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アル酎ハイマーはいかい士

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~ 旅のおわり ~
今度は、間違いなく乗りました。

一時間待って。

たった一つ残った旅の目的”わたらせ渓谷鐡道に載って紅葉を”を実現すべく。

列車は、「わたらせ渓谷鐡道」の始発駅「桐生」に向かっています。


処が、なんと順調に走っていた列車が「桐生」の3つ手前「足利」の駅に止まったまま

動かなくなった。


嫌な予感が頭をよぎる!

すると車内放送が「ただ今、桐生駅の手前の踏切で列車と自動車が衝突し、

レスキュー隊が現場に向かっているとの情報が入りました、安全の確認が取れるまで

この列車は、足利駅に停車します」
 と告げている。

/(^o^)\ナンテコッタイ!!

レスキュー隊が出張ると言うことは最低でも1~2時間はかかるのでは、との疑問が湧く。

最後尾の列車に行き、車掌に確認するも、情報が入ってこないので詳しいことは分からない

とのこと。なすすべもなく車内で待つ。

30分ほどすると又車内放送が「復旧のめどが立たないのでこの列車は始発駅の

小山に引き返します」
 と告げている。

ついに最後に残った目的”わたらせ渓谷鐡道に載って紅葉を”さえ

もぎ取られようとしている。



頭の中を”タラレバ”の走馬燈が回っている。

勿論”タラレバ”が何の役にも立たないことは、百も承知ですが、


もっと手早く「蔵の街」を廻っていたら。

待ち合わせ時間に遅れなかったら。

朝食を我慢していたら。

ファスナーがベンチに挟まれなかったら


おそらく別の旅行になっていただろうと。




足利にとどまってもしょうが無いので、とりあえず栃木にでも引き返して

最初に切り捨てた、”夜の、とちぎ秋まつり” でも観てみることになった。

捨てたものが、ブーメランのように戻って来たとは言え、何となく釈然としないのは

私だけでしょうか?






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何度この「栃木駅」に降り立ったでしょうか。

しかし「とちぎ秋まつり」の夜の部は6:15とスケジュールに書かれている。

後、4時間何をすればよいのだろうか。駅の周りには何もない。



喫茶店、デパートのフードコートで時間を過ごしやっとのことで、夜の部にたどり着いた。







〖泉町 諫鼓鶏(かんこどり)〗



市指定有形民俗文化財


倭町の「静御前」と同様「とちぎ秋まつり」の起源となった山車です。

「諫鼓」とは昔の中国で君主に対して諫言しようとする民衆に打たせるために設けられた

太鼓のことで、「鶏」は鶏鳴によって君主に善政を促し、人々を警醒する想像上の鶏である。

「諫鼓鶏」とは、善政であるため諫鼓を鳴らす必要がなく、上に止まっている鳥も逃げない

という意味である。

元和元年(1615)5月、大坂夏の陣に勝利して江戸へ凱旋した二代将軍徳川秀忠は、

日枝神社の大祭である6月の山王祭を前に「太平の世を祝って諫鼓鶏の山車を末代に

至るまで一番で渡せ」と上意を下し、それまでの「御幣猿」に代わって「諫鼓鶏」を先駆けとした

といわれています。





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〖万町 劉備元徳〗



明治26年制作

県指定有形民俗文化財




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〖倭町3町目 静御前〗


明治26年制作

県指定有形民俗文化財






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〖倭町2丁目 神武天皇〗


明治26年制作

県指定有形民俗文化財




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〖室町 桃太郎〗



明治38年制作

県指定有形民俗文化財




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〖ぶっつけ〗



複数のだしが向き合って、お囃子を競い合う祭一番の見せどころです。

山車の引手などが提灯を振りかざし、掛け声を掛けながら、お囃子を盛り立てます。

お囃子の調子がズレた山車が道を譲るのが約束です。

「川越祭」で言うところの”ひっかわせ”と同じですネ。

しかし、迫力はこちらの方があるように思います。



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元気の良いのは、男ばかりではありません。



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でも、やっぱりこちらには勝てないか。




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以上、『とちぎ秋まつり 夜の部』でした。


いやーっ、栃木尽くしの長い一日でした。

「タラレバ」をたっぷり背負って帰りましょうかネ。

しかし、もうじき夜の8時ですが、いまだに桐生~小俣間は不通の状態のようです。

「タラレバ」の一つでも起きなかったら、桐生に行けて「わたらせ渓谷鐡道」に乗ることが

出来たかもしれないが、戻ってくるのは不可能。

結果としてこれが一番よかったのかもしれません。

「人間万事塞翁が馬」 と言うことでしょうか。









以上、 『 旅のおわり』 でした。






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旅・はいかい | 04:12:47 | トラックバック(0) | コメント(0)
~ とちぎ秋まつり ~
一汽車後らしたおかげで、じっくり『 とちぎ秋まつり 』を観て廻ることが出来ました。

