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アル酎ハイマーはいかい士

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~ さつま珍味 『隆盛』 ~
福岡 天神の隣

「薬院」と言うところに来ています。

昔、此の辺で仕事をしてました。

今日は野暮用のついでに懐かしくて、ここまで足を延ばしました。

そのころ仕事帰りによく来たのがこの店、さつま珍味『隆盛』です。

まだありましたネ。12年ぶりです。




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恐る恐る扉を開けると

「いらっしゃい!! うぉ=久しぶり!!」と言う「女将」と「大将」の声が返ってきた。

お互い覚えていた。 「よかった!!」

昔と同じだ!! 

12年前に戻るのに「5分」とかからなかった。

「大将」は挨拶が終わると「寡黙」に仕事に戻る。

「今どこで何してる」などとは聞かない。

「寡黙」だが、決して「無愛想」ではない。笑顔はちゃんと作れる。 

「昔と変わらない」と安心する。



隆盛と並木 002



『隆盛』は博多ではあまり目立たない。

マスコミもあまり取り上げない。

「大将」もそんな事はあえてしない。

しかし、博多では知る人ぞ知る『有名店』です。



「福岡」には、日本の名だたる企業の「福岡支店」「九州支店」があります。

その支店の、大方の「支店長」「副支店長」が東京、大阪などからの「単身赴任者」です。

その名だたる企業の名だたる人達が「九州の味」「博多の味」を求めて

この『隆盛』に通ってくるのです。

そして、その名だたる人たちが東京に戻ってから、ホームパーティーなどを開く際、

珍しい九州の味を提供すべく、「大将」に出帳料理を依頼するのです。

私が、よく来ている頃は年に1~2回ほど、店を休んでまで「出張料理」に対応してました。

さすがに今は体力が持たないそうです。



隆盛と並木 006






ここで問題です。

「大将」の生まれ故郷はどこでしょうか。

     ●

     ●

     ●

     ●

(ヒント)  顔が「ムツゴロウ」に似ているからといって「有明海」とはかぎりません。




そうです。正解です。

「鹿児島」です。 ”かごんま”です。

『隆盛』⇒『鹿児島』

判りやすいでしょ。


    

そうなんです、創る料理も同じなんです。

素材にこだわり、素材を生かし飾らず気取らず、裏切らずです。

素材の旨さがストレートに食べる者に「判りやすく」伝わります。







隆盛と並木 001




今日の「お通し」です。

クワーッ!!

『エツの南蛮漬け』 かよ!!  びっくり!!

日本中で「筑後川河口」でしか捕れない『伝説の魚、エツ』です。

「むかし、弘法大師が筑後川を舟で渡る際、渡し賃の代わりに近くに生えていたヨシの葉を浮かべたところ

たちまち”魚のエツ”になってその後までこの地域に富みをもたらした」

と言う伝説の魚です。


しかも、『エツ』は傷みが早いので取れた近隣でしか食せない。

が、残念ながら絶滅危惧種Ⅱ類に指定されているので、

そう遠くないうちに捕獲が禁止されるかもしれません。






そんな魚をサラッと出すか。『隆盛!!』

もう少しもったいぶって出せよ!!  「うんちく」でも言ってさぁ。



まあ、とりあえず今日はありがたくいただいておこう。






隆盛と並木 004



刺身の盛り合わせです。


 「天然のマグロの赤身」
  
 「タコ」

 「自慢の、こぶ締めの〆鯖」

 「取れたてのサヨリ」



どれも旨かったです。




隆盛と並木 005




酒は『隆盛』特製ブレンドの「芋焼酎」のロックでず。

グラスいっぱいに注ぐのが「女将」の自慢です。

 「東京の店はケチやけん。うちは違う」




隆盛と並木 003




焼酎も昔からの焼酎しか置いてません。

後ろに隠れているのは。

 「朝日」「なかむら」ですかネ。

察するに特製ブレンドは「三岳」と「白玉の露」の混ぜ合わせか。

どっちも「鹿児島」かよ。

わかりやすぅー!!





隆盛と並木 011



隆盛と並木 008





「ホワイトアスパラ」と「煮物」です。






「昔、最後に食べた高菜のおにぎり」が旨かったと話すと

早速作ってくれました。




隆盛と並木 007


隆盛と並木 009




旨い!!



なぜ、ここの「高菜のおにぎり」は旨いのか?

