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アル酎ハイマーはいかい士

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~ おたぬきさんと御衣黄と ~
不要・不急な外出粛清に基づき、遠出ができないので、またまた近場でお茶を濁します。

職場の近くの桜です。

ですが、大好きな”おたぬきさん”の境内にある大好きな桜”御衣黄”です。

”おたぬきさん”はご存じ日本女子最高の出世頭「桂昌院がこよなく信仰した「福寿稲荷」

の愛称です。 他を抜いて出世をさせてくれる神様だから”おたぬきさん”と言われました。

京都の貧しい八百屋の娘が、たまたま徳川3代将軍家光のお供で京都に来ていた「春日野局」と

出会い、大奥で下働きをするようになり、たまたま大奥に来た「家光」の目に留まり

側室の一人となり、やがて5代将軍となる「綱吉」を産み将軍の生母として世間から敬われた。

大奥2千人のお女中さんみんながあこがれて、ご利益にあやかろうと通った「福寿稲荷」です。

その”おたぬきさん”の象徴の石像を覆い包むように気品にあふれた『御衣黄』が咲いています。



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ここは「柳森神社」の境内です。

狭い境内の中に7つの神社、祠が同居しています。

”おたぬきさん”はその一つですが、人気度は、地主の柳森神社をもしのぐ勢いです。

出世物語りでは、男子の「木下藤吉郎」に少し引けをとっていますが

決して世の中の人が桂昌院の出世物語を忘れたわけではありません。

桂昌院は若いころの名を「お玉」と言います。

若い女性が、桂昌院のように、位の高い男性や裕福な男性と結ばれることを

桂昌院の出世に例えて”玉の越”と言われ、今でも言い継がれています。




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『御衣黄』は別名”黄桜” 。

名前のように薄緑の透き通るような花を咲かせます。

この花に魅せられて、自社の会社名やその商品名にまでしてしまった

京都伏見の有名な酒蔵さんもいます。




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「御衣黄」の花は散る頃には花の中央が朱色に変色してきます。

朱を帯びてくるともうじき散りますよと言う合図です。




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以上、大好きな『おたぬきさん』と大好きな『御衣黄』 の春爛漫でした。




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旅・はいかい | 14:12:06 | トラックバック(0) | コメント(0)
~ 蕨市民公園 ~
「新型コロナウイルス拡散防止対策」で、外出や集会などの自粛が叫ばれている状況なので

当然例年のような「花見」などできるはずもないので、今年は近所の公園の「桜」を見て

おとなしくしておこうと思い、こちらを覗きに来てみました。

日本で一番面積が狭く、人口密度が一番高いと言われている埼玉県蕨市の『蕨市民公園』です。

自宅からは、散歩がてらゆっくり歩いて10分程でこれます。




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子供たちも沢山いますネ、やはり学校へ行けないストレス、運動ができないストレスが

たまっているようです。ここぞとばかりに大声を出して、元気には走りまわっています。




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広場の南端に小さな流水池がありますが、ここも子供達の恰好の遊び場になっています。

ここは、もう少し日にちが経つと、桜の花ビラが散り敷き詰められて”ミニ花筏”

出来上がります。ちょっと綺麗ですよ。






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この公園は、昭和60年に開園された公園で、広さは3.3hと蕨市の中では一番広い公園です。

本来であれば、この公園は事前申し込みでバーベキューができる公園として人気がある

のですが、今年は残念ながらコロナウイルスにより現在は中止になっています。




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例年であれば、公園のあちこちでBBQの煙と香ばしい香りが立ち込めて、お花見気分を

大いに盛り上げるのですが、今年は違いますネ。お酒を飲んでいる方もいないようです。

飲酒も禁止になったのでしょうか。

やはり、通達とウイルスの怖さのせいでしょうか、人出は通達を無視したような渋谷界隈とは

違い例年の4分の一程度でしょうか。人だまりに隙間が出来ています。





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写真を見てお気づきになった方もいると思いますが、この公園の桜は

芝生の広場を囲むように植えられていて、枝だけでなく幹までもが芝生の広場に向かって

庇のように被さって伸びています。

その大きな桜の庇の下でお花見や宴会ができるんですネ。

素晴らしいセツエイションですね。

返す返すも、今年は残念ですが。

まあ、通りすがりに見る程度にしておきましょうか!