『 とちぎ秋まつり 』は栃木市のメインストリートである蔵の街大通りを主会場に行われます。

この祭は山王祭で引き回されていた「静御前の山車」や、宇都宮にあった「諫鼓鶏の山車」を

明治7年(1874年)に栃木の商人が買い取り、栃木県庁で行われた神武祭で披露したことを

起源としています。以来、各町が新たに三国志の人形の山車などを製作し、栃木で慶事が

ある都度にこれらの山車を市中で披露し、昭和12年(1937年)以降はほぼ5年毎に山車祭りが

開かれるようになった。この山車祭りを主催事とし秋に隔年開催としたのが「とちぎ秋まつり」で、

隔年11月の土曜・日曜に亘って2日間開かれます。







栃木駅前では、「和太鼓」が東京などからの祭観光客を出迎えて

祭の雰囲気を盛り上げています。




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〖倭町3町目  静御前〗


「とちぎ秋まつり」の起源となった山王祭で使われていた”静御前”の人形山車です。

嘉永元年(1848年)の制作です。

県指定有形民俗文化財




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伝統ある祭らしく、錫杖(しゃくじょう)を鳴らしながら手古舞(てこまい)が山車を先導しています。

正しい手古舞が出る祭として、山王祭や神田祭と共にこの「とちぎ秋まつり」も祭本に

列挙されています。

手古舞は元々は「鳶職」が行列を邪魔する者を避ける目的で先導していたのがはじまりです。

その鳶が、山車が方向転換する時に「てこの原理」を使って車輪の方向を転換していたことから

名付けられたと言われています。それが芸鼓さんに、そして子供にと変化してきました。




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「手古舞」の服装も古式にそっています。

袖口をすべて広げた「かます袖」

裾をすぼめて縛った「たっつけ袴」

これで、片肌脱げば本物ですがさすがにそれは無理のようですネ。

でも、着物の左側が白地の襦袢のような模様になっているのは

片肌脱いだ様子を模しているのでしょうか。











〖嘉右衛門町  仁徳天皇〗




市指定有形民俗文化財





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〖大町  弁慶〗


市指定有形民俗文化財





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〖万町1町目  劉備元徳〗



明治26年制作

県指定有形民俗文化財





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〖万町2丁目  関羽雲長 〗



明治26年制作

県指定有形民俗文化財





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人形の造りも精巧に造られています。

「関羽雲長」は「劉備元徳」に仕えた三国志に出てくる武勇の誉れ高い武人

見事な鬚髯(鬚=あごひげ、髯=ほほひげ)をたくわえていたため「美髯公(びぜんこう)」

などとも呼ばれていました。



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「関羽」にも負けていない元気な囃子手がいました。




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でも、やっぱりこちらの勝かな。




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一時間半の延長時間を「とちぎ秋まつり」で満喫した我々は、わたらせ渓谷鐡道の

始発駅「桐生」へ向かうべく、時は遅しと駅のホームで一汽車遅れの列車を待ってます。

程なくして待ちに待った列車がホームに着きました。

50分程の列車の旅なので、全員の席の取得を託されて我先にと列車に飛び込み席を確保。

がーっ!

続いて乗り込んでくるはずの仲間が一人も乗ってこない。

乗り口が違うのかと、左右を見渡したが、やはりだれもいない。

どうしたのかとホームを振り返ると

座っていたベンチを囲んでみんながあたふたと忙し気に動いている。

何をしているのか不思議な光景です。

声が聞こえてこないので

まるで、チャップリンのトーキー映画を観ているようなある意味滑稽な光景でした。

でも、まごまごしていると、電車が出てしまう。

仕方なく、席取の為に置いたものを撤収して仲間のところに向かうと

仲間の一人が、ベンチとベンチの隙間に挟まれたコートのファスナーをみんなの手を借りて

抜こうともがいている。引くも押すもままならない様子、勿論本人は必至です。

通りすがりの人の手も借りて、やっとのことファスナーのエンドを抜き取ることが出来ました。

その時、勿論すでに列車の姿はホームにはありません!

えーっ! 一時間半待った列車なのに!

その時仲間の声が、「大丈夫今度は一時間後には次の列車が来るから!」

なんのなぐさみにもなっていないでしょ!


