■プロフィール

アル酎ハイマーはいかい士

Author:アル酎ハイマーはいかい士
FC2ブログへようこそ!

■最新記事
■最新コメント
■最新トラックバック
■月別アーカイブ
■カテゴリ
■カウンター

■検索フォーム

■RSSリンクの表示
■リンク
■ブロとも申請フォーム
■QRコード

QR

~ 水澤観音 ~
水沢まで来て”水沢うどん”だけ食べて帰るのは失礼に値しますよネ。

で、関東一のパワースポットと言われる『水澤観音』へ参詣です。




         DSC_5857.jpg











寺名         水澤寺

所在地       群馬県渋川市伊香保水沢214

山号         五徳山

宗派         天台宗

本尊         十一面千手観音

創建         (伝)推古天皇の朝

開基         (伝)恵灌

別称         水澤観音

札所         坂東三十三観音霊場第16番











〖謂れ〗



千三百有余年の昔、推古天皇の勅願によって開かれたと言われています。

本尊は十一面千手観音。高光中将の妻、伊香保姫の御持仏だったとされ、安産や子育て

など特に女性にとって絶大なご利益があると言われています。











〖鐘楼堂〗




100円で鐘をつくことが出来ます。

しかし、何の意味もなくむやみに鐘が鳴り響くと言うのもどうでしょうか。

除夜の鐘なら大賛成ですが。




         DSC_5859.jpg











〖六角二重塔(輪蔵)〗    県指定重要文化財



天明7年(1787年)創建

回転する6体のお地蔵様が祀られています。

左に3回、廻すことでご利益があるそうです。

『水澤観音』 で一番のパワースポットだそうです。




DSC_5860.jpg











〖仁王門〗




参道から登ってくると仁王門があります。

仁王尊と雷神・風神が祀られています。




0ff182ce-c71b-48f9-857e-5f6c6abda515.jpg









「本堂」前の境内からは、屋根が見下ろせます。




         DSC_5863.jpg












〖本堂〗



天明7年(1787年) 創建

本尊十一面千手観世音菩薩が安置されています。

十一面千手観世音菩薩は融通観世音として知られ、

様々な願いを叶えてくれるそうです。

なお、本尊十一面千手観世音菩薩は秘蔵なので非公開だそうです。




DSC_5862.jpg





         DSC_5864.jpg





DSC_5865.jpg











〖一隅(いちぐう)を照らす〗



以前比叡山の近くに住んでいた折、

比叡山に行くたびに、目にしていた言葉です。

懐かしいですネ。


これは、天台宗の開祖であり、比叡山を開いた”最澄(さいちょう)” の言葉

『一隅を照らす則ち(すなわち)国宝なり』の言葉の一説です。

「それぞれの立場で一生懸命努力する人はみんな、何者にも代えがたい大事な国の宝だ」

と言う意味だそうです。




DSC_5866.jpg




余談ですが、端の法人名はありがたさを9割減させますネ。

この言葉をコマーシャルに使われたら”最澄”も草葉の陰で泣いていますよネ。きっと!











〖手水場〗




冷たい湧水が「手水鉢」に引かれていました。




DSC_5870.jpg








湧水は、横の池にもこんこんと注がれていました。




          DSC_水澤観音5868
         








池の主でしょうか。


DSC_5869.jpg












以上、 パワースポットイオンたっぷりの 『水澤観音』 でした。

スポンサーサイト
仏閣 | 20:17:20 | トラックバック(0) | コメント(0)
~ 豊川稲荷東京別院 ~
都会のど真ん中、赤坂見附にある『豊川稲荷東京別院』に来ています。

ここは、狐を祀った神社ではありません。

正式名を『宗教法人 豊川閣妙厳寺(とよかわかくみょうごんじ)』と言い曹洞宗の寺院です。

早い話が、一般的に言う稲荷神社ではなく「お寺」です。

ここに祀られているのは、一般の稲荷神社のように「狐」ではなく

「豊川吨枳尼眞天(とよかわだきにしんてん)」と言う

仏法守護の善神様です。

この「豊川吨枳尼眞天」が白い狐に跨っていることから、

「豊川稲荷」と呼ばれ全国の庶民にも親しまれる様になった。




         DSC_1146.jpg









所在地        東京都港区元赤坂1丁目4番7号

宗派          曹洞宗

本尊          豊川吨枳尼眞天

創建          文政2年(1828年)