やはり「高菜の質」と「ゆで方」か。





『隆盛』の名物がもう一つあります。

毎年暮れになると注文制で作ってくれる『鯖寿司』

これがまた抜群に旨い。

ただし、「大将」が気に入った鯖じゃないと作らないのでどれだけの数になるかはその時次第。

予約していても手に入らないこともある。








う~ん。今日はとても懐かしく、美味しい一夜でした。


「酒」を美味しく飲みたい方には、最高の店 『隆盛』でした。








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お酒 | 12:26:27 | トラックバック(0) | コメント(0)
~ 八咫烏(やたがらす) ~
「川越熊野神社」です。

川越 の「蔵造りの街並み」の入り口にあたるところにあります。

もとは道路を挟んだ向かいにある「連馨寺(れんけいじ)」の一部でしたが

明治2年の神仏分離により独立した神社になりました。

地元の人からは「おくまんさま」とよばれて

開運・縁結びの神様として親しまれています。



川越 熊野神社 007




神社としては小さい神社ですが、一の鳥居、二の鳥居があります。



川越 熊野神社 009








〖手水処〗

川越 熊野神社 001







〖本殿・拝殿〗



川越 熊野神社 003







小さいながらも「摂社・末社」がありました。


〖大鷲神社〗



川越 熊野神社 008








〖秋葉神社〗


御徒町の「秋葉神社」と同様「火」の神様です。



川越 熊野神社 006







〖厳島神社(銭洗い弁天)〗

〖宝池〗



川越 熊野神社 004







〖加祐稲荷神社〗




川越 熊野神社 002



この「加祐稲荷神社」にはこんなものもありました。

『運試し輪投げ』です。



kumanojinja_3.jpg







短いですが参道脇が、石の突起で足のツボを押して歩く『足踏み健康ロード』になってます。




p07403s.jpg










〖御社紋〗


熊野神社の「御社紋」は三本の足を持つと言われ、熊野の大神に仕える『八咫烏』です。



川越 熊野神社 010-crop



「烏」は夜明けを呼ぶ鳥と言われ、人々を明るい希望の世界に導く霊鳥として信仰されているそうです。

「日本サッカー協会」もシンボルとしてこの『八咫烏』を用いています。



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日本を統一した「神武天皇」が熊野の山中で道に迷った時、大和の橿原(かしはら)まで先導したと言う

故事に習い勝利に導く鳥としてシンボルに採用したようです。

(決して「足が三本あったらいいな」ではありませんので念のため)

日本代表選手のユニホームの左胸にはこの『八咫烏』のエンブレムが付いています。

(もっとも最近はエンブレム禁止となる大会もあり、残念ですが)





川越 熊野神社 011-crop






以上、川越熊野神社「おくまんさま」の『八咫烏』でした。






神社 | 21:50:52 | トラックバック(0) | コメント(0)
~ 時の鐘 ~
丁度一年ぶりです。

川越の「蔵造りの街並み」です。

前回、見れなかったところを中心に、じっくり『歴探』してみたいと思います。



小江戸 時の鐘 031




〖武州川越 轟屋〗



「蔵造りの街並み」が始まる少し川越駅よりにありました。

江戸時代から続く、由緒正しい「海産物・鰹節屋」です。



小江戸 時の鐘 006






船で海産物を「江戸」から運んできて川越を中心に内陸の人々に提供してきました。

特に、「鰹節」の登場はそれまで「出汁」を取る習慣のなかった「川越」の人には衝撃でした。

それ以来「轟屋」は川越の食文化を支えてきました。

そして「轟屋」がすごいのは、昔の話だけではありません。

現在でも大ヒット商品があります。

『鶏削り節』です。




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テレビで取り上げられ、とりわけ「マツコ・デラックス」なるタレントに絶賛され大人気となりました。

おかげで生産が間に合わず現在「在庫なし」だそうです。

テレビの力は大きいですネ。

「卵かけごはん」にかけて食べると相性抜群だとか。  ”うまそー!!”








〖川越 まめ屋〗




「蔵造りの街並み」が始まる「仲町交差点」にあります。

「札の辻」に向かって左側を歩くと、ここの店員さんの「売り声」を聞かずに通り過ぎることはありません。



小江戸 時の鐘 007





「豆」の専門店と言うだけでも珍しいのですが、

「試食薦めの上手な売り子さん」のせいもあって、いつも店内はお客でいっぱいの人気店です。

店内でほとんどの商品が試食できます。




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70種類の商品があるそうです。

すごいですね。ここの名物店の一つです。










〖田中家住宅(カフェ・エレバード)〗




2007年までは、「田中家住宅」「田中屋美術館」として田中氏のコレクションを展示

していましたが、今は、クラシカルな喫茶店「カフェ・エレバート」となっています。



小江戸 時の鐘 012






外観はレトロな洋館ですが、なんと内部は「蔵造り」になっています。

和洋折中の不思議な建物で一見の価値があります。











〖埼玉りそな銀行川越支店〗





川越のシンボル”時の鐘”の近くにに、蔵の街並みからドーンとそびえる洋館があります。

「埼玉りそな川越支店」です。



小江戸 時の鐘 023








明治11年(1878年)の竣工当時は旧八十五銀行本店本館でした。

現在のような形状になったのは大正7年(1918年)です。

構造は鉄骨鉄筋コンクリート3階建てです。今でいうところのSRC造ですか。

まだシャキッとしています。すごいですネ。

「蔵造り通り」にはコンビニがありませんので、市民や旅行者の金の引き出しにはここは欠かせません。











〖かつおぶし 中市商店〗





創業は江戸末期だそうです。



小江戸 時の鐘 024







この店は、看板にあるとおり、「かつおぶし」が有名ですが、

もう一つ、行列ができるような有名なものがあります。

6代目が考案した『ねこまんま焼きおにぎり』です。




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これもテレビで放映されるやいな一躍人気商品になりました。

