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~ 亀岡文珠 ~

『亀岡文珠』に訪れています。

奈良県桜井市の安倍文殊院、京都府宮津市の智恩寺(切戸きりとの文殊)とともに、

日本三文殊の一つに数えられる亀岡文殊。知恵をつかさどる文殊菩薩を祀まつる、

東北地方稀有の名刹には、合格祈願や学徳成就のために県内外から多くの参拝者が

訪れています。

山形県高畠町にある亀岡文殊は、正式には、松高山 大聖寺と言い、

真言宗智山派に属します。





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〖参道・二王門〗




こちらが正式な参道ですが、ここから登る人はほとんどいません。

我々もそうですが、上の駐車場まで車で行きそこから石畳の階段参道を登ります。




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〖狛犬〗   




立派な狛犬です。

これで後ろ脚が宙に浮いていれば「逆さ狛犬」ですが残念ながら後ろ脚はしっかり

地についています。

以前として「逆さ狛犬」は石川県でしか、観たことがありません。





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〖手水舎〗




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駐車場の前にある土産物店





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駐車場に車を置き、大聖寺本坊から少し登ったところにありました。




〖利根水(りこんすい)〗


一口飲んだだけで文殊様の知恵を授かれるそうです。




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〖亀岡文殊鐘楼堂〗


伊達政宗公が鐘を収めたお堂です。




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周囲には「十六羅漢」や芭蕉の句が雪から顔を出していました。




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〖縁結び観音〗





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〖本堂〗


残念ながら雪除けのシートが掛けられています。

やっぱり『亀岡文珠』の参詣は夏が良いのでしょうか。





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以上”文殊の知恵”いただきました『亀岡文珠』でした。

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仏閣 | 20:37:38 | トラックバック(0) | コメント(0)
~ 世界文化遺産 龍安寺 ~
こちらも、修学旅行の定番『龍安寺の石庭』です。


『龍安寺』は臨済宗妙心寺派の禅寺です。


イギリスのエリザベス女王が昭和50年(1975年)に日本を公式訪問した際、石庭の見学を希望。

女王が石庭を絶賛したことが海外のマスコミでも広く報道され、当時の禅ブームの

後押しもあって『龍安寺の石庭』の名はまたたく間に世界に知れ渡り、現在では「ロック・ガーデン」

として世界的に有名な日本庭園とななりました。

平成6年(1994年)世界文化遺産に登録。




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緩やかな石段を登り、正面の庫裡(くり)から石庭のある

方丈へ向かいます。





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宝徳2年(1450年)、平安時代の貴族徳大寺家の山荘を、室町幕府の管領だった細川勝元が

譲り受け、妙心寺の義天を開山に招き創建された。応仁の乱で全焼し、勝元の実子改元が

復興に着手。その後、細川家の菩提寺として、豊臣秀吉や徳川家などから庇護を受けた。

寛改9年(1797年)、方丈などを焼失し、のちに塔頭の西源院から方丈を移築。有名な石庭は、

明応8年(1499年)に方丈が建立された際の造営といわれる。白砂の上に大小15個の石が

配された、およそ75坪の枯山水庭園です。

虎が子供を連れているように見えることから「虎の子渡しの庭」とも云われています。



方丈の縁側には、観光客がずらりと腰を掛けてカメラを構えています。

その後ろに立ち見の客が2列ほどできています。すごい人気ですネ。




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また、石庭は菜種油を混ぜた土で造られた「油土塀」に囲まれ、時の経過による油の変化が

独特な風合いを醸し出しています。




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しかし、石庭の作庭意図には“禅の精神”や “「心」の字の配石”など諸説あり、誰がいつ頃作り

上げたのかは定かではなく、今だ謎のままです。しかし、この謎こそが、この庭の解釈をめぐり

人々を引きつけてやまない理由の一つになっていると云われています。




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茶室蔵六庵前にある徳川光圀の寄進とされる「つくばい」は、中心の「口」の字を

共用し「吾唯知足(ワレタダタルヲシル)」と読み、禅の格言を謎解き風に

図案化されたものといわれています。




上が、右が、下が、左が


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蹲踞(つくばい)のある苔庭です。



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以上、 『世界文化遺産 龍安寺』 でした。

仏閣 | 22:05:21 | トラックバック(0) | コメント(0)
~ 世界文化遺産 金閣寺 ~
修学旅行の定番 『金閣寺』 です。

私自身も訪れるのは修学旅行以来です。

その当時はもちろん「世界文化遺産」ではありませんでしたが。

世界文化遺産に登録されたのは平成6年(1994年)です。




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正式名称は、臨済宗相国寺派の禅寺で鹿苑寺(ろくおんじ) と言います。