開基          大岡忠相

正式名        妙厳寺 豊川稲荷東京別院







〖由来〗




大岡忠相が越前守になった時三河時代から信仰していた豊川稲荷から

”吨枳尼眞天”を勧請し自邸に屋敷稲荷を祀ったのが始まりとされている。

文政11年、信徒の要望により、妙厳寺が大岡邸の敷地の一部を借り受け

豊川稲荷の江戸参詣所を建立したのが、東京別院の建立とされる。

そして、それまでの大岡邸の屋敷稲荷は「奥の院」とされた。




大岡越前守は、江戸南町奉行としての活躍や、旗本から大名へ取り立てられた

その時代の出世頭です。それにあやかり立身出世や盗難避け、失し物・失踪人探しなどの

効験で評判となり、江戸庶民の信仰を集めた。












〖子宝観音〗



歴史を物語るような重厚な「山門」をくぐると直ぐ右手に有りました。

その名の通り、子宝を願う者や子孫の繁栄を願う人達のお参りが多くみられます。




         DSC_1148.jpg











〖手水舎〗



吐水口の竜が立派に猛々しく登っています。




DSC_1150.jpg




         DSC_1152.jpg











〖狛狐〗



さすがに「狛犬」ではありませんでした。

「阿」も「吽」も無いようです。




         DSC_1153.jpg










「狛犬」にちなんで、子供を連れたり毬を持ったりしている狐もありました。




         DSC_1156.jpg




         DSC_1157.jpg












〖本殿〗




DSC_1154.jpg






 ≪扁額≫




DSC_1155.jpg













〖奥の院〗



大岡邸にあった「屋敷稲荷」です。

願いが叶ったお礼やそれぞれの願いを込めたのぼりが参道の両側にぎっしり

奉納されています。




DSC_1158.jpg





         DSC_1167.jpg




         

  ≪扁額≫




DSC_1159.jpg












〖三神殿〗



中央の「宇賀神王(うがしんのう)」は繁栄を司る神様。

商売繁盛を願う人々に信仰されています。

参道の両脇で整列している「狐」は圧巻です。




DSC_1162.jpg











〖融通稲荷〗



財宝を生む「尊天」さまです。

真心を込めて信心すると、金銀財宝の融通が叶えられると言い伝えられているそうです。




DSC_1165.jpg












〖身代わり地蔵〗



本来なら人々が受けなくてはならない業の苦しみを代わって受けてくれるそうです。


代わってもらいたい事、沢山有りすぎますよネ。




         DSC_1163.jpg












〖大岡廊〗



大岡越前忠相公が祀られています。

「豊川稲荷」を深く信仰していたご褒美でしょうか。




         DSC_1170.jpg







こちらには、大岡越前守が進言して、徳川吉宗が設置したと言われている

”目安箱”が置かれていました。

『豊川稲荷』の洒落でしょうか。




DSC_1171.jpg











〖霊狐塚〗



沢山の亡くなった狐が供養されています。

塚も御影石でしっかり造られていました。





DSC_1164.jpg














いやーぁ!!  