おにぎりを香ばしく焼いてから鰹節と昆布で出汁をとった秘伝の「だし醤油」をぬり

鰹節をたっぷりかけて出来上がりです。

美味しいですヨ。 正に「猫まんま」です。











〖小江戸川越 亀屋〗



川越きっての「老舗」の和菓子屋さんです。

天明三年創業 旧川越藩御用 だそうです。天明三年と言うと1783年。

浅間山の大噴火のあった年です。



小江戸 時の鐘 026



すごいですね。


今も伝統を引き継いだ、人気NO1の最中です



kamenomonaka-new愛菜か




人気が出て品切れ状態の「川越シュー」です。

シューが「芋」の形してますネ。



kawagoeimosyu川越シュー


伝統と新しさを兼ね備えた上品は香りがします。













〖川越 まちかん〗




ここもすごい!!

店の中にピーンと緊張感が走っています。

店の中は、まぶしいくらいいぶし銀に輝く「刃物」だらけです。

創業は天保14年(1843年)

11代続く(もう12代になったかも)老舗の「刃物店」です。



小江戸 時の鐘 027





今は「包丁」がメインです。

とにかく切れ味が全然違うそうです。

少し金額が張るようですが、「まちかん」の包丁を持つ事が「包丁人」のステータスとなり

「まちかん」の包丁を求めるお客が絶えないそうです。



小江戸 時の鐘 051




小江戸 時の鐘 050






店の中には若い方が二人接客していました。11代の息子さんですかネ。

一人がお客さんの「裁ちばさみ」を研いでました。

「研ぎ出し」もしてくれるそうですが、予約制で1か月~2か月待ちだそうです。











〖笛木醤油 金笛 〗






創業は寛政元年(1789年)の老舗醤油屋さんです。




小江戸 時の鐘 041



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伝統の醸造技術を受け継ぎ、手間を惜しまず昔ながらの「旨味」を持った醤油として人気を誇っています。

商品名は「金笛醤油」「金笛丸大醤油」として多くの人に愛されています。












〖釣鐘堂下 田中屋〗





ここも人気で老舗のお団子屋さんです。

場所は川越のシンボル「時の鐘」の横にあります。

前回は長い行列で購入できませんでしたので、

今回は購入を楽しみにしてました。



小江戸 時の鐘 033



小江戸 時の鐘 032









平たい団子を弱めの炭火でじっくり焼いています。

じっくりすぎるぐらいじっくりやいています。

醤油の香ばしい香りが狭い店内に漂います。

客は待たされながらこの香りを「前奏」を聞くようにかがされます。

焼き上がるのが一層待ちどうしくなります。

食べてみると素朴で香ばしくておいしいです。



小江戸 時の鐘 045





創業は文久元年(1860年)

ロシア軍が「対馬」を占領した年です。

世界の列強国がこぞって「黄金の国ジパング」を目指して押し寄せて来た時代です。

そして「徳川幕府」の足元が揺らぎ、風雲急を告げだした時代です。



そんな時「団子」ですか。

「阪本竜馬」も食べたかな。


でも、すごいのは商品がこの「団子」しかないことです。

しかも両指が届く十本程しか一度に焼かない。

この団子だけで150年商売して来たのか!!!

江戸、明治、大正、昭和、平成、時代は激動、激変してるのに!!

ちょんまげ結って刀を差していた時代から人間が半年も「宇宙」に滞在できる時代になるまで

「団子」一筋。 これってすっごくないですか。  

 田中屋さん ”ブラボー!!”です。

「ギネス級」ではないでしょうか。

これぞまさに人間 『時の鐘』でしょ


ここが、今日一の『歴探』ではなかったでしょうか。

感動です。




お土産にこんなの買いました


「手造り箸工房 遊膳」



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川越には、まだまだ歴史を持った「老舗」があります。

続きはまたの機会にしたいと思います。


以上川越『歴探』でした。



旅・はいかい | 20:01:58 | トラックバック(0) | コメント(0)
~ 眠らぬ街の早春譜 ~
新宿御苑です。

眠らぬ街・新宿のオアシスです。

その「新宿御苑」の春を覗きに来ました。


久しぶりの来苑です。

何年ぶりでしょうか。  記憶にありません。

学生時代以来でしょうか。


丁度昼休み、中で食事をしている人が結構います。

あらためて見ても広いです。これが大都会新宿の駅前ですから。




「新宿御苑」の歴史は古く、徳川家康が江戸に入った翌年(1591年)に遡ります。

長年功績のあった譜代の家臣「内藤清成」に屋敷地を拝領した。

家康が「馬を走らせて回れるだけの土地を授ける」と言い、その結果四谷~大久保~代々木~千駄ヶ谷までの

広大な土地を賜った。

これが「新宿御苑」の始まりです。

その後、信濃の3万3千石の大名になった折には下屋敷として使われていた。

1698年に幕府は広大な内藤家の下屋敷の一部を返還させ、馬継ぎの施設を備えた「宿駅」設けた。

「宿駅」とは荷物を運ぶ人や馬を乗り継ぐ為の宿のことで、その運搬の仕組みを「宿駅伝馬制度」と言い

今の「駅伝競争」の語源となった言葉です。



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内藤家の敷地に出来た新しい宿場町なので「内藤新宿」と呼ばれるようになり