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桜並木に沿って広場の周りをぐるっと一回りしてみました。

桜は綺麗に咲き誇っているのですがネ!! 残念!!




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以上、ちょっと寂しい、でも子供は元気な『蕨市民公園』 でした。









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旅・はいかい | 10:00:15 | トラックバック(0) | コメント(0)
~ 権現堂桜堤(ごんげんどうさくらつつみ) ~
関東地方でも有数の桜の名所として知られる埼玉県幸手市の『権現堂堤』 に

お邪魔しています。

本来なら今の時期は例年50万人以上の観光客が訪れる「幸手さくらまつり」の真っ最中の

はずですが、今年は「コロナウイルスの拡散防止」のため中止を余儀なくされています。

それでも、桜見たさのDNAを持った人達が我慢しきれず、少し恐る恐る集まって来ています。

もちろん私もその一人です。

そんな人間の思惑などお構いなく、は綺麗に咲き誇っています。

中川の堤防上約1kmにわたって、約1000本の桜並木が続いています。

そしてその足元には、桜に負けじとばかりに「黄色い菜の花」が咲き乱れて

見る人の目を惹きつけています。




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「権現堂」と言うあまり聞きなれない地名ですが、その名の由来は

江戸時代後期に幕府が編さんした地誌「新編武蔵風土記稿」(しんぺんむさしふうどきこう)に

記されており、 ..村の中に「三つの権現」があったことから、「権現堂村」と名前が付けられたと

考えられています。




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「権現堂堤」は江戸時代天正年間に利根川の支流(現在は分流)である権現堂川の堤防として

築かれたのが』始まりです。

かつては6 kmにわたり約3000本の桜があり、大正時代から桜の名所として賑わっていました。

その後、利根川や江戸川の流路変更や堤防の決壊、形状が変更等が繰り返され、終戦前後には

燃料不足の為桜が伐採されたりして変貌してきましたが、最終的には1949年(昭和24年)、

旧権現堂川堤防のうち中川の堤防として残った部分へ、改めてソメイヨシノを植樹したものが

現在の『権現堂桜堤』として生まれ変わりました。

なお、その後の1988年(昭和63年)には周辺の休耕田に菜の花(アブラナ)が植えられ

「桜と菜の花の名所」 といられる景色が出来上がりました。




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ポツポツと2~3組ほどの方がシートを敷いてお花見気分を味わっています。

でもさすがに盛り上がりには少し欠けているようです。




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何度かお邪魔して、こちらで写真を撮影させていただきましたが

これほど人影の少ない桜満開の写真が撮れたのは初めてですネ。




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『権現堂堤』は桜だけではなく、5月末から7月初に「幸手あじさいまつり」

9月中旬から10月上旬頃「曼珠沙華祭り」  1月上旬から2月上旬頃まで「水仙まつり」

を開催しています。「コロナウイルス騒動」が沈静化したら別の華もカメラに収めに来てみたい

ものですね。








以上、いつもとは違う賑わいの『権現堂桜堤』 でした。









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旅・はいかい | 21:29:37 | トラックバック(0) | コメント(0)
~ 日本橋川クルージング Ⅱ ~
神田川、順天堂医院前から再スタートです。

「お茶の水橋」 です。

さすがにこの橋には手を振ってくれるような観光客はいないようです。




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「JR御茶ノ水駅」 です。

現在駅の増築中ですが、工事量に比べ作業スペースが圧倒的に少ないので

お濠の中に作業ステージを構築してから本工事を行っています。




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「聖橋」の真下にいます。




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「聖橋」を越えたこの辺は、幾つかの電車路線が交差しているところなので

多種の電車が見れるところから「撮り鉄」の人気スポットになっているようです。


「地下鉄 丸の内線」 がいきなり現れ頭上を走る珍しい光景です。




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「丸の内線」の真下にいます。



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「JR 総武線」 です。

ここで、総武線と中央線が別れます。




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「昌平橋」横の中央線ガード下です。

飲食店が並びます。




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秋葉原の南、万世橋の横に見える赤レンガの高架線路。中央線の電車が行き交うその下に、