それにしても、沢山の狐がいましたネ。 ビックリです。



以上、 赤坂のど真ん中に鎮座する 『豊川稲荷東京別院』 でした。

仏閣 | 20:56:31 | トラックバック(0) | コメント(1)
~ 妻沼聖天山 その2 ~
参道最後の門「仁王門」をくぐると「石舞台」を挟んで

正面に『拝殿』が”凛”として佇みます。



〖拝殿正面〗


まさに”静寂”と言う言葉が似合う空間です。

透き通るような空気にこれから起こることへの

期待が膨らみます。






DSC_2340.jpg




「扁額」




DSC_2343.jpg









「拝観料」を支払い、左横の入り口から奥の庭へと入る






〖国宝 歓喜院 聖天堂(本殿)〗



いきなり「静寂」から「絢爛」へ

観る者の目と呼吸が一瞬止まります。

参道いや熊谷の駅から見てきた景色がガラリと変わります。

世界が変わります。

吸っている空気の濃さすら変わったように思える。





日本三大聖天の一つです。

左から『奥殿』『中殿(相の間)』『拝殿』となっています。

この3棟を一体とし繋げる、日光東照宮などに見られる”権現造”の建物です。




DSC_2348.jpg





享保20年(1735年)から宝暦10年(1760年)まで二十数年かけて再建されました。

ただし、『奥殿』『中殿』まで完成したときに、当地に大洪水が発生し、11年間の中断を

余儀なくされました。

その後工事は再開され、1760年残った『拝殿』の完成にいたりました。




2003年から2010年にかけて修復工事が実施され、

当初の彩色が見事に甦りました。

この修復工事に携わったのが、最近テレビの対談番組等によく出演している

英国人のデビット・アトキンソンさんが社長を務める「小西美術工藝社」さんです。

現在「日光東照宮」の修復工事にも携わっています。








〖奥殿・中殿〗


入母屋造、桁行3間、梁間3間、正面向拝付

瓦棒銅板葺き




DSC_2349.jpg





余計な説明なんか不要ですよネ。

内外ともに、豪華絢爛な彩色、彫刻、漆塗、煌びやか金具で装飾が施されています。

大羽目板には七福神や動物、唐破風の下には中国の故事にちなんだ彫刻が

ふんだんに、これでもかと刻まれています。




沢山の彫刻の中で代表的な彫刻を紹介します。



《三聖吸酸》


南側上部の唐破風の下に彫られています。

孔子、釈迦、老子が酢をなめて、その酸っぱさを共感していると言う

中国の故事に由来した彫刻です。




DSC_2395.jpg










≪三福神の囲碁遊び≫


『聖天院』を代表する彫刻の一つです。

布袋、恵比寿、大黒天が囲碁を打って遊んでいます。




         DSC_2361.jpg









≪双六遊び≫


女性が「盤すごろく」をして遊んでいるところです。




         DSC_2374.jpg









≪桃を運ぶ女≫


三千年に一度だけ実ると言われる桃を運んでいるところです。




79052096.jpg









≪雪ころがし遊び≫





DSC_2357.jpg









≪獅子舞≫




DSC_2358.jpg









≪闘鶏≫




DSC_2397.jpg










≪相撲≫




DSC_2356.jpg










≪鳥遊び≫




         DSC_2368.jpg











≪かくれんぼ≫




DSC_2396.jpg












≪感動彫刻編≫




〖BItuKURI CASE 1 〗 


「梅枝柱」




         DSC_2387縦



すごいですネ。 柱に梅の小枝がありますが、小枝を柱に張り付けたのではありません。

小枝の部分を残して周りを彫り込み、そこを本物の竹で編んだように

少し厚みを持たせた「網代」に仕上げてあります。ビックリですよね。

かなりの手間暇がかかっています。




         

〖BItuKURI CASE 2 〗



次の写真は何の写真でしょうか。

 ヒント  :なぜこんなところが?