今は「宿場」は繁華街となり、屋敷跡が「新宿御苑」となった。




「新宿御苑」は幾つかのゾーンに分かれています。



【玉藻池】


江戸時代の内藤家の屋敷跡の面影を留める庭園です。

池、谷、築山、をしつらえた景勝地「玉川園」が作られていたそうです。

「カモ」が十数羽いました。

「カモ」はなぜか、苑内にいくつかある池の中でこの「玉藻池」が一番お気に入りだそうです。



新宿御苑 001




新宿御苑 002






天気もいいし、こんな景色を見ながら芝生の上だお弁当ですか。

いいですネ。仲間に入りたいですよネ。

「吉田 類」ならグラス片手で入って行くでしょうネ。





新宿御苑 003









【イギリス風景式庭園】


芝生と高木があるだけです。

広々としていると言えば広々してます。

でも「イギリス式庭園」ではなく「イギリス風景式庭園」て、どんなんでしょう。

う~む。  微妙?




新宿御苑 007




新宿御苑 047







【フランス式整形庭園】



う~む。今度は「景色」ではないのか。

今は咲いてませんが中央の「バラ花壇」は壮大ですネ。100種類、500株あるそうです。

それと4列にデザインされた「プラタナスの並木」これも壮大でロマンチックです。




新宿御苑 011




新宿御苑 009








ピュ~ツ!!(指笛の音)


プラタナスの並木の下を片寄せあって、 クワ~ツ!!

映画のワンシーンを観ているようですネ。 ブラボウーッ!!


「プラタナスの枯葉舞うってか!!」



新宿御苑 013










【下の池・中の池湖畔】



池は上、中、下と三つに分かれています。

下の池と中の池の周りには色々な花や木が植えられています。

春の兆しを告げる花々も咲き始めています。



お気に入りのショットです。

下の池の淵にに咲く「しだれ桜」です。  咲いたら綺麗でしょうネ。



新宿御苑 015





中の池の淵「カンヒザクラ」です。



新宿御苑 020






「ラッパスイセン」も綺麗に咲いていました。




新宿御苑 021






今日一番人気だったのが、中の池のたもとの「シュゼンジカンザクラ」です。

沢山の人がカメラを構えています。

枝振りも「男前」です。

「シュゼンジカンザクラ」は「カンヒザクラ」と「オオシマザクラ」の掛け合わせ栽培品種だそうです。




新宿御苑 023



新宿御苑 024




新宿御苑 027









【日本庭園】




池泉回遊式庭園です。

池の奥には、歴史建造物の「旧御凉亭」があります。



新宿御苑 030




新宿御苑 034






ここでも「カンヒザクラ」が満開でした。



新宿御苑 031






「新宿御苑」でもう一つ人気なのがこの日本庭園の「ハクモクレン」です。

白い花が枝一杯に咲き誇っていました。

空の青さと「ハクモクレン」の白さの対比がとても印象的でした。




新宿御苑 035





茶室「楽羽亭」とその入り口にある梅です。




新宿御苑 038




新宿御苑 037








【母と子の森】



ここは素敵です。

都会の子供達に自然を教えるのに持って来いです。

新宿駅の傍に「武蔵野の雑木林」があります。

「木々」や「草花」「昆虫」「カエル」等の自然がそのままあります。




新宿御苑 042




新宿御苑 043




新宿御苑 044






こんなものも発見しました。

「ラクウショウ(落羽松)」と言うそうです。

メキシコ原産で、明治20年~30年頃日本で初めて「新宿御苑」に植えられた木で

湿地や沼地に生息しているの為、地上に気根(きこん)を出して呼吸しているそうです。



新宿御苑 045



びっくりです。



ここでは、定期的にボランティア団体による「親子自然観察会」をやっているそうです。

ガイドリーダーが丁寧に子供を指導してくれます。ぜひ参加してみてはいかがでしょうか。











最後にここは「新宿」ですから「都会」と「自然」の景色のコラボレーションをどうぞ。




【樹木とビル】



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【池とビル】



池とビル






【日本庭園とNTTドコモ】




ビルと日本庭園












今日はさわやかに『新宿の早春譜』でした。





旅・はいかい | 07:33:51 | トラックバック(0) | コメント(0)
~ 『ヒマヤラのパレット』 ~
友人が今年もミニ個展を開きました。

場所は新宿荒木町の小さなギャラリー喫茶です。

実は彼の職業はよく判りません。

以前貰った名刺には「一級建築士」とありました。

一年中全国を歩き回り、「寺」や「景色」を写生して歩いているようです。

本人は『寸描の旅』と称しております。




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羨ましいですネ。「金」と「時間」と「才能」があれば、私もしたいです。

