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~ 虎の門 金刀比羅宮(ことひらぐう) ~
昨年の11月花園神社の酉の市以来、久しぶりの神社参詣です。

東京メトロの銀座線「虎ノ門駅」から徒歩1分の高層ビルが立ち並ぶ、オフィス街の一角に

鎮座してました。 こんぴらさんと呼ばれて江戸庶民にも親しまれてきた

『虎の門 金刀比羅宮』 です。




         s-金刀比羅宮DSC_0775_01












社  号          虎の門 金刀比羅宮

鎮座地           東京都港区虎ノ門一丁目2番地7号

主祭神           大物主神(おおものぬしのかみ)

               崇徳天皇(すとくてんのう)

社格等           旧府社 

創  建          1660年











【由緒・沿革】    


万治三年(1660年)に讃岐国丸亀藩主であった京極高和が、その藩領内である象頭山に

鎮座する、金刀比羅宮(本宮)の御分霊を当時藩邸があった芝・三田の地に勧請し、

延宝七年(1679年)、京極高豊の代に現在の虎ノ門(江戸城の裏鬼門にあたる)に

遷座致しました。

爾来江戸市民の熱烈なる要請に応え、毎月十日に限り邸内を開き、参拝を許可しました。

当時は“金毘羅大権現”と称されていましたが、明治二年(1869年)、神仏分離の神祇官の

沙汰により事比羅神社に、明治二十二年(1889年)には金刀比羅宮に社号を改称し

現在に至ります。

昭和40年(1965年)、虎門琴平会館ビル建設

平成13年(2001年)11月28日、東京都選定歴史的建造物に選定される

平成16年(2004年)11月30日、虎門琴平会館ビルを建て替え、虎ノ門琴平タワーが竣工

ちなみにこの地名となっている虎の門とは、江戸城三十六城門(見附)の1つのことです。  

四谷見附、赤坂見附、半蔵門なども同じでそれぞれに見張り番所が設けられていました。 











【社号標】  




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【一の鳥居】   


桜田通りに面しているので人通りが途絶えることがありません。




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【参道】


都会の神社ですネ。 石畳とコンクリートです。






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【裏鳥居】




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   ≪鳥居変額≫




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【手水舎】




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水を司ると云われている竜の吐水口です。




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【二の鳥居】



銅鳥居です。

文政四年(1821年)に奉納された明神型鳥居で平成十三年(2001年)に港区指定有形文化財

建造物として指定されました。





s-金刀比羅宮DSC_0760_01




この鳥居には左右の柱上部に、見事な四獣の彫刻が施されています。

品川神社の石鳥居には昇り竜と下り竜の彫刻がありましたが、四獣の彫刻と言うのは

非常に珍しい鳥居です。

四獣とは、四方を守護する霊鳥霊獣のことです。東は青龍、西は白虎、南は朱雀(鳥の姿)、

北は玄武(亀に似た姿)という具合に、それぞれの方角を守っています。

狛犬代わりだったのでしょうか。




s-金刀比羅宮DSC_0762_01      s-金刀比羅宮DSC_0761_01





    ≪鳥居扁額≫




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【拝殿】



拝殿・幣殿は戦火で消失したため昭和26年に再建されました。

総檜の権現造り、銅版葺きです。




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【本殿】



昭和58年(1983年)に再建されました。




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【参集殿】




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【神楽殿】



毎月十日には里神楽が奉納されます。




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【境内社】



    ≪喜代住稲荷神社≫




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    ≪結(むすび)神社≫


      江戸時代、良縁を求める多くの女性により厚い信仰を集めていました。

      『新撰東京名所図会』にも当時の華々しい一面が記されております。

      その頃、良縁祈願に訪れた女性たちは、この結神社の前で自らの黒髪を一部切り取り、

      或いは折り紙を持参し、社殿の格子や周りの木々にそれらを結わい付け良縁を願い、

      成就させタそうです。



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以上、コンクリートに囲まれた 『虎の門 金刀比羅宮』 でした。