DSC_2392.jpg






”塗り残し”です。 

”塗り忘れ”ではありませんヨ。  「ニクイ」ですネ。

完璧に完成してしまうと後は朽ちていくだけになるので

わさと仕上げを残し未完成のままにして、いつまでも朽ちないようにと願う

当時の職人さん達の粋なゲン担ぎでしょうか。

修復工事をした”小西さん”も同じ思いで、同じところを塗り残したようです。








〖BItuKURI CASE 3 〗



「風神」「雷神」



「風神・雷神」と言えば神社仏閣の花形スターですが

ここでは、北面の目立たない「蛙又」の中に小さく彫られていました。


でもしっかり表情を持って彫られていました。




syodenzan26.jpg




syodenzan27.jpg








〖BItuKURI CASE 4 〗 




『聖天堂』を代表する作品の一つです。 

「鷲と猿の彫刻」




DSC_2389.jpg




この作品は、鷲が猿をいじめているところではないんです。

溺れそうな猿を鷲が助けているところなんです。




なんだか少し前のニュースでありましたよね。

線路に横たわる子ザルを大人の猿がゆすったり、池に投げ込んだりして

助けているのか、いじめているのか解からない報道が

でもこの絵は間違いなく、鷲が猿を助けています。




又、この彫刻は”左甚五郎”の作と言われています。

う~ん。どーでしょう。

『聖天堂』が出来たのが、”日光東照宮”が出来て丁度100年後ですから

”日光東照宮”の彫刻を手掛けた”左甚五郎”が

100年後ここの彫刻を手掛けることが出来たのでしょうか? 