一見、絵を描いている人のようには見えません。

それこそ、畑でクワを担いだ姿の方が「絵」になりそうです。



去年までは、被災した三陸あたりを歩き回り、被災の状況を描いていました。

被災された状況を歴史として残す『歴史を描く旅』ですかネ。

しかし去年は、震災には関係ない

「東京駅」と「華厳の滝」を購入させていただきました。




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今年のテーマは『瀬戸内、海と仏寺の風景』だそうです。



森山勇 010






なぜ、今回は「瀬戸内海」「尾道」なのか、聞いてみた。

やはり意味があった。

彼の建設省の同期入社の中に無二の親友がおり、二人で飲むと故郷の「尾道」の自慢話になったそうな

尾道の「酒」と「魚」と「景色」そしてそのたびに尾道で飲む約束をしたそうです。

ところがある日突然、彼の訃報を受け取ることとなった。

約束が果たされないまま40年の月日が流れた。、

この程やっとその約束を果たすべく『寸描の旅』に出て

「尾道」で見えぬ相手と「杯」を交わすことが出来たそうです。



男の「ロマン」ですネ。  



森山勇 017







 


『拍手!!』









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「仏寺」の中でも「三重の塔」「五重の塔」の絵が多い。

「塔」には”日本人独特の美”があるそうです。   私も同感です。

「モスク」や「教会」とどこが違うのか

三重、五重となぜ高さが必要なのか。


しばらく「塔」論議が続いた。  ”塔 論 会”ですか


続きは「安・居酒屋」でと、結論がでた。







今回のお気に入りの絵は『備中国分寺』で決まり。


テイクアウトです。




森山勇 006





すると彼曰く、スケッチしている時お坊さんに

「”平山郁夫画伯”もそこに座って同じ景色を描いていた」と言われたとの事。



(これは暗に美的センスが”平山画伯”と同じであると言う「自慢」なのか)

(それならこのアングルが気に入った私も同じと言うことになる)



調べてみました。

”平山画伯”と「備中国分寺」は縁が深くいろんなアングルから「五重の塔」を描いていました。

別にここからだけでは無いそうです。

そして蛇足ながら坊さんは、絵を描く人、写真を撮る人に同じように声をかけているみたいです。

あしからず。












では、お待たせしました、本日の「本題」に入ります。

何と、こともあろうにこの方が去年の11月に『日本文芸アカデミー賞』を受賞しました。

びっくり!! 再度聞き直しました。

「ぶっ、ぶ・ん・げ・い!!!」


「絵じゃなくて文芸ですか」 「そうです」


 え~っ!!  再度 びっくり!!




森山勇 012








正式名は『日本文芸アカデミーゴールド賞』です。

大賞は「塩月弥栄子さん」でした。

過去には「細川護熙氏」や「チャールズ・ジェンキンス氏」も受賞しました。







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受賞の対象になったのは、1998年に「シルバー登山隊」としてヒマラヤに登った時の事を

スケッチと共に書いた画文集『ヒマラヤのパレット』です。

その当時は「シルバー登山隊 ヒマヤラ挑戦50日」と言う題名でNHKでも取り上げられたそうです。

でもなんで今頃なのか、皆目見当がつかないらしい。





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森山勇 015









やる時はやるねー!!

すばらしい!!

結構 有名人じゃねーの


確かに”ただの酒飲みではない”と思ってはいました。

本当ですヨ。 本当ですって!!  信じて下さい!!




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で、今日はアカデミックに   ”おめでとう!!”      ”かんぱ~い!!”










芸術 | 20:49:28 | トラックバック(0) | コメント(0)
~ 大樋焼(おおひやき)ぶらり ~
石川県金沢には、全国的に知名度の高い焼物「九谷焼」の他にもう一つ

「茶の湯」の世界で根強い人気を持つ焼き物がある。

それは、京都の「楽焼」の流れをくむ『大樋焼き』である。





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【大樋焼本家十代長左衛門窯 大樋美術館】



「九谷焼」のように、繊細で多彩な色使いはないが、「重厚」で「力強い」まさに「わび」「さび」を

捏ねて形にしたような「茶の湯の茶器」である。

「ロクロ」を一切使わず、「手ひねり」と「ヘラ」で一つ一つ作り上げ『大樋焼き』特有の「飴柚」

がかかり、観ている人を引きずり込むような力強さがある。

始まりは、江戸時代初期 加賀藩5代藩主 前田綱紀が京都から「裏千家 仙叟」を招いたおり、

「楽家」の最高弟であった陶工・長左衛門が同道し、「綱紀」の保護を受け「大樋」に窯を開いたことによる。

「楽焼」との区別をする為に「楽焼」の特徴である「赤」と「黒」の使用を禁じられた”初代長左衛門”は

試行錯誤の上、『大樋焼き』の最大の特徴でもあり、魅力でもある飴色をした『飴柚』を考案し、

稀有な焼物として全国に知られるようになる。





20070205012539_0(初代)

【初代大樋長左衛門 『大樋柚 聖』 】





(4代)

【四代大樋長左衛門 『大樋柚 梅花紋茶碗』】




代々の前田家から「お庭焼き」として保護されてきた『大樋焼』であったが、明治になると民間の窯元となり

又、「茶の湯」の衰退と相まってついに明治27年「7代目大樋道忠」の死を持って途絶える。



20070205012939_0(7代)

