | トラックバック(0) | コメント(0)
~ ひなびて・寂れた 杖立温泉 ~
熊本の山あいにひっそりとたたずむ「ひなびた湯治場」

黒川温泉や小田温泉の陰に隠れて。

ともすると気づかないうちに通り過ぎてしまう

以前から気になっていた温泉『杖立温泉』です。


「杖立川」によ垂れかかるように幾つかの温泉宿があるだけ

温泉名の由来は弘法大師の歌

   「湯に入りて 病なおらば すがりてし 杖立ておいて 帰る諸人」


からきているそうです。

初めは杖をついて来たお客が温泉に入ったら病が治って杖をおいて帰った。

それだけ効能があるということですネ。




杖立温泉 米屋 019







1700年の歴史があり、江戸時代は熊本藩の「御前湯」だったそうです。

しかし、世の中の「温泉」に対する趣向が変わってくる中、置いてきぼりにされたのでしょうか。

でも決して悪いことではないと思う。

黒川温泉や湯布院温泉のようにニーズの先取りをして成功した温泉もあるのですが、

私は『杖立温泉』には「取って付けたような”趣”や”華麗さ”」はいらないと思う。

そうゆう「薄ぺらさ」は造ってほしくないと願う。

「創った趣」ではなく「出てきた趣」吐水口にたまる湯の華のように。





そんな思いを込めて、今日は『米屋(こめや)別荘』にお邪魔しています。


良い佇まいですネ。




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フロント入り口です。

小料理屋さんの入口のようです。





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ロビーです。

囲炉裏付です。




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フロントです。

しばらく呼び続けたら、暖簾の奥から「係のおばちゃん」らしき人が出てきました。




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浴場は別棟です。

ここも趣のある入り口ですネ。

わくわくします。



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内風呂と脱衣室

シンプルで素朴で素敵ですネ。

「本当の趣き」があります。 歴史を感じます。

正に「寂れた感」たっぷりです。



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かけ湯です。

入泉の前にかけ湯は常識ですよね。




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『米屋別荘』自慢の「長寿霊泉」です。

打たせ湯もあります。

源泉で温度が98.7度だそうです。

約100度ですか、すごいですね。日本一じゃないでしょうか。




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こちらも「鄙びた感」「寂れた感」たっぷりですネ。

湯につかっていると過ぎる時間の流れが、心なしかゆっくりとなってくる。










奥が「姫の湯」男子立ち入り禁止です。

そう言われると、立ち入ってみたくなりますネ。

でも「鄙び」ているんでしょうネ、きっと。




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ここも自慢の一つ、天然のサウナ「むし湯」です。

現在は調整中だそうです。 残念!!




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さほど広くない温泉ですが、バラエティに富んでますネ。

こんなのもありました。

でもちょっと狭いか。


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温泉らしいですネ。廊下の途中にありました。

「温泉たまご」と「温泉蒸し器」です。

思わず手が出てしまいますよネ。





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いいもの醸し出していますよ。








秘湯のような温泉を表現する時、幾つかの形容詞があります。

よく使われるのは


①ひなびた(鄙びた)

②寂れた

③古びた

④趣のある

⑤野趣あふれる


でしょうか。

この中で明らかに褒めているのは②と④でしょうか。

④「趣のある」とはある一定の統一された方向性のある味わいを出している状態

⑤は④の一部か

②「寂れた」とは、古びて趣のある物静かな状態

 と言うことは、②は③も④も含んでいる一番の褒め言葉と言うことになる。


ところが②も④も例えば、古い民家を移築すれば都会の真ん中でも「寂れた」状態を造れる。

絶対都会では造れないのが、①「ひなびた」状態です。

「ひなびた」とは「田舎」そのものを指すからです。田舎そのものを移築は出来ないから

で、結論から言うと「ひなびて」「寂れた」温泉が一番良いと言うことになる。

例えば『杖立温泉』のように。

『杖立温泉』は、まさに「ひなびて・寂れた」最高の温泉だと思う。

『杖立温泉』は杖立温泉として、ほかの温泉には無い「ひなびた感」「寂れた感」を大切に育てて欲しいと思う。



がんばれ!! 『杖立温泉!!!』









『杖立温泉』は今こんな事もやってました。

壮大です。全部で3500匹ほどあるそうです。

「こいのぼり」一つ一つにお子さんの名前が書いてあります。



杖立温泉 米屋 030






以上、一流の「ひなびた感・寂れた感」を持つ『杖立温泉』でした。






温泉 | 05:01:36 | トラックバック(0) | コメント(0)
~ 櫛田神社 ~
博多の神社と言えば『博多総鎮守 櫛田神社』ですよネ。

博多の中心中州の隣に位置します。


櫛田神社 003








そして、『櫛田神社』と言えば,代名詞のように言われるにが"博多祇園山笠"です。

"博多祇園山笠"は『櫛田神社』の例大祭の一つです。



200px-Hakata_gion_yamakasa_2006_02.jpg







毎年、7月1日の「注連下ろし(しめおろし)」 「ご神入れ」「お汐井とり」

から始まり、7月15日の「追い山笠」まで続きます。

この間、博多は"山笠"一辺倒で埋まります。

”山笠”を舁いてない時に着る当番法被「長法被に半タコ」姿で、街中を闊歩する人々が見られます。

(”山笠”を舁く時は「水法被に締込み」です)

「山笠が命男」に言わせると、この時期(6/1~7/15)はこの「長法被姿」が「博多の男」の制服だそうです。


ちなみに”山笠”の掛け声は『オッショイ・オッショイ』です。

これは7月1日に行われる「お汐とり」からきているそうです。





65px-Yamagasa_uniform_1(長法被)99px-Yamagasa_uniform_2(水法被)