ちょっと年代的に無理のような気がします。

おそらく、全国に存在した○○の左甚五郎だったんではないでしょうか。



いや、それよりもあまりにも作品の出来が良すぎるので

これは、きっと”左甚五郎”の作に違いない、の方でしょうか。










〖BItuKURI CASE 5 〗 



「一対の鳳凰」



『奥殿』の北面と南面に「鳳凰」が彫られています。

それぞれ作者が違うそうです。

専門家が観ると作風も違って見えるそうですが、我々には判りません。


しかしそれぞれの「鳳凰」をよーく、よーくみると違うところがあります。

またまた「阿」と「吽」になっているんです。

すごいですねー。ビックリですねー。

彫られた方の思い入れの深さを感じますね。

彫られた方の心臓の鼓動が聞こえるようです。

誰もそこまで見ないだろう、なんて微塵にも考えていないんですネ。

素晴らしいですね。

もう観ているだけで、心臓「バックバク」ですネ。




DSC_2388.jpg


                    南面 「阿形の鳳凰」





DSC_2399.jpg


                     北面 「吽形の鳳凰」













〖拝殿〗


入母屋造  桁行五間 梁間3間

瓦棒銅板葺き



「拝殿」の側面です。




DSC_2347.jpg



『中殿』が完成下後11年の中断を経て『拝殿』の再建が再開しました。

明らかに、作風が変わりました。

『奥殿・中殿』の”豪華絢爛”から”質素剛健”へ

洪水、飢饉が建設費に大きく影響していることが想像できます。

しかし「ベンガラ」と「透明漆」を丁寧に何度も何度も塗って、仕上げてあります。

「材料費」は減らしたが「手間」は減らさない職人の思いが伝わってきます。




「日光東照宮」は徳川幕府の威光で、徳川幕府の費用で造りましたが、

『聖天院』は違います。

『奥殿』も『中殿』もそして『拝殿』も全て庶民の”浄財”で建てられました。

ここがすごいところです。

お上の威光ではなく庶民の思いで造られています。

当時の住民の方々には敬服します。









≪琴棋書画)きんきしょが)≫


『拝殿』の正面に飾られている『聖天院』を代表する彫刻の一つです。

中国古来の文人における必須の教養を意味していると言われています。

左から「絵」「囲碁」「琴」「書」の四芸です。




DSC_2400.jpg










梁飾りの花の中に埋もれた「猿」「寅」




DSC_2408.jpg




DSC_2409.jpg








”登竜門”の語源となった

「鯉」⇒「鯱」⇒「飛龍」⇒「竜」が彫られています。




DSC_2406.jpg




DSC_2404.jpg




DSC_2402.jpg











≪その他の彫刻≫





         DSC_2362.jpg




         DSC_2371.jpg




DSC_2372.jpg




DSC_2378.jpg








まだまだ沢山ありますが、全てを紹介できません。

又、一度の参詣で全てを見れた訳ではありません。

新しい発見・感動をしに、また訪れたいと思います。







埼玉県はこの宝をもっと世間に、アッピールすべきです。

何ですかキャッチフレーズの「埼玉の日光」って。

「日光」は日光。「妻沼」は「妻沼」です。

”云われ”も”造り方”も”思い”も全然違いますよ。

「妻沼」の先祖の方達の血と汗と智で造り上げた地元の宝です。


日光の真似をした訳ではありません。 もっと先祖の心を大切にしましょう。







こんな ”感動” を紹介してくれた RYU さんに感謝です。


有り難うございました。

仏閣 | 05:39:35 | トラックバック(0) | コメント(0)
~ 妻沼聖天山(めぬましょうでんざん) その1 ~
ビックリしました。

知人から教えてもらい、初めて知りました。

埼玉にも国宝建造物があったんですね。


   国宝 妻沼聖天山歓喜院(かんぎいん) へ行ってきました。




その衝撃の報告です。



場所は埼玉県熊谷市妻沼




         DSC_2415.jpg








熊谷は”暑さ”だけではなかった。




参道を入ると直ぐ目の前に飛び込んできました。



〖貴惣門〗(重要文化財)


屋根が2層になっていて、下の2つが切り妻破風状になってます。

このような様式は、日本には3棟しか現存しません。

規模ではダントツの日本一と言えます。

右側に毘沙門天、左側に特国天の像が収納されておりますが、

今日は、特国天は修複中のようです。

ビニールシートが張られています。




DSC_2321.jpg




下の2つの小屋根の形が手招きする手の形に似ていることから

”招き屋根” とも呼ばれています。




DSC_2412.jpg






又、ここの長押や欄間に掘られた彫刻がすごい。

色付けがされてないから、『本殿』の彫刻ほど煌びやかではないが

木の塊をくり抜いた「透かし彫り」

彫りたいものの周りを掘って、浮かし出す「浮かし掘り」

がこれでもかと飾られている。

「ノミと彫刻刀だけで人を感動させる」という

職人の意地のようなものが感じられます。




DSC_2413.jpg




DSC_2414.jpg




この『貴惣門』を見ているだけで、感動満腹です。





『貴惣門』をくぐると、いかにも涼やかな参道が続きます。




DSC_2324.jpg









2番目の門 〖四脚門(中門)〗です。

聖天山の建造物の中で、最も最古のものです。




DSC_2326.jpg










〖狛犬 1 〗


「仁王門」前の狛犬です。

「狛犬」も「阿」も「吽」も仏教からきたものなので、

神社だけでなく寺院にもあります。




         DSC_2328.jpg


                        「阿」





         DSC_2329.jpg


                         「吽」










〖御水屋〗     




DSC_2330.jpg









〖仁王門〗




DSC_2333.jpg







「扁額」




         DSC_2332.jpg
  







「仁王(金剛力士)像」


仁王門に納められている「仁王像」です。

犯罪防止等のポスターによく使われました。

どこかで一度は見たことがあるのではないでしょうか。



「仁王像」をよく見てください。

「狛犬」と同様「阿」と「吽」の形を作っています。

「阿」「吽」の呼吸でしょうか。




         DSC_2335.jpg

                        「阿」




         DSC_2336.jpg

                        「吽」   









〖鰐口〗(県指定文化財)  


「仁王門」に吊り下げられている「鰐口」です。

室町時代、1339年に奉献されたものです。

歴史を感じさせますネ。

音も全然濁っていません。




         DSC_2337.jpg








その「鰐口」を”布縄”を振って打ち鳴らし、一礼して「仁王門」をくぐります。

いよいよ国宝との御対面です。

がその前に。








〖狛犬 2 〗


『拝殿』の前におりました。




        DSC_2341.jpg




        DSC_2342.jpg









〖狛犬 3 〗


「目貫通り」を外れた、横参道にもおりました。

都合3対目の「狛犬」です。

それぞれ造られた時代も作者も異なるので、

色々な顔・表現があって面白いです。




         DSC_2344.jpg




         DSC_2345.jpg


         







さて、いよいよ国宝ですが、ブログが長くなりそうなので、すいませんが、


一旦ここで ”演たけの中締め” をさせてもらいます。


実は、ここまででも充分満足しているんですが。

感動はまだまだ続きます。




続きは~ 妻沼聖天 その2 ~ をご覧ください。



仏閣 | 17:08:30 | トラックバック(0) | コメント(0)

FC2Ad