【七代長左衛門 『大樋柚 宝珠紋茶碗』】



その後、後継の門人達やその子孫の制作活動により、大正の中期から昭和の初めにかけて、

苦難の時期を乗り越え「奈良理吉」が復活再興を果たす。

その結果、八代目長左衛門を名乗り、その長男は九代目、そして現在は十代長左衛門と引き継がれた。



20070205013008_0(8代)

【八代長左衛門 『大樋黒柚 桔梗紋』】





十代長左衛門は長男「年雄」共に創作活動を行っており、この「年雄」が十一代を継承する日も近い。


20070205013149_0(10代)

【十代大樋長左衛門 『大樋柚 茶碗』】




20070205013221_0(年雄)

【大樋年雄 『大樋白柚窯変茶碗】



「十代長左衛門窯」と「大樋美術館」は同じ敷地内に併設されています。

そして今「大樋美術館」では「初代長左衛門没後300年記念展」を開催していました。



大樋焼 003





前庭もお洒落です。


大樋焼 025




ロビーです。お洒落ですネ。


大樋焼 007






「十代長左衛門」と「大樋年雄」の作品です。




大樋焼 013




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大樋焼 021




大樋焼 022





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【二つの”本家窯元”争い】



上記のように、『大樋焼』は七代大樋道忠を最後に途絶えましたが、昭和に入り「茶道」の復活の兆しが見え

『大樋焼』の需要も高まり七代目大樋道忠の直径子孫による『大樋焼』も復興され、八代目大樋長楽が再興し

その長男である九代目大樋勘兵衛が継承しています。

ここに『大樋焼』の二つの「本家窯元」が存在してしまいました。

どちらも譲らず、「裁判沙汰」となっております。


裁判所の所見としては、どちらも七代大樋道忠よりその業統・業名を正式に承継したわけではないので

『大樋焼本家窯元』の承継者とは認められないとのことです。

まあ、喧嘩両成敗と言うところですか。




でも、大方の判官びいきとしては、

後だしのように「昭和」になってから出てきた「八代大樋勘兵衛側」より

苦労して『大樋焼』を復活させた「十代長左衛門側」に軍配をあげたいと思うのですが、

いかがなもんでしょうか。



しかし、特に厳しいなと思われるのは、「十代長左衛門側」に対し


「七代大樋道忠」亡き後、大樋焼の陶芸としての真髄を承継、発展させたのは祖父以来の三代であるとの思い

を強く抱いていることがうかがわれるが、そのような自負心を持つ事は本人の自由であるけれども、

その認識を他人に強要することは許されない」

と結論付けた。


大変厳しいですが、何かほかでも使えそうですネ。



いずれにしても、双方とも素晴らしい焼物に携わっているのだから、つまらない争いはやめて

作品で勝負したらいかがでしょうか。

どれだけ人の心を打つ作品が作れるか「争ったら」いかがでしょうか。





ガンバレ!! 『大樋焼』でした。











焼物 | 22:45:48 | トラックバック(0) | コメント(0)
~ 南町奉行所 ~
いや~ぁ 知りませんでした。

何回も傍を通っているのに、気が付きませんでした。

こんなところに『南町奉行所跡』があったなんて

ここは、JR有楽町駅の中央口正面です。



yjimageCAS1FWUN.jpg




ご存じ、江戸時代は「北町奉行所」と「南町奉行所」の2つの町奉行所があり、

「月番」と称し、ひと月毎に交代で江戸の町の治安を守ってきました。

ひと月毎と言っても、ひと月働いてひと月休む訳ではありません

「町奉行所」は今で言うところの「警察」と「裁判所」の2つの役目を負っていました。

ひと月警察の仕事をし、次の月はその時発生した問題や陳情の処分、処理、捜査などを行っていたのです。


bugyousho43(北町)




bugyousho42(南町)








その奉行所の一つ『南町奉行所』が何度か移転があったにしろ、こんなところにあったとは

びっくりです。



南町奉行所跡 002








じゃああ、『北町奉行所』はどこにあったの?

当然、気になりますよネ。

それは残念ながら、東京駅の丸の内側「新幹線のホーム」の下でそうです。

う~む。それでもさぁ”にわか歴男”からすると

「記念碑」か、せめて「記念プレート」ぐらいあってもいいんじゃあない! JRさん!




bugyousho35.gif




よく時代劇で「同心」達の事を「八丁堀」と呼んでいるので、

「奉行所」が八丁堀にあるにかと思いました。

違ったんですね、八丁堀に「与力」や「同心」の住む「長屋」があったんですネ。

「与力」は中級武士で「同心」は下級武士です。

「町奉行所」には約25人の「与力」と120人の「同心」が居たそうです。







この『南町奉行所跡』は「記念プレート」だけでなく、

発掘された当時の「石垣」が復元されています。

観光用のような煌びやかさはないが、当時の「質実さ」「力強さ」が現れています。

ナイスです。



南町奉行所跡 001



南町奉行所跡 003




南町奉行所跡 005













ところで、『北町奉行』と言えば”遠山の金さん”こと遠山金四郎景元ですが



yjimageCAHE0GQE(遠山の金さん)