仕方なく一旦駅を出て、駅の周辺で時を過ごすことに!

そして、必然的にスケジュールの変更を余儀なくされる。

せめて”わたらせ渓谷鐡道とその紅葉”は残そうと言うことになり、断腸の思いで

”温泉入浴”は却下。

”露天風呂と紅葉”もとても楽しみにしていたのに!

がっかり!!  (せめて温泉の水の色イメージしてみました)

まるで、壁に掲げてあったお気に入りの額の絵が突然シュレッターに

かけられて額から滑り落ちてきたような虚しさです。


皆、傷心の思いを抱え何処かへ行く元気もなく駅前で時の過ぎるのを待ちました。 

トホホ!








続きは次回の記事に。

| 12:23:41 | トラックバック(0) | コメント(0)
~ 蔵の街 栃木 ~
知りませんでした!

栃木が”蔵の街” だったなんて。

以前、栃木と宇都宮の中間にある壬生の”おもちゃの街”に住んでいたことがあったんですが

知りませんでした。勉強不足ですね。

”蔵の街”は川越だけではないんですね。


今日は、仲間たちと「渡良瀬渓谷の紅葉と渡良瀬鉄道」の写真撮影、そして温泉入浴を目的に

朝3時に起きでやってまいりました。

その途中の乗換駅「栃木」で街並み散策と朝食摂取のために、途中下車した次第です。

降り立って、初めて栃木が”蔵の街”であることを知らされました。





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又、栃木ではちょうど、2年に一度の伝統ある 「栃木秋祭り」が開催されている最中でした。

帰りにも、お邪魔をして夜の栃木秋祭りを堪能したいと思っています。


まずは、巴波川(うずまがわ)に沿って蔵の街の探索です。


蔵の街遊覧船船着場です。


遊歩道も綺麗に整備されています。


塀に付けられている竹は、遊歩道をLEDが組み込まれた竹筒のあかりで照らす

「うずまの竹あかり」です。

蔵の街を流れる巴波川の両岸に108灯の竹筒のあかりが続き、幻想的な散歩道を

演出しています。

栃木工業高校の生徒たちの協力で造られたそうです。






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夜になるとこうなります。

まさに、幻想の世界です。




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嘗ては北関東でも指折りの商業都市だったと言われる宿場町栃木。現在でも蔵をはじめ、

歴史的に価値のある建造物が数多く残っています。

栃木市のランドマークともいえる、幸来橋(念仏橋)から”塚田歴史伝説館”

建ち並びを観ています。


塚田家は江戸時代後期から巴波川の舟運を活かし、木材回漕問屋営んできた豪商で、

巴波川沿いに120mに及び巡らされた黒塀と白壁土蔵は栃木市を代表する景観と

なっています。




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対岸には、柳も植えられていて、「白壁土蔵」「蔵塀」「河」「鯉」「柳」の

河岸の情緒を醸し出す重要な役割を果たしています。




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幸来橋の架かる巴波川には、大きな鯉が驚くほど沢山遊泳していて、散策をする人々の目を

楽しませてくれています。

その、鯉の川を象徴するように、幸来橋の手すりには鯉のモチーフが透かし彫りされていました。

”蔵の街””鯉が群れる川”のツーショットです。





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幸来橋の橋詰めに、新しいような、でも歴史のあるような

”蔵の街”とモダンを上手に調和させた建物が建っていました。

正面の入り口の大部分を占める「葦簀(よしず)」に手書きで「宿」と書かれていなければ

何を商う建物なのかわかりませんよネ。


建物の中は「昭和」ですと訴えているようです。




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河岸にはまだまだ歴史がありました。

「横山郷土館」



横山家は店舗の右半分で麻問屋、左半分が銀行を営んでいた明治の豪商でした。

「両袖切妻造」と呼ばれる貴重な建物です。




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「岡田記念館」



岡田家は現当主岡田嘉右衛門をもって26代を数える栃木市屈指の旧家です。

古くは武士でしたが、帰農して江戸時代慶長の頃、士豪として栃木に移住し、荒地を開墾し、

地域発展のために尽くしました。以後代々の当主は嘉右衛門を襲名し、「嘉右衛門町」という

地名の起こりともなりました。また、日光例幣使街道の開通とともに名主役、本陣を勤め、

代官職を代行するなど要職を担いました。


入口の縦表札には「代官屋敷」とあります。



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「代官屋敷」の通用口には、景色とは場違いなピカピカに磨かれた”サイドカー”