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神社 | 20:06:28 | トラックバック(0) | コメント(0)
~ 花園神社 酉の市 ~
関東三大酉の市の一つ『新宿総鎮守 花園神社の酉の市』にお邪魔しています。


『花園神社』はまさに名前の通り、大都市新宿のど真ん中に鎮座しています。

「三大酉の市」の中で最も著名な「鷲神社の酉の市」が神社のお隣の”吉原”と言う遊郭の繁栄に

あやかって賑わってきたように、この『花園神社の酉の市』も裏手の”新宿歌舞伎町”

”ゴールデン街”や手前の”新宿2丁目”の繁華街の繁栄にあやかって賑わってきました。
どちらの街も縁起を担ぐ事の多い商売の街たる所以でしょうか。

「鷲神社の酉の市」では毎年70~80万人の人出があるのに対し

『花園神社の酉の市』でもそれに次ぐ60万人ほどの人が集まると言われています。




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「酉の市」は“ヤ日本武尊(マトタケル)”の命日にちなんで11月の酉の日に行われるお祭りです。

場所によっては酉の祭(とりのまち)、大酉祭(おおとりまつり)、お酉様(おとりさま)などとも言われ、

埼玉県などでは、おかめ市(おかめいち)と呼ばれることも多く、それは酉の市の11月開催に対し

一般的には12月に行われます。

「酉の日」は十二支の一つなので、12日おきにめぐってきます。したがってひと月は30日なので

年により2回くる年と、3回くる年があります。

それぞれ「一の酉」「二の酉」「三の酉」と呼ばれています。

ちなみに今年は「二の酉」までです。「三の酉」が来るのはさほど珍しくなくおよそ一年おきに

やってきます。したがって来年は12月2日、14日、26日の「三の酉」まであります。




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『花園神社』の大鳥居を潜るとすぐに参詣の為の行列が拝殿まで続いています。

これでは、申し分けありませんがいつ拝殿にたどりつくのかわかりませんので

参拝には参加せず、わき道から拝殿前まで行かせていただきます。



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拝殿から行列を振り返るとこうなります。

行列は鳥居まで続いていますが、鳥居は遥向こうで見えていません。




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「酉の市」の立つ日には、おかめや招福の縁起物を飾った「縁起熊手」を売る露店が立ち並びます。

また、市を開催する寺社からは小さな竹熊手に稲穂や札をつけた「熊手守り」が授与されます。

この「縁起熊手」は福を「掃き込む、かきこむ」との洒落にことよせ「かっこめ」と呼ばれています。

元々は鷲神社周辺の農民のために縁日の境内で熊手や鍬などの農具を販売していたのが、

次第におかめなどの縁起物がオマケとして農具につけられるようになり、それが今日の装飾熊手の

由来となっています。

昨今は、大きさによっては何十万円もする高価な「縁起熊手」も販売・購買されています。




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「熊手」の値段は、買うと言う人にしか提示されませんが、

この熊手は購入した人に確認すると祝儀は別として10万円だそうです。

幸福が両手で抱えられない程来るのでしょうか。

羨ましいですネ。




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こちらは、それほど高額ではないようですが、それにしても個人で簡単に

手が届く金額ではないようです。




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縁起物のである熊手は、鷲が獲物をわしづかみすることになぞらえ、その爪を模したともいわれ、

福徳をかき集める、鷲づかむという意味が込められています。熊手は熊手商と買った(勝った)、

まけた(負けた)と気っ風の良いやり取りを楽しんで買うものとされ、商談が成立すると威勢よく

「手締め」が打たれます。

商品額をまけさせて、その差し引いた分を店側に「ご祝儀」として渡すことが「粋な買い方」と

言われています。手締めはこの「ご祝儀」を店側が受け取った場合に行われる場合が多いと

されています。

売り場のあちらこちらから「手締め」の声や景気のよさそうな拍子木の音が聞こえてきます。




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こちらの酉の市にお邪魔するのは3度目ですが、今日が今までで一番賑やかで