鎌倉時代の公卿、西園寺公経の別荘を室町幕府三代将軍の足利義満が譲り受け、

「北山殿」と呼ばれる大規模な邸宅を造営したのが始まりとされる。

邸宅とはいいながら御所に匹敵する大規模なもので、義満は応永元年(1394年)に

征夷大将軍職を子の義持に譲っていたが、ここで政治の実権を握った。

義満の死後、遺言により「北山殿」は舎利殿(金閣)を残して解体され禅寺となった。

禅寺の名前は義満の法名鹿苑院殿から二字をとって鹿苑寺と名付けられた。

この唯一残された舎利殿(お釈迦さんのお骨を祀る建物)こそが、通称「金閣寺」

由来する建物で、鏡湖池のほとりに建つその姿は世界的にも有名になった。




ここが定番の撮影スポットでしょうか。

沢山の観光客がカメラを構えています。半分近くは外国の方でしょうか。




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「鏡湖池」に映る金閣寺ならこちらの方がベストスポットかも

当時考えられていた日本列島の形を模したとされる「鏡湖池」 は池泉回遊式庭園で、

国の特別史跡および特別名勝に指定されています。




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裏から撮ってみました。

正面から見た時は気づきませんでしたが、小さな出部屋があったんですね。

足元を泳ぐ鯉でも見ながら和歌でも詠んだのでしょうか。

いくらなんでも、舎利殿でそんな悠長なことはしないか?


建物の内部は三層に分かれており、第一層は公家風の寝殿造り、第二層は鎌倉時代の

書院造風、第三層は禅宗様仏堂風の造りで、異なる三つの様式を組み合わせた建築は、

当時としても斬新だったそうです。なお、金箔は二層および三層のみに貼られています。




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境内の数寄屋造りの茶席は、そこから眺める夕陽を浴びた金閣が美しいことから

「夕佳亭(せっかてい)」と名づけられています。




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夕日が無くてすいません。




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造営当時、舎利殿の周りにいくつか建物が作られ、舎利殿の北に作られた天鏡閣といわれる

建物とは、双方の二階で橋がかけられ廊下で往来が出来たそうです。今では天鏡閣の建物は

跡形も無く、そのあたりには「龍門の滝」とよばれる滝があり、龍門の滝を鯉がのぼり切ると

龍になるという中国の故事「登龍門」にちなんで名づけられました。




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金閣は創建後、幾度も修理を行ってきましたが、昭和25年の放火により全焼。