『南町奉行』と言うと「大岡政談」で名奉行と言われた”大岡越前”こと大岡越前守忠相ですネ。



201311_ooka(越前)





「越前守」といっても、越前(現福井県)を統治していた訳ではありません。

武家の位に合わせた単なる称号です。

”大岡越前”はご存じ「暴れん坊将軍」こと8代将軍徳川吉宗が進めた「享保の改革」に町奉行として

携わり、数々の業績を残した。


250px-Tokugawa_Yoshimune.jpg







「町奉行」として、司法や奉行所の改革だけにとどまらず江戸の都市行政の改革にも大いに貢献した。



”大岡越前”の主な改革業績


  1.火災対策

    ・町人による「町火消し(いろは四七組)を編成し、消火活動にあたった。
  
    ・防火に優れた「蔵造り」「塗り屋」「瓦屋根」「牡蠣殻屋根」の奨励。

     (現消防法で言うところの「耐火構造物」ですか)

     
  2.困窮者の救済

    ・入院設備を備えた「小石川療養所」を開設し、困窮者の治療にあたる。

     (国立病院の第一号ですか)


  3.交通の整備

    ・永代橋、両国橋の整備

    ・大八車などによる交通事故への厳罰制度樹立

     (日本の道交法の始まりですか)


  4.目安箱の設置

    ・庶民の要求・不満などの投書を受け取る為に評定所の前に「目安箱」を設けた。


  5.物価の安定
   
    ・日用品や、嗜好品の製造販売者に組合を造らせ、適正利潤と相互監視の仕組みを造り

     物価の安定を図る。

     (う~ん。これはカルテルの奔りか、公取か)


  6.ゴミ収集の組織化

    ・各町でゴミ収集を請負う人に組合を作らせ、独立権を与えゴミ収集を円滑にした

     (分別まではいかなかったか)


  7.賭博の一掃

    ・賭博行為への厳罰方針を打ち出した。

    ・密告の奨励、連帯責任制度の確立

     (いわゆる連座制か)



  8.武蔵野新田の開発

    ・12,600石の大規模開発を成功させる。


  9.娼婦の取り締まり

    ・吉原以外での売春行為の禁止




以上ここに書いただけでもびっくりです。



bugyousho32.jpg








正に自治体の首長「東京都知事」のような役割をしていたんですネ。

すると「東京都知事」「警視総監」「最高裁判所長官」を兼務ですか。

すごいですネ。  スーパーマンです。

そんな活躍もあって、「吉宗」から厚い信頼を得、2000石を加増され3920石となった。





”大岡越前”を有名にしたものに、「大岡政談」がありますが、これはどうも、

政略結婚した夫を殺そうとして未遂に終わった「白子屋お熊事件」以外は「写本」や「講談」で

創られた話のようです。

特に、「お互い実子と主張し、一人の子供を取り合う二人の母親」に対する裁定は

旧約聖書の「ソロモン王の英知」を模写したものではないかと言われている。




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”大岡越前”は後に「寺社奉行」などを歴任し、三河国西大平(現岡崎市)1万石の大名となります。

1751年6月に亡くなった「徳川吉宗」の葬儀を”大岡越前”が担当し、これが最後の「公務」となった。

そして”大岡越前”は「吉宗」の後を追うようにその年の12月に亡き人となった。

「吉宗」と「越前」には、二人にしか判りえない、なにか太い「絆」のようなものがあったのでしょうか。


しかし、江戸時代を通じ「町奉行」から大名になったのは、後にも先にも”大岡越前”だけです。

素晴らしいですネ。

歴史って本当に素晴らしいですね。 歴史を大切にしましょう。

「現代」は過去の歴史の上に立っているんですから。

それに、「歴史感」の違いから国同士が戦争になることもあるんですから。





今日は『アル酎ハイマーはいかい士』としては、珍しくアルコール抜きの

真面目な歴史探訪「ノンアル・歴探」でした。






歴史探訪 | 07:37:31 | トラックバック(0) | コメント(0)
~ GODZILLA ~
東京のど真ん中に『ゴジラ』が居ました。

地下鉄日比谷線の日比谷駅の出たところ”合歓の広場”に鎮座してました。



ゴジラ 002






”合歓の広場”と言うより「日比谷シャンテ」の前の広場の方が通じますかネ。

なかなか精巧にできています。


手足の指は4本だったんですネ。



ゴジラ 009



ゴジラ 006




ゴジラ 007




ゴジラ 008



ゴジラ 010






今にも口から「火」を吹き出しそうです。

さぞかし名のある方の作ですかネ。

これは、1954年に公開された東宝映画『ゴジラ』の40周年を記念し、

「ゴジラ発祥の地」のモニュメントとして造られたそうです。



ゴジラ 001







米CNNサイトでも「世界一インパクトの小さな巨大怪獣像」として紹介されました。・



台座のプレートには、古生物学者の山根恭平博士によって語られた

『ゴジラ』がシリーズ化されること予言したような名セリフ

”このゴジラが最後の一匹だとは思えない”