JR東日本グループが運営する商業施設「マーチエキュート神田万世橋」があります。

ここにはかつて、現在の鉄道博物館の前身にあたる交通博物館、さらにその昔には国鉄の

万世橋駅がありました。

万世橋駅は、1912(明治45)年に中央本線の始発駅として開業した駅です。

しかし、1943(昭和18)年に不要不急の駅として、営業休止(事実上の廃止)に

追い込まれました。

 しかしながら戦後、「交通博物館」として再スタートを切り、半世紀以上にわたって多くの人々に

親しまれてきました。残念ながら万世橋駅自体が復活することはありませんでしたが、

ホームや階段などの設備は、閉鎖されたままで保存されていました。

 2006(平成18)年5月14日、交通博物館が閉館し、残された旧万世橋駅の遺構を利用して、

2013(平成25)年9月に、近代的商業スペースとして「マーチエキュート神田万世橋」

オープンしし、若者の人気のスポットとなっています。




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昭和通りにある「和泉橋」 です。




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「左衛門橋」周辺は”屋形船”の停船場です。

夜の仕事に向けて只今、休憩・仮眠中でしょうか。




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柳橋を潜るといよいよ隅田川と合流です。船は右に曲がり隅田川を下りますが

振り返ると「JR総武線」の陸橋の後ろにスカイツリーがそびえます。




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「清洲橋」 です。

当時世界最美の橋と呼ばれたドイツのケルン市にあったヒンデンブルグ橋の大吊り橋を

モデルにして造られました。

2007年(平成19年)6月18日に、都道府県の道路橋として初めて勝鬨橋・永代橋と共に

国の重要文化財(建造物)に指定されました。







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「清洲橋」の手前に、隅田川と旧中川を結ぶ全長5㎞の人工運河「小名木川」があります。

1590年頃、徳川家康は、兵糧としての塩の確保のため、小名木四郎兵衛に命じて、行徳までの

運河(開通後、小名木川)を開削させました。この運河の開削によって、安全に塩を運べるようになり

かつ経路が大幅に短縮されました。

その後、塩以外の品物の運搬や、成田参詣客なども運ぶようになって、行き交う物量が増大し

江戸物流の重要河川となっていきました。



正面に写る橋は小名木川入口の「万年橋」です。




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「小名木川」の途中には、日本では珍しい運河の水位を強制的に変える、ミニパナマ運河と

言われる”扇橋閘門(おおぎばしこうもん)” があります。

珍しいので、これを観るクルージングツアーもあります。

(扇橋閘門の記事はこちらから)










左端の中央あたりに小さく銅像のようなものがありますが、見えますでしょうか。

ここは江戸時代の俳人 松尾芭蕉の芭蕉庵のあったところで、見えているのは

松尾芭蕉の座像です。

有名な”奥の細道”もこの地からスタートしました。



 座像をアップします。




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このブロンズ像は時間によって向いている方向が変わります。

タイマーで朝の10時と夕方5時に自動的に45度回転します。

10時は北側(公園の入口側)、5時には清洲橋側に回転します。

このブロンズの製作は「コンペ」によって決められましたが、回転させることは

当初から入札の条件であったそうです。











「清洲橋」を通り過ぎて振り返ります。

スカイツリーを橋のセンターにして写真が撮れるのは清洲橋のこの位置しかありません。

”撮り橋、撮りスカ、撮り河、撮り隅田”の方々のシャッタースポットです。

船長さんもよくご存じのようで、しばらく船を止めていただきました。




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「永代橋」 です。

改修と改装工事のためしばらく工事用足場に包まれていましたがやっとそれが外されました。




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橋の正面の高層マンション群が「石川島」です。

江戸時代には「人足寄場」と言われ、犯罪者を集めて強制労働をさせたところです。

明治に入ると「富国強兵」政策の一環で「造船所」置かれ、一時は日本を世界一の造船大国に

のし上げた日本を代表する重工業一つがが存在していました。

そえが今は超高層マンションの様変わりしました。

この景色を「日本のマンハッタン」と呼ぶ人もいます。



右端の橋脚の頭が突き出て見えているのが「中央大橋」でその後ろが、徳川家康が大阪から村ごと

人を呼び寄せ、ここに住まわせて漁の特権を与えて漁師をさせた「佃島」です。

「佃煮」の発祥の地です。

(佃島の記事はこちらから)