沢山の「手締め」声や拍子木が聞こえてきますし、又より大きな「熊手」が売れているように

思われます。

これは、景気が良いからでしょうか、それとも景気が良くなるのを強く願うからでしょうか。

両方有りとしても前者の影響が強いのではないでしょうか。

こちらに刺されている名札は売約済みで商品待ちだそうです。




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オプション品や特別サービス品が取り付けられ完成すると

シャンシャンシャン と相成ります。

そして、帰りながら境内のパワースポットから運をかき集めて帰るのがしきたりなので「熊手」は

包装せずに、裸のまま手持ちか、肩に担いで家路につきます。






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『花園神社の酉の市』 の「大きな熊手」の購入者には歌舞伎町などの繁華街の関係者が多い

事から手締めの発声の中に「商売繁盛」の言葉が織り込まれます。

三三七拍子の後に

「ショウバイハンジョウーゥ」「ショウバイハジョウ~ゥ」


横で聞いている無関係な我々でも何となく気持ちが「わくわく」してきます。

少し”運”のお裾分けを頂いた気分です。




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境内には「熊手」を売る露店ばかりではなく、お子さん用にも普通の祭にあるような

テイクアウト用のウォーキングフードも売られて追います。




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大丈夫ですヨ!

ちゃんと大人用のフードも用意されています。




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ちゃんとお休みのできる、大人のフードコートも造られていますヨ。

御安心あれ!   ゆっくりお休みなさい!




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『花園神社の酉の市』 の特徴の一つに、境内に建つ、今は貴重な風景となりつつある

”見世物小屋” があります。

私が子供のころは、どこのお祭りにもありましたが今はほとんど見ることができません。

関東近辺で見世物小屋が建つのは、私の記憶では「川越祭」の

蓮馨寺(れんけいじ)の見世物小屋、靖国神社の御霊祭り、 雑司が谷鬼子母神

秩父(秩父夜祭り)、浦和 調神社ぐらいでしょうか。

昭和生まれの方々にとってはノスタルジーではないでしょうか。




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〖大江戸伝説〗


”「三の酉」の有る年は火事が多い”と言われています。

実際「三の酉」に売り出される「縁起熊手」には”火の用心”のシールが貼られています。

では、その謂れはなんででしょうか。

一説によると、酉の市の盛んな浅草の鷲神社・酉の寺 長國寺では、吉原が近かった為、

酉の市にかこつけて旦那衆が家を空け吉原に遊びに行くことがしばしばあったようでした。

これを防ぐために、家の女房衆が「三の酉は火事が多い」と言いふらし、亭主の外出を留めさせた。

と言われています。 それが令和の現在まで言い継がれてきているですね。

賢いですネ!!吉原から帰ってきたら店も住まいも無くなっていたなんて

”洒落”になんないですよネ。

事の真偽は分かりませんが「酉の市」に関わる今どき流行りの「都市伝説」ならぬ

「大江戸伝説」ではないでしょうか。






以上、年の瀬の足音が耳元まで聞こえてくるような賑わいを呈している

『花園神社二の酉』 でした。




シャシャシャン シャシャシャン シャシャシャンシャン!!

シャシャシャン シャシャシャン シャシャシャンシャン!!

シャシャシャン シャシャシャン シャシャシャンシャン!!


「商売繁盛ー!」「商売繁盛ー!」









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神社 | 16:33:02 | トラックバック(0) | コメント(0)
~ 牛込総鎮守 赤城神社 ~
神楽坂散歩の〆は『牛込総鎮守 赤城神社』 です。

地元の方からは”赤城さん”と呼ばれて古くから親しまれてきました。




赤城神社 004


                                           ≪2015.01 撮影≫











社  号          赤城神社

鎮座地           東京都新宿区赤城元町1-10

主祭神           岩筒雄命(いわつつおのみこと)

               赤城姫命(あかぎひめのみこと)

社格等           旧郷社

創  建          伝・正安2年(1300年)

社殿様式         流造

例  祭          9月19日











【由緒・沿革】 



鎌倉時代の正安2年(1300年)、上野国赤城山の麓から牛込に移住した大胡彦太郎重治により、

牛込早稲田の田島村に創建されたと伝わっている。

寛正元年(1460年)、江戸城を築城した太田道灌により牛込台に移されその後、弘治元年(1555年)