この事件は三島由紀夫の小説『金閣寺』や水上勉の『金閣炎上』の題材となりました。

現在の舎利殿は事件から5年後の昭和30年に復元されたものです。











以上、修学旅行以来の 『世界文化遺産 金閣寺』 でした。

仏閣 | 21:09:20 | トラックバック(0) | コメント(0)
~ 牛に引かれて・・・・・ ~
日程の都合で、は同行できませんでしたが、

江戸時代から「一生に一度は行きたい善光寺参り」と言われた『善光寺』に来ています。

年間600万人が訪れると言われる善光寺。

参道も参詣者で一杯です。




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【仁王門】


参道を通り石段を上がると、仁王門が迎えます。

仁王門は、宝暦2年(1752)に建立されましたが、弘化4年(1847)の善光寺大地震で

焼けてしまいました。その後、元治元年(1864)年に再建されるも、明治24年(1891)の火災で

また焼失。現在のものは大正7年(1918)に再建されたものです。

高さは13.6メートル、間口13メートル、奥行き7メートルのけやき造りとなっています。




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迫力ある仁王像が参拝者を迎え入れます。

善光寺の仁王像は通常とは逆で、左側に阿形を置いています。

「阿形」は左手に金剛杵を持ち右肩を上げています。右側の「吽形」は左手を振り上げて

右手をまっすぐのばしています。

仁王像は、高村光雲と米原雲海の合作による彫刻です。











【六地蔵・濡れ仏】



仲見世通りを過ぎて駒返り橋を渡り、山門に向かう途中の右側に六地蔵があります。

また、六地蔵と並んで濡れ仏があります。

六地蔵は宝暦9年(1759)に造立しましたが、昭和17年の大戦で金属回収ため没収され、

現在のものは昭和29年に再興されたものです。

六地蔵の左隣には濡れ仏と呼ばれる大仏(延命地蔵)があります。

濡れ仏は享保7年(1922)に造立されたもので、像高は2.68メートルあります。

銅像坐像で、右手に錫杖(しゃくじょう)を持ち、左手に宝珠(ほうじゅ)を持っています。




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【山門(三門)】          国重要文化財


六地蔵と濡れ仏を過ぎて、石段を上がったところに山門があります。

桁行き約20.4メートル、梁行き約8メートル、高さ約18メートルの入母屋造りの大楼門です。

5年の歳月を経て、寛延3年(1750)に建立されました。

山門の内部(門の2階部分)には、四天王に囲まれた木像文殊菩薩坐像、四国八十八ヶ所の

札所本尊を模刻した百体仏が祀られています。




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また、正面には有名な「善光寺」の額が掲げられています。

これは、通称「鳩字の額」とも呼ばれており、良く見ると鳩が五羽隠されています。




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【手水舎】 




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【本堂】          国 宝



本堂は、間口23.89メートル、高さ25.82メートル、奥行き53.67メートルの規模をもつ

江戸時代中期仏教建築を代表する大伽藍です。

建築面積では、国宝建造物の中では、東大寺大仏殿、三十三間堂に次いで3番目の

大きさを誇っています。

通常のお寺に比べ、間口に対して極端に奥行きが長くなっているのが善光寺の

本堂の特徴です。

通常のお寺は左右に長いのですが、長野の善光寺は前後に長く造られています。

本堂は度重なる火災に遭っていますが、現在の本堂は元禄13年(1700)の火災の後に

徳川幕府が松代藩に命じて造られたものです。

7年の歳月を経て、宝永4年(1707)に完成しています。

設計は、幕府お抱えの名匠である、甲良豊前宗賀(こうらぶぜんそうが)が行っています。




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大勢の参詣者の焚く線香の煙で獅子も煙たそうに横を向いています。




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こちらの獅子は狛犬替わりでしょうか。




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こちらは、「身代わり地蔵」でしょうか。

皆さんに顔を撫でられて、摩耗しています。

却って、痛々しいです。




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本堂伽藍の両サイドにある「梵鐘」です。

どのような時に使われるのでしょうか。

気になりますネ。




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本堂に、三か所ある入り口の一つです。

確かに縦に長い構造です。




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【経蔵(輪廻塔)】          国重要文化財



経蔵は宝暦5年(1755)に造り始め、同9年(1757)に完成した歴史ある建物であり、

宝形造りで正面、奥行きともに15.4メートルの正方形の建物です。

内部は石敷きで、中央に八角の輪蔵があります。

輪蔵は、水平に柱が角のように出ていて、押すと心棒をめぐって独楽(こま)のように

くるくる回転するようになっています。

輪蔵の中には、鉄眼黄檗版一切経(6771巻)が収められています。




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経文を読まなくても輪蔵を回すだけで、お経を読んだことになり、功徳をもたらしてくれると

言われています。

経蔵の中には、輪蔵のほかにも伝教大師や慈覚大師像、中国で輪蔵を発明した傳大士像、

釈迦三尊像、如意輪観音などが安置されています。




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【水子地蔵】


後ろの棚には子供のおもちゃなどが置かれています。

子を思うピュアな親の心がしのべます。




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【むじな地蔵】



宿坊の立ち並ぶ参道にこんな地蔵がありました。

下総に住む(現在の五霞町)むじなが、現世を反省し、善光寺にお参りして

灯籠を寄進して、後世の安楽をお願いしようとしたが、結局出来なかった。

それを見かねた宿坊(白蓮坊)の主人が、むじなに変わり灯籠を寄付したと言う

伝説を地蔵にして祀ったそうです。

実際「経蔵」の横に、現在も「むじな灯籠」は存在しています。

五霞町のむじなの話と言うので気になりました。




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以上、沢山の参詣者が行きかう『信州 善光寺』 でした。

仏閣 | 22:53:06 | トラックバック(0) | コメント(0)
~ 国宝 瑞龍寺 ~
『瑞龍寺』は、富山県高岡市にある曹洞宗の仏教寺院。

山号は高岡山、本尊は釈迦如来です。

仏殿、法堂、山門の3棟が国宝に指定されている。これは富山県下において

最初で現在においても唯一の国宝です。

加賀藩二代藩主 前田利長の菩提寺として、利長公が開き築いた高岡の町に

三代藩主 前田利常によって慶長14年(1614年)に建立された。

最終的に伽藍整備が完成したのは、利長の五十回忌にあたる寛文3年(1663年)頃

です。なんと50年もの歳月を要したことになる。(1646年からの20年と言う説もある)











【総 門】       重要文化財




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    ≪総門扁額≫  




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正保年間竣工。

正面幅三間の藥医門形式











【山 門】       国 宝



残念ながら、現在外壁改修中で山門全体に足場がかけられていて

工事用シートに覆われています。

『瑞龍寺』 一番の景色なんですが!!