〖楼門〗です。



櫛田神社 005



さすが立派です。

扁額には「博多総鎮守」と書かれています。



kusida05楼門扁額






〖手水舎(ちょうずや)〗


櫛田神社 006






〖霊泉 鶴の井戸〗



不老長寿に霊験あらたかと言われている霊水です。

一口目は自分の不老長寿を願い、二口目は家族の不老長寿を願い、

三口目は親類縁者の不老長寿を願って三口いただくのが正しいそうです。




櫛田神社 008






〖 拝 殿 〗

櫛田神社 007








〖拝殿の破風〗


hafu(破風




立派な「拝殿」に立派な「破風」ですネ。

さすがです。

この「破風」の中ほどの両サイドに日本中でここにしかないと思われる

「風神・雷神」の彫刻があります。

通常の「風神・雷神」は威風堂々と威厳を示していますが、櫛田神社の「風神・雷神」は

「風神」が舌を出して”あかんべー”をしてます。

「茶目っ気」と「男気」のある、いかにも「博多っ子気質」そのままが現れているようです。




(雷神)




fuujin(風神)




「雷神」の誘いを「風神」が断っているんですかネ。


「雷神」・・・「チョックト”ナカス”バ、イカントネ」


「風神」・・・「ナンイートットネ、シェカラシカー」

「ソゲナトコ、アホクソーテ、イットラレンバイ」

       「アカチョコベー」

でしょうか。 


違ってたらごめんなさい。(博多弁修正受付中)

            (第1回訂正済)










〖 神 紋 〗

櫛田神社 009




楠田神社の神紋「木瓜」ですが、これが「きゅうりの切り口」に似ていることから

博多の人は”山笠”の期間中は「きゅうり」を食べないそうです。









〖飾り山笠〗


「拝殿」の横に飾られている「飾り山笠」です。


”山笠”は本来、舁ついで町内を走るのですが、あまり背が高いと電線に引っかかります。

したがって、飾っておくだけの”山笠”が出来ました。




櫛田神社 010








〖 清 道 〗

櫛田神社 011







”山笠”の最終日7月15日に行われる「追い山笠」は、『櫛田神社』の入り口手前の道路にある

「山止め」からこの「清道」マークをUターンして道路へ出るまでの時間を競う

「タイムトライアル」です。

1番最初にスタートする「一番山笠」だけが、この「青道」のところで「博多祝い唄(祝い目出度)」

を歌うことが許されています。





keidaizu.jpg







〖 力 石 〗

有名力士が持ち上げた石を奉納する「力石」です。

歴代の横綱の石がありました。

「白鳳関」の医師もありましたがこの石の重さが120㎏だそうです。

う~む、どうでしょうか???????

別にケチをつける気持ちはありません。




白鳳







〖大銀杏〗

櫛田神社 012







福岡県指定天然記念物です。

高さ  23M

樹齢  推定 1000年


「博多のぎなん」と呼ばれて市民に親しまれています。

樹齢1000年ですか、枝っぷりも勇壮ですネ。


”博多祝い唄”の中にも

「さても見事な櫛田のぎなん、櫛田のぎなん、枝も栄ゆりゃ葉も茂る」と謡われています。







〖博多おくんち〗




『櫛田神社』の祭事には、11月23日に行われる、新嘗祭が変化した”博多おくんち”があります。





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〖博多松囃子(博多どんたく)〗




厳密には『櫛田神社』の祭事ではありませんが、松囃子の行列は『櫛田地神社』からスタートします。




300px-Dontaku02.jpg









櫛田神社 020-crop






以上『博多総鎮守 櫛田神社』でした。



神社 | 04:43:56 | トラックバック(0) | コメント(0)
~ 中州の夜 ~
せっかく博多に来たので、中州の夜を少し紹介します。

中州と言えば「川」と「ネオン」と「星空」ですか。

その「那珂川」を渡る「春吉橋」です。

昔はよく「酔っぱらって」この橋を行ったり来たりしたもんです。



中州屋台 011








そいでもって、いやー!!ここも歓迎してくれました。

歓迎されたのは私なのか「サイフ」なのかは解かりませんが。

でも、一目で思い出してくれたのはうれしいですネ。




隆盛と並木 016






ここも、元に戻るのにさほどの時間は擁しませんでした。

懐かしいですネ。 「祝い目出度」に「博多一本締め」ですか。

皆さん、博多をこよなく愛しているようです。




隆盛と並木 013




隆盛と並木 017






そして、やっぱり「締め」は屋台ですかネ。

博多にはいたるところに屋台が沢山あります。

ピンきりですから、くれぐれも事前調査を。



中州屋台 012






ここはいつ来ても満員の人気店です。

女の子の客が多いです。

聞くと「タッキー」やらの公演の帰りだとか

しかも、東京から!!すごいですネ。



中州屋台 001



中州屋台 006



中州屋台 004



中州屋台 005








『中州』には、いくら酔っていても「会計」の時に一瞬で酔いをさますシステム

「酔い覚まし会計システム」があります。

そんな「酔い覚まし会計システム」を採用している店には、「居酒屋」であれ「スナック」であれ

あるいは「屋台」であれ、たいがい「やり手MA・MA」がおります。

笑顔で迎えてくれたからといって「安い」訳ではありません。



博多で飲む際には、この「やり手MA・MA]や「やり手BA・BA」に、くれぐれも


   ”ご用心・ご用心!!”





以上”中州の夜”でした。





お酒 | 08:12:19 | トラックバック(0) | コメント(0)

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