ぽつんと置かれていました。

その対比が面白かったので、切り取ってみました。

一番奥に映っている郵便ポストが前の写真の郵便ポストです。




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「田楽あぶでん」


“油伝”創業天明年間の味噌屋です。

建物は明治時代の土蔵他5棟が国の登録有形文化財の指定を受けて

おり、その店舗の一角で味噌田楽店を併設しています。






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「栃木 歌麿館」



自らも筆綾丸の狂歌名を持つ歌麿は、栃木の豪商と狂歌を通じて交流を持ち、

歌麿の浮世絵版画の中には、栃木の狂歌師の狂歌が入ったものがいくつか見受けられます。

歌麿は、豪商釜喜の4代目善野喜兵衛(狂歌名:通用亭徳成)と親しく、

その叔父にあたる善野伊兵衛(初代釜伊)の依頼で、肉筆画大作「深川の雪」・「品川の月」

「吉原の花」を描いたと伝えられています。

 とちぎ歌麿館は、浮世絵師喜多川歌麿と栃木市のゆかりを中心とした文化情報を

発信するために、栃木市所蔵の資料館「古久磯提灯店見世蔵」を活かし、歌麿とその時代の

関連資料(浮世絵の復刻版など)を展示する「まちなか美術館」として設置されました。




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「とちぎ蔵の街美術館」



「とちぎ蔵の街美術館」は、およそ200年前に建てられた土蔵3棟を改修し、

平成15年3月に開館しました。

 通称「おたすけ蔵」として市民に親しまれてきたこの蔵は、栃木市に現存する多数の

蔵の中でも最古の土蔵群に属する大規模な蔵として、栃木の歴史を見つめてきた

記念碑的な建物です。

   善野家土蔵(通称 おたすけ蔵)

     善野家(釜佐)は、先祖が近江の出身で、江戸時代の延享年間(1744~48)に

     同じ町内の善野喜兵衛より分家し、その後、米などを扱うほかに大名などを相手とした

     質商も営んで、栃木を代表する豪商となりました。蔵の名称は、江戸時代末期に

     困窮人救済のため多くの銭や米を放出したことに由来するとも、また失業対策事業

     として蔵の新築を行ったためとも言われています。
      




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「蔵の家具屋 丸三」



「とちぎ蔵の街美術館」の横にありました。

200年前に造られた蔵です。

向かって左側が米蔵、右側が塩蔵だったそうです。

現在は古い家具の置き場として使われています。




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「とちぎ蔵の街観光館」



かっての荒物屋の見世蔵と土蔵群からなり、土蔵群は戦後になり「蔵のアパート」として

利用されてきました。現在「蔵の街大通り」に面した見世蔵では、観光案内と土産品販売

奥の土蔵群は食事処と土産品販売を行う蔵の街観光の拠点施設として活用されています。




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以上で 『栃木 蔵の街』 の散策は終了ですが、ここでちょっと問題が発生です。

栃木で待ち合わせした仲間との合流が遅れたことと、見どころがありすぎた蔵の街を

ゆっくり探索し過ぎたので、朝食を食べる時間が無くなってしまいました。食事抜きで予定通りの

電車に乗るか、食事をして一汽車遅らせるか、はたまた10分程度で食事を済まし

駅まで強行突破を試みるか。最初は全員朝早くから動いているので空腹には勝てず

強行突破を試みて”ココス”のバイキングに突撃しました。しかし、程なくほとんどのメンバーが

「挫折」を余儀なくし、電車を一汽車遅らせてもしっかり食事をすると言う選択に

主義変更することとなりました。

ここで、断っておきますが場所は「栃木」です、都会ではありません。

こちらで一汽車遅れると言うことは「一時間半」待つということにイコールなのです。

まあ、おかげでゆっくり朝食が取れ、再度”蔵の街”が散策出来ましたが、予定行動の中から

何かを削除、ジャンプさせなければなりません、協議の結果止無を得ず「夜の栃木秋祭り」

を削除。

「まあ、良いか! 散々昼間、「蔵の街」も「栃木の秋祭り」も観たから!」

が全員の共通した納得の感想でした。

しかし、実はこれが単なる不幸の序曲に過ぎなかったことを、

後で、全員が知ることになります。





続きは次の記事で!


旅・はいかい | 12:52:24 | トラックバック(0) | コメント(0)
~ OMOTESANDO HILLS CHRISTMAS 2018 ~
また、今年もクリスマスイルミネーションの時期がやってまいりました。

そのトップを切って 『表参道ヒルズのクリスマスイルミネーション』が点灯しました。

『表参道ヒルズ』は旧同潤会青山アパートの建替事業として、2006年2月11日に誕生し、

約100軒の店舗、38戸の住宅で構成された複合施設です。

ファッション・アート等に関するイベントも多数開催し、最先端の情報を発信し続けています。...