シートが取れるとこんな感じです。

尚、本当にシートが外せるのは今年のお盆頃だそうです。




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正保2年(1645年)竣工、万治年間に場所を移して建てかえられた。

延享3年(1746年)の火災で焼失後、長らく仮の門が建てられていた。

現存する門は文政元年(1818年)に上棟、同3年(1820年)に竣工したものである。

高さは約18mで寺院内で最も高い。

二重門(2階建てで、上層と下層の境にも軒の出をつくるもの)で、屋根は入母屋造、

杮(こけら)葺き。

二重門では下層の屋根を上層よりも大きくつくることが多いが、この門では上層と下層の

屋根の出があまり変わらない。これは積雪時に上層屋根から落下した雪が下層屋根に

当たるのを防ぐためといわれる。

下層に金剛力士(仁王)像、上層内部には宝冠釈迦如来と十六羅漢像を安置する。

金剛力士像はシートに覆われていないので撮影することが出来ました。




DSC_瑞3665_01       DSC_瑞3664











【仏 殿】       国 宝




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   ≪仏殿扁額≫




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万治2年(1659年)の竣工。

入母屋造、一重裳階(もこし)付きの総欅造りで、屋根は当初杮(こけら)葺きであったが、

現状は総重量約47トンの鉛瓦葺きとする。鉛製の瓦を用いる理由は、俗説では非常時に

鉄砲の弾にするためともいうが、実際は冬季の積雪対策のためだという。内部を土間床とし、

天井の構造材を見せて装飾としている点、組物(柱上にあり、軒や天井を支える構造材)を

密に配する点などは禅宗様建築の特色であり、柱、扉、窓などの細部様式も

典型的な禅宗様になる。

本尊の釈迦如来と、普賢菩薩、文殊菩薩の釈迦三尊像のほか、

達磨座像、跋駄羅尊者像を安置する。






    ≪本 尊≫




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    ≪組 物≫


梁や屋根を支える構造材が機能の美として複雑に、スケルトンされている。

勿論、釘等のつなぎ固定材は一切使われていない。




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【法 堂】       国 宝




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    ≪法堂扁額≫




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明暦元年(1655年)の建立。

総桧造りの入母屋造、銅板葺き。内部を土間床とする仏殿に対し、法堂は畳敷きで、

横2列、縦3列の6部屋を配する方丈形式の間取りで建坪186坪である。

手前の3部屋の前面には広縁(板間)があり、その前面は左右に細長い土間廊下とする。

こうした平面形式は曹洞宗建築の特色を示す。

二代藩主前田利長の位牌を建物中央奥に安置する。

かつて同寺にあった七間浄頭(東司)に祭られていた烏瑟沙摩明王立像を安置する。





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仏壇の中心に置かれた二代藩主 前田利長の位牌は、七尺(≒210cm)あり

個人の位牌としては日本一大きいとされている。

前田家としては、徳川家康に準え仏としてではなく”神”として祀りたかったようですが

徳川家が、二代目以降の将軍を神として祀られてないのに配慮して神として祀ることを控えた。

その思いを仏壇に込めたのか手前の柱、梁が 鳥居 を模したように造られている。











【僧堂(禅堂)】       重要文化財




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延享3年(1746年)に焼失したが直後に再建された。











【大庫裏】       重要文化財




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現在の厨房にあたる。

結露を防ぐために、天井に漆喰が塗られ、曲線になっている。











【回 廊】       重要文化財





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大伽藍を囲む周囲約300mの回廊で、北回廊、南東回廊]、南西回廊からなっている。

回廊の左右は白壁となっており、規則正しく並んだ柱と格子枠の障子戸が特徴となっている。












【八丁道(はっちょうみち)】




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『瑞龍寺』から真っ直ぐ東方向に、長さ八丁(870m)の「八丁道」と呼ばれる参道があり、

東端の前田利長墓所と瑞龍寺とを結んでいる。




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途中には、前田利長の坐像も置かれている。




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【前田利長墓所】




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墓所は、小さな森に囲まれていました。

そして、墓所の前には鳥居 が建てられていました。




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鳥居を潜り、堀にかこまれた墓所の前まで入れます。

ここから先は、立ち入り禁止。

しかし、大名の墓としては日本一と言われる、高さ11,9mの石塔がそびえてました。




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石塔下部の戸室石で造られた基壇は、約250㎡の三層基壇となっており

側面には狩野探幽下絵とされる130枚もの蓮華図文様が彫刻されています。


墓所の周りの堀は睡蓮が涼しさと共に季節を彩っていました。









以上、加賀120万石の財力をふんだんに使った見事な『国宝 瑞龍寺』 でした。

仏閣 | 05:55:37 | トラックバック(0) | コメント(0)
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