「永代橋」の手前を右に曲がり、スタートした「日本橋川」に戻ります。

日本橋川を入るとすぐに、お洒落な姿の「湊橋」があります。

江戸時代ここを往来したと思われる”一本マストの帆掛け舟”のレリーフがシンボルになっています。

このような舟を通すために江戸の町中にある橋は皆中央がせり上がった「太鼓橋」になって

いるんですネ。現在の宅配便のように当時はこのような帆掛け舟が流通の主役だったのでしょう。




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「隅田川」から約500mほど上るとまた首都高が現れます。

ここから先は又、空のない川に戻ります。

日本橋川で空が見えるのは隅田川からここまでの500mだけなんです。




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以上、昔は川や運河が流通の主役であった歴史が垣間見れた

『日本橋川クルージング Ⅱ』 でした。







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旅・はいかい | 09:25:48 | トラックバック(0) | コメント(0)
~ 日本橋川クルージング ~
今度は船に乗り、川の中から日本橋界隈を見てみたいと思います。

乗船場は日本橋の南詰「滝の広場」です。





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クルージングをする日本橋川は、神田川から分岐し真南に流れて日本橋の下を流れる川です。

江戸時代に入り、三崎橋から堀留橋までが埋め立てられ堀留となリましたがそれから近年に

至るまで流域は経済・運輸・文化の中心として栄えました。江戸時代には堀の両側には

岸が点在し、全国から江戸にやってくる商品で賑わいました。




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特にこの乗船場の対岸にあたる、北詰にあった”魚河岸”は江戸一番の賑わいを呈し

一日の売り上げがなんと1000両にもなったと言われています。

今の金額に換算すると、一両が20万円として約2億円の金が毎日動いていたことになります。

すごいですネ。 おそらく当時では世界一の規模を誇る魚市場であったと思われます。




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そんな魚市場跡からクルージングがスタートします。

船から見た「三越」です。

三越のマークの周りに彫刻されているのは魚ではなく「イルカ」です。




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河川上空を首都高速5号池袋線の高架が覆っています。 これが日本橋川には空がないと

言われる所以です。




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日本近代資本主義の父と言われ、約500社の設立に携わり、このたび新一万円札の顔に

なることも決まっている「渋沢栄一」の銅像が、常盤橋公園に立っているのが垣間見れます。




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相変わらず無機質な天井が続きます。




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「女性の社会的地位向上のための自活の能力の習得」と「自立した女性として必要な教養の習得」

と言う二つの精神から1886年(明治19年)に設立さえた「共立女子大学」です。

千代田区のど真ん中に、広大なキャンパスを有しています。




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千代田区役所です。




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神田川に合流です。




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神田川を右折するとすぐのところに「東京都清掃局」があります。

集めたごみをホッパーから船に移し、埋め立て地まで運びます。




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東京ドーム付近です。




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水道橋です。通行人が手を振ってくれています。

皆さんフレンドリーですネ。




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通称「お茶の水渓谷」 です。

下部の水路は神田川が溢れそうになった時のバイパス水路です。




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中央線の登りです。




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「順天堂大学医学部付属順天堂医院」


1838年(天保9年)、江戸薬研堀(現在の東京都中央区東日本橋二丁目6番8号)に

蘭方医学塾(和田塾)を開学したのがはじまりの古い歴史を持つ大学附属病院ですが、

診療所等に付けられることの多い「医院」という呼称を開院以来一貫して用いている。

一日平均4500人程の来院者があるそうです。




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今回のクルーズの行程の約半分過ぎました。

ちょっとここで休憩します。

以上、『日本橋川・神田川クルーズ』 でした。







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旅・はいかい | 22:47:29 | トラックバック(0) | コメント(0)
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