が、刻まれています。




ゴジラ 004







予告通り途中、中断が2度ほどありましたが、大ヒットシリーズとなりました


【昭和ゴジラシリーズ】    第1作~第15作

【平成ゴジラシリーズ】    第16作~第22作

【ミレミアムシリーズ】    第23作~第28作

現在第28作以降は、終了ではなく中断だそうです。

すごいですネ。





godzilla_poster.jpg




第1作『ゴジラ』ではゴジラが銀座を破壊した際、劇中で「松坂屋」と「和光」を炎上させました。

すると「両者から無断で炎上させた」とクレームがつき、特に「和光」は以後2年間、東宝の一切の

ロケ使用を許可しなかったそうです。

それ以降、実在する建物を破壊する際には所有者の許可を取ることが常識となった。

もっとも、ゴジラに破壊された建物はその後、業績が好調になると言う「ジンクス」が生まれ

「ぜひとも次回作ではウチの建物を破壊してほしい」と言うオファーが幾つか東宝に来たようです。












ゴジラ 019






この『ゴジラ像』のある「日比谷シャンテ前広場」はオープンスペースですが、

「日比谷シャンテ」と言う商業スペースの正式名称は「東宝日比谷ビル」と言います。

したがって、この広場もおそらく「東宝」さんの所有地なんでしょうネ。



ゴジラ 020










それを裏つけるように床面には、有名な俳優さん達の「手形プレート」が埋め込まれていました。



ゴジラ 013




ゴジラ 012






「吉永小百合さん」のもありました。

相変わらず「清楚」ですネ。思わず手を合わせてしまいました。



ゴジラ 015











今日はビルの谷間のオアシス”合歓の広場”の

「世界一小さな巨大怪獣」と「吉永小百合さん」とのふれあいでした。









《追伸》

渡辺 謙 出演のハリウッド版 『ゴジラ』の7月25日(金)劇場公開が決定した。



旅・はいかい | 12:03:29 | トラックバック(0) | コメント(0)
~ 春爛漫 in 千倉町 ~
南房総の先端、”千倉”の「花畑」はもう春です。

「早春の花畑」に来ています。

ここは太平洋の南から流れる「黒潮」のおかげで一年中温暖な気候を有しています。

真冬でも霜が降りないそうです。「常春」です。

先日、関東地区は大雪に見舞われました。

「木更津」や「千葉」方面は都内より雪が積もりましたが

ここ”千倉”には雪は降らなかったそうです。


「花の香り」と「干物の匂い」が似合う、

南房総と言うより『房州』と言う呼び名が似合う町”千倉”です。




南房総 花畑 001



ここ”千倉”は夏には海水浴で有名ですが、実は夏の最盛期は20日ほどしかなく

名前ほど「地域産業」になっていません。

それに比べ春の花畑は1月から3月まで満開で休日ともなると花摘みの家族連れで賑います。

それ以外の時期も季節に合った花が咲き鑑賞用の花の出荷や、

近年は「食用花」の栽培にも力を入れています。




南房総 花畑 014




南房総 花畑 013








ここは、千倉町千田の「花摘み処」です。





南房総 花畑 003




南房総 花畑 025




ストック畑


南房総 花畑 008




南房総 花畑 012




南房総 花畑 020









キンセンカ畑



南房総 花畑 009



南房総 花畑 019



南房総 花畑 036







ポピー畑   

15本300円  ヤスゥー!!


南房総 花畑 005



南房総 花畑 006



南房総 花畑 013









定番の菜の花畑です。

観ているだけで「ウキウキ」します。





南房総 花畑 031




南房総 花畑 033




南房総 花畑 035







食用の菜の花も作っています。

さすがに観賞用と違って「花」はないですネ。




南房総 花畑 030




南房総 花畑 034








「花畑」以外の”千倉”を少し紹介します。





【高家神社(たかべじんじゃ)】




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ともすると通り過ぎてしまうような、こじんまりした小さな神社ですが

日本唯一の料理の祖神を祀る神社です。

一時、衰退・廃絶されたとみられ、所在不明になった「高家神社」ですが、

桜の木の下から「木像」と「2面の鏡」が発見され、

そこに記されていた文言からこの神社が「高家神社」であることが判明した。


「ヒゲタ醤油」さんは、この神社の分霊を守護神にしている。




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普段はひっそりとして、ほとんど人気もありませんが、

10月17日の神嘗祭、11月23日の新嘗祭には

食材に直に手を触れることなく食材を捌く『包丁式』が行われ、

多くの料理人や見物客で賑い、テレビ等でも放映されている。










【白間津の大祭(しらまずのおおまち)】



白間津の大祭




白間津の大祭Ⅱ






千倉町白間津日枝神社のお祭りで、4年に一度行われ

、神社が出来た901年頃からすでに始まったそうです。

この祭りは、全国的にも珍しいもので「とひらい」「えんやぼう」「さらさら踊り」「酒樽萬燈」「オオナ渡し」


等の行事があり大勢の観客が押し寄せます。







以上春爛漫の『房州 千倉町』の紹介でした。




旅・はいかい | 07:25:28 | トラックバック(0) | コメント(0)

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