大胡宮内少輔により現在地に移される。

江戸時代には徳川幕府によって江戸大社の一つとされ、牛込の鎮守として信仰を集めた。












【鳥居】




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   ≪鳥居扁額≫




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【手水舎】




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【狛犬】



おかっぱ頭で、スフィンクスのような変わった顔立ちの狛犬です。

”白山狛犬” と言います。




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 ≪白山狛犬≫


 北陸地方や飛騨地方を中心に多い白山神社に見られる狛犬で、越前(福井)で採掘される

笏谷(しゃくだに)石という細工しやすい柔らかい石で作られており、色がやや青白いのが

特徴です。青森、京都、愛知でも同型の狛犬が見られます。これらは北前船以前に全国に

運ばれていたようです。

 ちなみに、白山狛犬(上杉千郷氏、小寺慶昭氏)三国湊狛犬(橋本万平氏)、

越前禿(かむろ)狛犬(鐸木能光氏)、笏谷石狛犬(鐸木能光氏)などと様々な名称で呼ばれて

いるようです。

<特徴>

・かなり小型(もともとは殿内に置くための石造りの小さな狛犬だった。)

・おかっぱのような頭

・後脚の間がくり抜かれていない

・たてがみの毛先は内向きにカールしており、尾は細く背中にくっついている

・牙や眉がはっきりと彫られている

・両肩に小さな翼のような模様があるものもある




赤城神社 009











【拝殿】




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   ≪拝殿扁額≫




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【境内社 蛍雪神社】



平成17年に「北野神社」を「蛍雪神社」として再興しました。




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【境内社 赤城出世稲荷神社】

【境内社 八耳神社】

       八耳様とは、同時に八つのことを聞き分ける”聖徳太子”のことです。

【葵神社】

       三つ葉葵。徳川家康公を祀ってあります。




赤城神社 011











【赤城神社再生プロジェクト】



平成21年から22年にかけて「赤城神社再生プロジェクト」と銘する工事が行われました。

老朽化した赤城神社の「社殿全体」を建て替えるにあたりその費用ねん出の為、

境内の一部に70年の定期借地権を設定し

神社の建て替えと共にデベロッパーが分譲マンションを建築・販売する。

その建物内に、ホール、ギャラリー、社務所などを併設する。

「定借」の期限が来たらマンションを解体し、元の神社の杜に戻すと言うプロジェクトです。

いずれにしても都会だから出来るプロジェクトですネ。

設計監修は、神楽坂に在住し、同神社の氏子でもあり、国立競技場の設計を手掛けて

注目を浴びた建築家の”隈 研吾氏”です。

この建物は2011年度の『グッドデザイン賞』を受賞しています。




         赤城神社 003

                              

                                  ≪2015.01 撮影≫














以上、 都会の神社に生まれ変わった『牛込総鎮守 赤城神社』 でした。









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神社 | 21:42:51 | トラックバック(0) | コメント(0)
~ 筑土八幡神社 ~
神楽坂の路地を出たところ、小高い丘の上に慎ましやかに鎮座していました。

『筑土八幡神社』 です。





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以前、九段にある”将門伝説”にゆかりの深い「筑土神社」を参詣しましたが

鎮座地は離れていますが、こちらの「筑土八幡神社」ともゆかりがありました。

しかし、こちらの慎ましやかな姿とは違い、あちらは近代的なコンクリートで出来たハイカラな

鎮座風景でした。



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                   ≪九段下 筑土神社の扁額≫

                     