設計は安藤忠雄が行い、 表参道の傾斜にあわせ、床をスロープ状に傾斜させているのが

特徴です。本館内部は地上3階地下3階の6層分の吹き抜け構造になっており、そのまわりでは

「スパイラルスロープ」と呼ばれる通路がらせん状につながっています。

その吹き抜け部分に、クリスマスイルミネーションが飾られていました。




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「オーロラ」がテーマのクリスマスイルミネーションです。

本館の吹抜け大階段には約6,000本の“つらら(アイシクル)”と称される糸状の光で

構成された「光のカーテン」が飾られています。

光を反射しながらキラキラと揺れ動く「光のカーテン」は、ハートやダイヤの形を描きながら、

優しく幻想的な空間を演出しています。

両サイドに放射線状に走っている通路が、安藤忠雄さん自慢の「スパイラルスロープ」 です。









         DSC_おもて9376_01







中央には「光のカーテン」と同様に、ハートやダイヤなどの形をあしらった高さ約7メートルの

クリスマスツリーが創られていて、緑、赤、シャンパンゴールド、紫の光を発しながら空間を

鮮やかに彩っています。




             DSC_表9384_01








20分毎に行われる特別演出では、音楽に合わせて“つらら”が光に照らされ、その輝きと

連動してツリーの色も緑、青、紫、ピンク、イエロー等、オーロラの色彩に変化します。

音楽が盛り上がるのと呼応するかのように、「光のカーテン」に映し出されたオーロラが

神秘的に揺れ動きます。




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イルミネーションのデザインを手がけたのは、東京とシアトルを拠点に活動する

クリエイティブチーム「ケイコ + マナブ(KEIKO + MANABU)」です。

北国の冬空の美しさからインスピレーションを得て、アートと建築、両方の視点から

空間を演出したそうです。





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以上、2018クリスマスイルミネーションの走り 

『OMOTESANDO HILLS CHRISTMAS 2018』

でした。 

旅・はいかい | 08:13:03 | トラックバック(0) | コメント(1)
~ 酒処 厨 再登場プレオープン ~
オヤジの身体の都合で、店を閉めて1年5か月、やっとのことで『酒処 厨 』 が再スタートです。

今日は、常連さんを中心にした、プレオープンです。

新しい店は、以前の場所の目と鼻の先。

しかし店内は、以前の店よりはるかに広い。

前の店と違って、のびのびとゆったり酒が飲めますネ。



L字カウンターは、12席です。

満席になると手が回るでしょうか。  心配です。




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 オヤジーッ!

手を動かせー!!




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4人掛けのテーブル席。

背中の壁には、お決まりの我が”浦和レッズ”の旗が、掲げられています。




       
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とりあえず、”恵比寿の琥珀生ビール”で乾杯です。




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懐かしい仲間達も集まってきました。




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早速、日本酒に取りかかります。

ここは、厳選の日本酒の品ぞろえも売りの一つ。

福井の銘酒   加藤吉平商店   「梵 GOLD 無濾過 純米大吟醸」


ワイングラスでおいしい日本酒アワード2016で最高金賞を受賞するなど、日本はもとより

世界中で愛されている酒でする。白山連峰の伏流水で山田錦と五百万石米だけを使い、

長期氷温熟成をしています。

特に「梵 GOLD 無濾過 純米大吟醸」はマイナス10℃で約1年間氷温熟成された生酒を、

出荷の直前にビン燗火入れしています。

凝縮された旨みは、濃厚な味付けの西洋料理にも合うと言われています。

すでに価格にはプレミアがついているものもあります。




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続いて、山形 富士酒造    「栄光富士」



安永7年(1778)創業の庄内の老舗蔵。

山形は「十四代」「くどき上手」など、全国レベルの酒蔵がひしめく中で、山形県ランキング4位は

立派です。




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   加藤吉平商店   「越前 純米吟醸酒 ぼん ときしらず」



濃醇・辛口 長期氷温熟成




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店、自慢の刺身の盛り合わせ  

マグロが光ってる。




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平貝と鯛




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席は、満席です。



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オヤジはもう仕事止めて、ホストしてるし!









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これで、我々の仲間は”居酒屋難民”から脱出できそうです。



以上、やっと再開した 『酒処 厨』 でした。

お酒 | 05:13:28 | トラックバック(0) | コメント(0)
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