社  号          筑土八幡神社

鎮座地          東京都新宿区筑土八幡町2-1

主祭神          応神天皇

              神功皇后

              仲哀天皇

創  建         809年-823年

例  祭         9月15日











〖由緒・沿革〗



当神社は嵯峨天皇の時代(809年 - 823年)に、付近に住んでいた信仰心の厚かった老人の夢に

現われた八幡神のお告げにより祀ったのが起源であるといわれています。

その後、円仁(慈覚大師)が東国へ来た際に祠を立て(850年前後)、伝教大師(最澄)の作と

言われた阿弥陀如来像をそこに安置したという。その後、文明年間(1469年 - 1487年)に

当地を支配していた上杉朝興によって社殿が建てられ、この地の鎮守としました。

元和2年(1616年)にそれまで江戸城田安門付近にあった田安明神が”将門伝説”を持ったまま

筑土八幡神社の隣に移転し、津久戸明神社となりました。その後、1945年に第二次世界大戦による

戦災で全焼し、明神社の方は、同じく”将門伝説”を持ったまま千代田区九段北に移転し

先に説明した 「築土神社」 として現在に至っています。

一方、八幡神社の方は「筑土八幡神社」として現在でも当地に鎮座しています。











〖鳥居〗



享保11年(1726年)建立

当時常陸国下館藩主であった黒田直邦によって奉納されました。

新宿区最古の鳥居

新宿区登録有形文化財




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   ≪扁額≫


扁額の風景も「筑土神社」とは対照的です。




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【手水舎】




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〖狛犬〗




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【社殿】




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【御神木】




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【境内社 宮比神社 】


古くから下宮比町一番地の旗本屋敷にあったものを、明治四十年に現在地に遷座しました。




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以上、古くから神楽坂付近の鎮守として町を守ってきた 『筑土八幡神社』 でした。










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神社 | 22:30:23 | トラックバック(0) | コメント(0)
~ 鳥越神社 ~
2度目の参詣です。

通勤で近くを通るのですが、いつでも来れると思うと中々寄れません。

振り返ると5年ぶりの『鳥越神社』 です。




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社  号          鳥越神社

鎮座地          東京都台東区鳥越2-4-1

主際神          日本武尊 (やまとたけるのみこと)

社格等          郷社

創  建         651(白雉2)

例  祭         6月9日   











【由緒・沿革】



651(白雉2)年5月の創建とされる。

日本武尊は東国平定の際、白鳥村と称していた当地に滞在した。

村民がその御威徳を慕い、福徳円満・恒久平和を念願し白鳥明神として奉斎したのが

はじまりとされる。

永承年間(1046~1053年)源頼義・義家親子に朝廷より奥州鎮定の勅命が下り、軍勢は東国に

向かう道中、武蔵の大川(現隅田川)の河口越えに難儀していた。

そこに一羽の白鳥が飛来し川の浅瀬に下り立ち、対岸に渡れる場所を暗示したといい、

これにより軍勢は無事対岸へ渡った。

義家は白鳥明神の御加護であるとして山頂の本社に参拝し、鳥越大明神の社号を奉ったという。

以後、当社は鳥越神社と称されるようになった。











【社号標】



社号標の文字は第52~54代内閣総理大臣・鳩山一郎氏の揮毫です。




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【大鳥居】


蔵前通りに面して立っていました。




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【裏参道鳥居】




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【手水舎】




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【参道】


綺麗に石畳が敷き詰められています。




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【狛犬】



ちょっと珍しい東大寺南大門型の護国系の狛犬です。




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【拝殿】




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   ≪拝殿扁額≫




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【本殿】




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【舞殿】




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【境内社】



    ≪福寿神社が≫




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    ≪志志岐神社≫




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    ≪祖霊舎≫




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【千貫神輿】



都内最大級の重量(重さ4トン)といわれる神輿で、大祭時に実際に渡御されている。

狭い下町の町内を渡御するので、大きな胴体に比べ太く短い担ぎ棒のために担ぎ手一人の

負担も大きくより重く感じるので、昭和の初めよりその重さから都内で最も重い神輿と言われて

います。

本社神輿の列の先頭には、猿田彦(天狗)や、手古舞連、子供たちの持つ五色の旗が歩き

神輿を先導し、夜8時過ぎの宮入道中では神輿の周りに提灯を付け、高張り提灯に囲まれて

宮入りします。その姿が幻想的で人気を呼んでいます。




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【御朱印】




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神社 | 20:13:55 | トラックバック(0) | コメント(0)
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